第7話 二人で食事しました

 元いた部屋に戻ると、どうよ、とローザに向かって胸を張る。

 ローザはしばし顎に手を当てて考え込むと、ひとつうなずいた。


「今のところ、完璧ですね」

「そうでしょう、そうでしょう」

「完璧すぎると、どこかに落とし穴があるものですよ。気を抜かないように」


 どうしてこう、ローザは水を差さないと気が済まないんだろう。


「もう。いいじゃない、素直に喜べば」

「姫さまが十分に素直に喜んでいるので、それでいいではないですか」


 そう返しながら私をソファに座らせ、髪留めを取って髪を結い直す。食事なのでヘッドドレスは必要ない。


 私はふと気が付いて、人差し指を一本立てて口を開いた。


「あ、でも、完璧じゃないところもあったわ」

「なんですか?」

「黙り込んでいらしたでしょう?」

「ああ」


 ローザは私の髪を結いながらうなずいたようだった。


「言葉を探していらしたのかも。まあそれも、ちょっと不器用な感じがしていいかしら。隙がない方だと息が詰まっちゃうかもしれないし」

「不器用……そうなんですかね」

「え?」


 ローザのほうに振り向こうとすると、彼女は私の頭を両側から持って正面に向き直させた。


「あのとき、その場にいらした方々はちょっと驚いた風でしたから、いつもは違うんじゃないでしょうか」

「あらそうだったの。まあどっちにしろ構わないけれど」

「どっちでもいいんですね」


 私の言葉にローザは苦笑している。

 そうよ、それはまあ些細なことよ。人間誰だって失敗することもあるし、それがたまたまあのときだったんでしょう。黙り込んだ程度のこと、失敗と呼べるかも怪しいし。


 ……いや、失敗といえば。


「それより私、失敗したかも」

「失敗?」


 それを聞いて、ローザは手を止める。


「特になにも思いませんでしたが……」

「ローザの位置からは見えなかったものね。あんまり素敵なオジサマだったからニヤついちゃったのよ。あっ、もしかしてそれで驚いて、言葉が吹っ飛んでしまったのかしら」


 だって止められなかったのよ、ニヤつきを。

 先に王弟殿下を見たあとだけに、出ていないお腹が嬉しかったのよ。


 頬を両手で包んでそのときのことを思い出して心配していると、またローザは髪を結う手を再開させた。


「それは大丈夫と思います」


 なにやら確信を持った口調だ。

 傍から見ていたローザがそう言うのなら、そんなに気にすることはないかしら。


「そう? それならいいけれど」


 私はほっと安堵の息を吐く。


「まあ、今のところ、完璧と言っていいでしょう」


 おおお、辛口のローザからのお墨付きとは。


「ああー、幸せ過ぎて怖い! なにかと至れり尽くせりだし」

「怖いのでしたら、気を引き締めてください」

「はあい」


 私がそう答えると、ローザは私の顔を後ろから覗き込んで、少々低い声を出してきた。


「間延びした返事ははしたないですよ」


 怖い。


「はい」


 今度は素直にそう答える。ローザは満足したようにうなずくと、また髪を結い始める。


 確かに、浮かれ過ぎたわ。

 こちらがいくら気に入ったって、あちらが私を気に入らなければ愛は始まらないものね。

 よし、淑やかにがんばろう。

 私はそう決意を新たにした。


          ◇


 食堂に案内されると、白いテーブルクロスが掛けられた比較的小さなテーブルに、すでに食器が並んでいた。

 食器は向かい合わせに二組。カトラリーも並んでいる。


「あら、新品の銀食器よ。気を使っていただいているのね」


 ローザは小さくため息をついて、小声で返してきた。


「逆ですよ」


 逆ってどういうこと? と訊き直す前に、扉が開いて侍女が一人、入ってきた。


「失礼いたします、エレノア王女殿下。まもなくシルヴィス国王陛下がお見えです」

「そう。ありがとう」


 私は椅子の横に立って、王の入室を待つ。

 その間、私はローザの『逆ですよ』発言について考えた。


 銀食器は、ある種の毒物に反応して変色する。

 なのでオルラーフ王城では当然のように使われている。

 なにせオルラーフ王家の歴史は毒殺の歴史。私も小さい頃から毒物には慣らされた。


 で。

 この場で新品の銀食器が使われているということは、オルラーフ王女に対する気遣いだと思っていたのだけれど……。

 逆ですよ、とは。

 ……なるほど。

 私が毒物を使うかもしれない、と警戒されているということか。

 ドレス一枚を持ち込むことも許されず、ついでに『恋夢』も持ち込むことも許されず、王との謁見の前にはお湯浴みまでしたっていうのに、それでもまだ警戒されているというこの事実。


 信用されていないわねえ。

 どうしたら信用されるのかしら。

 まあ、日々の行動で信用を勝ち取るしかないんだろうなあ。

 そんなことを考えていたけれど、はた、と気付く。

 いやいや、ちょっと待って。

 むしろこれっていいことなんじゃない?

 だって自分から『銀食器にしてください』って言いにくいものね。勝手にあちら側から銀食器にしてくれたのだから、これはありがたがっていいところじゃない?

 よし、信用はされなくてもいいってことにしよう。


 そう結論付けたところで、シルヴィスさまが入室してきた。

 はあ、何回見ても、美形だわ。


「お待たせして申し訳ない」

「いいえ、さきほど案内していただいたばかりですわ」

「どうぞ掛けてくれ」


 私は王の着席を待って、席に着く。

 シルヴィスさまの後ろから、料理人たちや侍女たちが入室してきた。どうやら給仕してくれるようだ。


「そちらの侍女殿……ローザと言ったか」

「はい。さようでございます」


 ローザは私の斜め後ろで頭を下げる。

 名前、覚えているんだ……。先に報告書が来ているだろうけれど、侍女の名前まできっちり覚えているとは。


「そなたも長旅で疲れているだろう。別室で食事を用意している。よければそちらで休んではいかがだろうか。なに、こちらは給仕人はたくさんいる。心配なさらずともよい」


 ローザがちらりとこちらに視線を寄越したので、私はうなずく。


「ではお言葉に甘えまして。ご配慮に感謝いたします」


 ローザは頭を下げると、退室していく。

 これは。

 やっぱり優しい人なんじゃない? 完璧なんじゃない?

 いやだわ、ニヤつきが止まらない。ローザがいないんだから、しっかりしないと。


「わたくしの侍女にもお気遣いをいただき、ありがとうございます」

「いや、オルラーフからの侍女は彼女一人だから、できればこちらの侍女とも親睦を深めていただきたいと思ってね。実は侍女たちと一緒に食事をとってもらうことにしている」

「まあ、それはありがたいですわ」


 ありがたいけれど、ローザ、大丈夫なんだろうか。

 いやいや、彼女はそれなりにオルラーフ王城でも仕事ができる侍女だったし、変わり者扱いだったけれど他の侍女とも仲良くやっていたし。

 これからのこともあるんだから、がんばって仲良くなってもらおう。うん。


 それから少しの間、沈黙が流れた。

 給仕人はいるけれど、二人での初めての食事。

 謁見室ではちょっと遠目だったけれど、真正面でこうして向かい合っているのは、なんだか気恥ずかしい。

 机はちょっと小さめだから、余計に向かい合っている感じがひしひしとする。

 どうしよう。なんだか顔が熱くなってきた。


「船旅はいかがだっただろうか」


 ふいに声を掛けられて、顔を上げる。

 シルヴィスさまは穏やかに微笑んでこちらを見ていらした。なんだか少し、ほっとする。

 ずっと『恋夢』を読んでいました。と答えるわけにもいかないから、私は必死で言葉を探す。


「ええ、晴れておりましたから揺れもそうありませんでしたし、海風がとても心地ようございました」

「それはよかった」


 一つ会話を交わすと、肩の力が抜けた。


 それから、いろんな話をしながら食事を進めた。

 これからの話がほとんどだった。

 婚姻の儀は三月みつきほどあとだから、それまでにやることとか。

 後宮に部屋が用意されているけれど、なにか特別に欲しいものはあるかとか。

 近いうちに三日間続けて舞踏会を開いて、内々にお披露目したいだとか。


 それらひとつひとつの話を聞くたびに、私の心は舞い上がった。

 私、本当にこの人の妃になるのだわ。

 具体的な話がどんどん進んでいくと、その実感が湧いてくる。

 私は本当に舞い上がっていた。

 この政略結婚に、なにひとつ、障害などないように思っていた。


          ◇


 食事も終わって、最後に飲み物を飲んでいると。


「姫」

「はい」


 呼び掛けられて私は視線を向ける。

 シルヴィスさまはやっぱり穏やかに微笑んで、こちらを見ていらした。


「では今日はお休みになられるといい。後宮の部屋に案内しよう」

「あ、は、はい」


 シルヴィスさまは席から立ち上がる。なので私も立ち上がった。

 後宮。

 王の妃の宮。

 私の終の棲家。

 そこに案内されるということは。

 もしかして。

 そういうことなんでしょうか!

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