第6話 国王陛下にお会いしました

「いいお湯だったわ!」


 私は湯浴みをしたあと与えられた部屋で、ソファに座ってくつろいでいた。

 私の背後では、ローザが私の髪を結っている。


「……私は、姫さまを尊敬いたします……」


 いつもの切れ味はどこへやら、意気消沈した様子でローザは力なく口を開いた。


「どうしたのよ、急に」

「普通にお湯浴みかと思いきや……身体検査も兼ねておりました……。いや、そこまでは予想していたんですけれど……思いの外、あちらこちら触られまして……」

「ああ、私、それは慣れているから」


 私はオルラーフでもお湯浴みは、どんなときも必ず侍女が手伝ってくれていた。

 今日は多少、いつもより念入りに洗われた……というか、本当に身体検査を受けた感じだったけれども、まあそれも普段の延長線上にあるような気分ではあった。

 ローザは基本的にはいつも自分で自分の身体を洗うから、衝撃だったんだろうなあ。


「そんなことをしても無駄ですのに……」


 ぼそりとローザが零す。

 まあでも、やらないといけないというのは理解できるのよね。

 だから私たちはその話を続けることはなかった。


「でも見てよ、このドレス。お気に入りのドレスを取られちゃったからちょっと悲しかったんだけど、これもとても素敵よ」


 私はドレスを少しつまんで持ち上げてみた。

 藤紫色のドレスは、それだけでとても華やかで高貴な感じがするけれど、胸元や袖口にあしらわれたレースはとても細やかで、手が掛けられたものだと一目でわかる。ドレスの裾あたりから腰のほうに向けて金糸で刺繍が施されていて、動くと反射してきらきらと光った。


「やはり財力は大事ですね」


 ローザはうなずきながら、相変わらず情緒のない返答をする。


「これ見て言う感想がそれなの?」


 振り返ってそう言い返すと、彼女は小さく苦笑した。


「まあ、ともかく姫さまが前向きで良うございました」


 どうやらローザももう落ち込んではないらしいので、安心する。

 そのとき、部屋の扉がノックされた。どうぞ、と返事をするとゆっくりと開く。

 そこにいたのは外務卿だった。


「失礼いたします、エレノア王女殿下。ご用意はできましたでしょうか?」


 背後のローザが、ちょうど私の髪に髪留めを留めたところだった。

 ちなみにこの髪留めも、もちろんアダルベラス側で用意されたもので、紫水晶と金があしらわれた細やかなレースのヘッドドレスだ。

 さっきローザが「売ったら、いくらくらいかしら」とかつぶやいていたけれど、それは聞かなかったことにしよう。


「ええ、大丈夫ですわ」

「では謁見室のほうへご案内いたします」


 私は立ち上がるとローザが差し出す扇を手にし、外務卿のほうへ歩を進める。

 ついにアダルベラス国王陛下に会えるのね!


 どんな方かしら。お優しい方かしら。さきほどの王弟殿下に似ているかしら。王弟殿下は少々お腹は出ていらしたけど、痩せたらけっこう美形になるんじゃないかって感じだったから、期待してもいいかしら。

 そんな感じのことを考えながら、外務卿の案内に従って歩く。


 ローザも私の斜め後ろをついて歩いてきているけれど、外務卿もいるし、廊下には衛兵や侍女もかしこまって控えているし、さすがにきゃっきゃっとはしゃいで話しながらは歩けないものね。いやローザはまったくはしゃがないだろうけれど。


 黙っていろんなことを考えていると、どうにも顔がニヤけてきて仕方ない。私は扇を開いて口元に当て、顔を隠しながら歩いた。


「こちらでございます」


 控えていたアダルベラスの侍女が二人、扉に近寄ると、両開きの扉をゆっくりと開けた。

 私たちはその中央を歩き謁見室に入室する。

 中には、重鎮と思しき男性たちや侍女たちが窓際にたくさん控えていた。

 前のほうにある玉座に目をやると、まだ国王陛下は来ていない。


「王女殿下、どうぞこちらでお待ちください」


 開いて指を揃えた手で、玉座の前のほうに促される。

 そちらに向かって歩いていると、重鎮たちや侍女たちがなにやら目くばせをしたり、中にはひそひそと耳打ちしたりしているのが目に入った。


 いったいなにを話しているのかしら。

 あれかしら、なんてお美しい……、とか。気品が溢れていらっしゃる……、とか。

 そうだといいんだけどな。

 ローザならきっと、「値踏みされているんですよ。しっかりなさってください」とか注意するだろうな。


「国王陛下のお成りです」


 衛兵の声が響き、途端に謁見室は緊張感に包まれた。

 私も背筋を伸ばして、その入室を待つ。


 開かれた前のほうの扉から、かの人はゆっくりと歩いてやってきた。

 そして玉座に腰掛ける。


 アダルベラス国民特有の栗色の髪。濃緑の瞳。

 きりりとした眉に大きな瞳。鼻筋は通っていて、薄い唇は固く結ばれている。

 その整った顔立ちを、きちんと手入れされた栗色の口髭と顎髭が囲っていた。

 玉座の肘掛けにゆったりと置かれた手は大きくて。体躯はがっちりとしていて頼もしい。

 これが、アダルベラス国王、シルヴィスさま。


 来た! 来たわ、これ!

 美形のオジサマ!

 ほーっほっほっほ、勝ったわ!


 私はローザのほうに振り返ると、勝利の笑みを浮かべた。

 けれどローザは私を見ていなかった。

 彼女の視線は、シルヴィスさまのお腹に注がれていた。

 黒を基調とした丈の長い外套を着ているからローザの位置からでは見えにくいんですね。

 お腹が出ているのか出ていないのかにこだわっているんですね。

 でも残念でした! 出てないわ!


 私はにやけ顔を隠していた扇をぱたんと閉じると、ドレスの裾を上げ、少し膝を折った。


「ご拝顔賜り光栄です。わたくしはオルラーフ王国第一王女、エレノア・アン・オルラーフと申します」


 そう挨拶して笑顔を浮かべて顔を上げる。

 いや、笑顔というか、極上の笑みを浮かべようとしているのだけれど、ニヤついているかもしれない。というか、ニヤついている。歯が出ちゃう!

 いけないいけない、淑女らしい美しい笑みを浮かべなきゃ。

 でもだって、ここまで素敵なオジサマだとは思っていなかったから、ニヤついちゃうのは仕方ないじゃない!


 そうやって自分の顔と格闘していると、シルヴィスさまはけれど、しばしの間、なにも答えずにこちらをじっと見つめていた。


 うん?


 私はこちらを見るシルヴィスさまの濃緑の瞳を見つめ返す。

 意図せず睨み合いのような状態になってしまっている。これは、どうしたらいいんだろう。

 室内にいる人たちも、なんだか戸惑っている様子だ。


 ……もしかして、ニヤついていたから驚かれてしまったのかしら。

 そうよね、淑女にあるまじき表情ではあるもの。

 あああ、どうしよう、最初から失敗しちゃったのかしら……。


 シルヴィスさまは、はっとしたように身を引くと、拳を口元にやってひとつ咳払いをしてから口を開いた。


「いや失礼」


 初めて聞くシルヴィスさまの声は、私の耳に染み渡るように響いた。


「余はアダルベラス国王、シルヴィス・アイン・アダルベラス。よくぞお越しくださった」

「歓迎のお言葉、痛み入ります」


 はあ……低い声も素敵。

 どうよ、これ。

 かなりフェリクスのイメージに近いんですけど。


 ローザ風に言うと、あとは優しさだけね。

 でも見たところ、とてもお優しそうな方だわ。いや、話してみないとわからないけれど。

 完璧!

 ほら、『恋夢』はそんなに現実離れした話ではないってことよ。


 そしてまた、二人の間に沈黙が訪れる。

 ん? どうしたんだろう。

 また、睨み合いのような感じになってしまっている。

 私に視線が合っているから、ぼうっとしているわけでもなさそうなのだけれど。

 そこかしこで不審げに顔を見合わせたりする人が現れていた。


 順番を考えれば、ここはシルヴィスさまからお声を掛けられるのを待つところなんだけれど。

 え、私から話し掛けるべきなのかしら。失礼じゃないかしら。


 するとまた、はっとしたように姿勢を正すと、シルヴィスさまは口を開いた。


「失礼。少々考えごとを……長旅でお疲れのところ、申し訳ない」

「いいえ、大丈夫です。疲れてなどおりませんわ」


 だって、船の中ではずっと夢中で『恋夢』を読んでいましたから。

 私は今度こそ淑女の笑みを浮かべようと、微笑む。

 するとシルヴィスさまも柔らかな笑みを返してきた。

 なんだか安心してなにもかも委ねたくなるような、笑みだった。


「そうは言っても、今日はゆっくりされるといい。侍女か誰かに指示していただければ、必要なものはすべてご用意しよう。だがその前に、夕食を準備させている。よければ一緒にどうだろうか」

「まあ、嬉しいですわ。ぜひ」

「ではまた後ほど」


 そう話を打ち切って立ち上がると、シルヴィスさまは謁見室を出て行った。

 あっという間だったけれど。

 まるで夢でも見ているような心地で、私はその背中を見送ったのだった。

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