第4話 アダルベラスが見えてきました
「もう少し現実に寄せた話でしたら陛下も王妃殿下も安心なさったかもしれませんけれど、『恋夢』ですから」
ローザは、はあ、と息を吐いた。
いや、そこまで現実離れしている話でもないと思うのだけれど。
普通に恋愛のお話なんだけれど。
「姫さまがあんまり夢を見ておられるからお二人は心配なさって、現実を見て悲しむ前に、私に現実を叩きこんでほしいと仰られたんですよ」
知っている。
出発する前日、私はお父さまとお母さまに呼び出されて滔々と語られたのだ。
「アダルベラスは王女を身ひとつで嫁がせて欲しいと言っている。なにひとつ持ち込んでくれるなと。どんなものでもアダルベラス側で用意するとは言われているが」
「なんて酷い仕打ちでしょう」
「けれどなんとか侍女を一人だけ付けることが許可された」
「だからローザを連れて行きなさい。あなたは少し夢を見過ぎているようなところがあるから、ローザくらいの現実主義者がちょうどいいわ」
などと説明された。
お父さまは涙をこらえ、お母さまは滂沱の涙を流していた。
「そんなに心配することないのに。私は大丈夫よ。アダルベラスに行くのが楽しみなくらいよ?」
私が微笑んでそう口にすると、なおさら二人は涙を流した。
「すまない……エレノア」
「なんの力もなくてごめんなさい……」
そんなふうに謝罪しては、さめざめと泣く。
いや、だから、本当に大丈夫なんだけれど。
何度言っても納得してもらえなかったから、そのままにして泣かせた。
嫁ぐのが嫌だなんて口にしたことはないんだけどなあ。
人は信じたいものしか信じないっていうのは本当よね。
私は別にアダルベラスに行っても大丈夫。
けれどローザは違う。
私のために、生まれ故郷を離れなければならなかったのだ。
「……嫌だった?」
「いいえ」
「ならいいけれど」
きっぱりと否定するその言葉に、私は安堵の息を吐く。
それからローザは淡々と続けた。
「というか、オルラーフの権力と財力をお持ちの殿方はもうほとんど売れてしまっていましたが、アダルベラスには残っているかもしれませんし」
「はい?」
ちょっと待って。いったいなにを語り出しているんだろう。
「もしどなたかいらしたら、嫁いで悠々自適に暮らしたいと思います。その場合、姫さまは一人でがんばってください」
そんなに堂々と言うことじゃない。それは職務放棄だ!
「……成金の武器商人がいたら?」
「願ってもない良縁です」
ローザは大きくうなずいた。
まさかそんなことを狙って私に同行することを了承したとは。
しかし唯一許されたたった一人の侍女が、こんなに簡単に職務放棄を考える人だったとは。
お父さま、お母さま。人選を誤りましたよ。
「まあでも、世の中そんな旨い話はありませんから。あったらいいな、くらいのものです。私は姫さまのお付きとしてがんばりますから、姫さまも私にたくさんの給金が払えるようにがんばってください」
「……善処します」
「それは良うございました」
いつの間にか階段を昇りきって踊り場に到着する。
ローザが前に進み出て、甲板へと続く扉を開けた。
潮風が私の髪を揺らす。陽の光が眩しい。海鳥の鳴く声が響いている。
「んー! 気持ちいいわね!」
私は両腕を上げ、身体を伸ばした。そのまま上を見上げると、帆が風を含んで膨らんでいるのが見える。
ああ、私の輝かしい未来へと、風の女神の加護を受けて船が進んでいるのだわ。
船酔いでへたばっていた侍女たちは甲板に固まっていたけれど、私の姿を見ると駆け寄ってきた。
「姫さま!」
「姫さま、もう少しでございますね」
「なんて、おいたわしい……」
「どうしてこんなことに」
侍女たちはそんなことを口々に言いながら、目頭を押さえている。
どうしてこう、誰も彼も悲観的なのかしら。
この大きな海を見てみなさいよ、細かいことはどうでもよくなるわよ、と言いたい。
「大丈夫よ。私、楽しみなくらいなのよ?」
「姫さま……でも、でも、あんまりな仕打ちです」
「そうです、侍女を一人だけだなんて」
「なにひとつ持ち込むことが許されないなんて」
うん。それは確かに酷いと思う。
つまり『恋夢』をこの船から持ち出すことができないってことなのよね!
どうしてくれるの。今回の話をもう一度読みたくなったら、私はいったいどうしたらいいのよ。
私はこの最大の懸案事項について考えてみる。
そしてあっさりと結論を出した。
そうだわ。
決めたわ。今、決めた。
私のアダルベラスでの第一目標は、『恋夢』の輸入だわ!
「まあ仕方ありません。オルラーフ王家の歴史は毒殺の歴史ですから。荷物を持ち込むことに警戒するのは当然のことです」
しれっとローザがそんなことを話すものだから、侍女たちはそれぞれに大きくため息をついた。
「ローザはこんなだから……」
「ちゃんと姫さまをお慰めして差し上げられるのかしら……」
いや別に、慰めてもらわなくても。
むしろ、がんばれ! って励ましてもらってもいいのだけれど。
さめざめと泣く侍女たちを前に、私は戸惑うしかないのだった。
もう何年、皆のこんな姿を見てきただろう。
お可哀想な姫さま、なんておいたわしい、どうしてこんなことになってしまったのか、と目の前で何人に涙を流されたのか、正直なところ覚えていない。
皆、とにかく悲観的なのよね。
どうして私がアダルベラスで幸せに暮らすって想像ができないのかしら。
私の頭の中では、私は伝説の王妃になっているんだけれど。
「姫さま」
ローザに呼ばれて振り返る。彼女は苦虫を噛み潰したような表情をして、私を見つめていた。
「なに?」
「今、ものすごい想像をしていませんでした?」
「……ものすごいって、なによ」
「崇め奉られているような想像とか」
ローザって、本当に凄いわね。どうしてわかったんだろう。
はあ、と何度目かもわからないため息をつくと、ローザは口を開いた。
「やっぱり『恋夢』は良くない物語ですね」
「ええっ? なによ急に!」
今、どうしてそんな話に。
私の宝物を、なんで批判されなきゃならないの。
私の不満げな表情を見たローザは、淡々と続けた。
「あれはやっぱり現実から離れすぎています。だから夢みたいなことを思い浮かべるのです。もう少し現実的な物語を読まれたほうがいいと思います」
まあ、これからしばらくは『恋夢』を読むことはできないんだけれど。
でも私はこれから『恋夢』輸入に尽力するつもりなんだから。ローザがそんなのじゃ、邪魔されかねない。
よし、とりあえずは『恋夢』輸入を企んでいるのは黙っておこう。
「そんなに言うなら、書いたらいいじゃない。ローザのお気に召す現実的な物語を。そうしたら、それを読むわよ」
「書く……。私がですか?」
「そう」
私の提案に、ローザはうーんと考え込んだ。
「書き上げた暁には、『アダルベラス王妃が大絶賛!』って宣伝していいですか」
「いいわよ、書けるものならね」
そして、その夢も希望もない物語が売り出せるものならね。
誰が読みたいんだろう、そんな話。
「あっ、姫さま、見えてまいりました」
侍女の一人が呼び掛けてくる声に、私は顔を上げる。
そして船の舳先に向かって歩いた。
遠くに島影が見える。
王国アダルベラス。
私がこれから暮らす国。
そして私がこれから恋をする場所。
私は私の未来に、ときめきを止められなかった。
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