第12話:ぼくの居場所は……


 それと同時に、何か脳に直接響くような音が聞こえてくる。

 一気に気持ちが悪くなる。

 気持ち悪くて、吐き気が止まらない。

 ぼくはこんな怪異、見たことがない。

 早く……決着をつけないと。


「あれ、なんで決着をつけないといけないんだっけ?」


 妙に頭がふわふわする。何だっけ、何だっ――


「あいつの眼に見られちゃダメー!」


 あいつの眼?

 なんで、なんで見られちゃいけないの?

 なんで……えっあれ。

 ぼくは何を。


 あいつの眼に見られるな。

 なる、八つの眼といいそういう事。

 今の叫びで白いオオカミはすべての眼を女の子に向けた。

 こいつは人間と同じように、蜘蛛のような眼を持っているくせに別々に動かすことはできないようだ。


 だけど刀、刀。

 ぁ、そうだ、刀はもう。

 なら他の! 確か伊藤さんが怪異にも効く銃を持っていたはず……。


 白いオオカミの眼が女の子に行っている間に、素早くぼくは伊藤さんの懐を探る。

 どこにあるかは分からないけど、確か腰のポーチに仕舞ってた。

 ……あって……、あってよ……、持ってきててよ……。


 …………………………


 ――あった!


 ってチェーン!

 取り外そうとしても、その前に女の子が……。

 ならこのまま! 

 本当は銃なんか大っ嫌いなんだけど、好き嫌いしている場合じゃないよね。


「こっちこっち!」


 ぼくはできるだけ誤射しないように白いオオカミへと呼びかけ、こちらに意識を集中させる。

 奴がこっちを向いた時を見計らい、一気に引き金を引いた。


 パンッ! と、銃声が鼓膜を何度も叩く。

 銃の反動は、牙となって躊躇なくぼくの肩へと食らいついた。

 生まれて初めて使う銃。

 宙を直線に走った弾は邪視の腕を貫いた。


 鮮血が舞う。

 邪視が吠えた。

 怯む仕草すら見せず、廃墟に響くほどの声量で吠えてくる。


 鼓膜が破れるっ!

 それでもぼくは、弾切れとかは考えず、何度も近づいてくるオオカミを撃って、撃って、撃ちまくった。


 生き残る為に。

 銃を握り締めて。

 ただひたすらに撃ちまくる。


 白い肉が弾け飛んだ。

 白いオオカミは何度かよろめく様な動きを見せると、踵を返してその場から飛び去った。


「終わっ……た」


 零れ落ちた銃と共に、ぼくは力を失いその場にへたり込んだ。

 何とか危機は脱した……みたい。


 後に残ったのは狂ってしまった秋野先輩と伊藤さん。

 女の子が事前にもう連絡をしてからだろうか、警察と救急車は終わって間もなく、到着するのであった。


  *  *  *


「いやー失敗失敗。迷惑かけたね、氷濃」


 病院のベッドで起き上がり、頭をかいてそう笑う秋野先輩。

 頭だけじゃなく、体の隅々にも包帯が巻かれている。

 それとは別に、頬に真っ赤な手形が張り付いている。

 怪異じゃない。

 さっき来ていた秋野先輩の母親がつけたものだ。

 扉の外から、良い音が響いていたのを覚えている。


 ぼくがもう少し早く来ていれば。

 ぼくにもう少し力があれば。

 最初からぼくが刀を取り出していれば、秋野先輩がこうも痛々しい姿になることは無かったのに。

 警察には野生動物に襲われたってことにしておいた。

 それにしてはといろいろ聞かれたけど、無言で黙っていたら何も言われなかった。


 ぼくも家族と先祖に怒られたけど、直接的な原因じゃないからか、深いお咎めは無かった。


 けど、でも、秋野先輩があんな目にあったのはずっと遡ればぼくのせいだ。


 ぼくが怪異を斬る能力を持っていなければ、ずっと細々とやってこれていたはずなのに。

 ぼくがいたから……。


「しばらくはみんなの言う通り、安静にする。それで治ったら」

「秋野先輩」

「あっ、そうそうほんとごめんね氷濃。だからまた」

「秋野先輩」

「なに氷濃? 新しい怪異でも見つけた?」


 本当に、この先輩は小学生だ。

 怪異に襲われたというのに、瞳は変わらず輝きを放っている。

 無邪気な少年のような無垢の目を、向けてきていた。

 けど、ぼくは――


「秋野先輩。ぼく、新聞サークル抜けます」


 秋野先輩に、そう言い放ったのだ。


  *  *  *


 ……暇だ。

 そして眠い。

 今日も今日とて、授業終わりのチャイムが鳴る。

 本当にいつもと変わらない暖かな日差し。

 前にもこんなことがあったようなと、夢現ながらに考える。

 やっぱり、雅子先生の声は眠くなる。

 このまま二度寝できそう。

 いや、もう眠い。


「ふわぁ」


 あくびが出た。

 頭の中が空白になっていく。

 何かを考えようとすれば、途端に泡となって弾け飛ぶ。

 考えようとすればするほど、意識がどこかに飛んでいくような気がして。

 でも教室だと邪魔だからね。

 最近見つけた良い暖かスポットにでも……。


 ……。

 何でだろうね。

 おかしいな。


 たどり着いたのは新聞サークル教室前。


 ぼくはもうやめているのに。


 ドアノブを握った手から力を抜き、踵を反してその場から去る。


 …………はぁ、眠い。

 あそこ行こっ、あの絶妙な木陰に。

 あそこなら、変わらず眠れるはず。


 ぼくはあくびを溢して歩き出そうとしたとき、後ろから声をかけられた。


「ちる! 聞いたよ。新聞サークル止めたってね」

「ああ、早乙女先輩ですか」


 そう言えばいつから早乙女先輩って、ぼくの所に来なくなったんだろう。

 新聞サークルに入ってしばらくは来ていたような気もするけど……。

 覚えていないし、どうでも良いかな。


「どうかしましたか?」


「改めて、剣道に来ない?」


 ……剣道かぁ。

 ……なんか、やれる気分じゃない。

 けど、竹刀を持ってみれば何か分かるかな? 先祖以外と戦ってみれば、何か、よく分からないこの感覚を、知ることができるかな?


「体験という形であれば」

「……そう。後悔はないの?」

「後悔……とは?」


 後悔なんてないと思う。

 だってぼくがいたら、秋野先輩はあのまま危険に身を投じるだろうし。

 あそこで離れなければ、いつしか取り返しのつかないことになっていたかもしれない。

 

 またぼくのせいで、誰かが不幸になるのは――。

 病院で、傷ついた秋野先輩を見るのは――。


「……分かった。今日は体験でね。じゃあ行きましょう」


 早乙女先輩にこの大学にある道場まで連れられた。

 その途中、校門前が見える位置に女性がいた。


 秋野先輩だ。


 たったひとりでチラシを配っている。

 たったひとりで、偽りの笑顔を貼り付けて。

 あれが本当の笑顔じゃないのが分かるくらい、ぼくは一緒にいたんだね。

 なんだか少し、痛い。


 久しぶりに入った、ぼくの家とは違う学校の道場。

 古びた木材の特徴的なにおいではなく、畳に使われているイグサが鼻を刺した。

 ぼくは早乙女先輩から竹刀を借り受け、久しぶりに振ってみる。

 

 ビュンと風を斬る音。

 手から伝わるのは腕全体にのしかかる重みのある真剣じゃなく、あまりにも軽い竹刀。

 他の顔も知らない女性たちがうるさいくらいに声を出し、素振りの練習や基礎トレーニングで体を動かしていた。

 ここが普通の現実光景であるはずなのに、ぼくが今までいた場所とはまるっきりの異世界で……。

 何となく居心地が悪いような、この場所にいるのが場違いのような、そんな感情に包まれていた。


  *  *  *


「「ありがとうございました」」


 手合いをした相手に、ぼくは頭を下げる。

 こう言っては失礼だけど、ここのレベルはかなり低い。

 あんまり本気を出さずとも、簡単に一本取れてしまう。

 やられた相手もそんなに悔しそうにはしていない。

 負けたと割り切り、それはそれで楽しんでいる様子だった。

 本気で打ち込んでいる様子には見えなかった。


「ちる、お疲れ。……じゃないね」

「……お疲れ様です、早乙女先輩」

「防具つけずに行こうとしたときは、こっちもヒヤヒヤしたものよ」


 あれですか。

 ぼくもホント、いつの間にか忘れていましたよ。

 そういえば先祖との手合いも、いつしか防具をつけないものになっていたっけ。

 いつからだったっけ。


「……。はぁーーー」

「そんなため息をしていると、幸せが逃げますよ?」

「その理屈なら、私よりちるの方が大放出してる。……多分、ここはちるの居場所じゃない。新聞サークルに戻りなよ」


 そうしたいのはぼくもやまやまだけど。

 けどそれだと、秋野先輩を危険な目に合わせてしまう。

 ぼくが怪異を斬ってしまうから、もっともっと危険な場所へと突っ込んでいってしまう。

 秋野先輩は、小学生のように好奇心旺盛な先輩だ。

 だから、ぼくがいると。


「何があったかは知らないけど、最近のちるを見てて思ったよ。楽しそうだった。面白そうにしてた。でも今日のちるは高校の時と同じように……、世界のすべてに諦めたような目をしてた」

「すべてに諦めたは言いすぎですけどね。ぼくにも楽しみはあります」

 

 先祖との修行とか。

 家族と居る時間とか、お風呂やご飯の時間とか。


「訂正。少なくとも学校にいる時間はね。秋野もなんだか寂しそうだったし。まっ、何かあったらまた来てよ。そしたら今度こそ、ちるを剣道に引き抜いてやるから」


 早乙女先輩もブレませんね。

 そう早乙女先輩と駅近くで別れた後、ぼくも歩いて帰路につく。

 久しぶりにたったひとりで帰る夜道。

 空を見上げれば、多くの雲が浮かんで星を隠していた。

 まるで、何か闇が迫ってきているかのような、そんな印象。


 本当に静か。

 周りはうるさいはずなのに。

 けど、なんでか静かだった。


 誰かと話すこともない。

 人のがやで少し騒がしい町中を、ぼくはただ歩いていくのだった。

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