第11話:邪視狼
……何を言っているの?
ぼくが先輩を引き込んだ?
……いつ?
だって秋野先輩はぼくが入る前から怪異中心に撮っていた。
引き込んではいない。
「昔の記者は、遠くから気づかれないように撮っていたらしいな。それで新聞がつまらないとか言われていた。違うか?」
言っていた。
確かに秋野先輩は言っていた。
じゃあ、ぼくが怪異を斬れるせいで……、ぼくが秋野先輩の身の安全を保障したせいで……、秋野先輩はより危険な怪異に首を突っ込むようになった……?
…………嘘だ。
いやでも、本当に。
思えば秋野先輩はぼくが手を貸すようになってから、より危険な存在へと首を突っ込んでいった。
簡単に斬ってしまうから、写真から消えないより強い怪異へと向かっていった。
本当に……、ぼくが。
「俺たちはお前のような人材を望んでいる。もし入る気があればいつでも連絡してくれ」
それだけ告げた伊藤さんは、壁から背を放してどこかに行ってしまった。
いつ渡されたのか覚えてないけど、ぼくの手には一枚の紙が握られていた。
* * *
「先祖は、道に躓いた時ってありますか?」
「なんじゃいきなり」
「いえ、ただ少し。悩んでいまして」
先祖の言いつけ通りに今日の修行はお休み。
それでもぼくは道場に行って、縁側にてお茶を啜っていた。
お茶の味は良い。
心身ともに癒しを与えてくれる。
日本人って感じ。
「年頃の
「そうですか」
ぼくは控えめに笑ってしまう。
なんとなくその光景が頭に浮かぶ。
なんだか、先祖らしいね。
「どうしたんじゃ? まさか、また強い怪異に挑もうとは思ってないだろうな?」
「もし思っているといえば、どうしますか?」
「そうだな。いつもの修行をもっと厳しくしてやろう」
裏の顔が若干覗いていますよ、先祖。
怖いので止めてもらっていいですか?
けど、どっちの顔でも基本ぼくを思っているのは違いない。
厳しくするのも、疲れ果ててそんな場所に向かえないようにするためか、それとも負けないように鍛えなおすためか。
多分両方だろうなー。
「もう一度言うが、危険な事はほどほどにの」
先祖は何事もなかったかのようにそれだけ言うと、お茶を飲んでいた。
そうしてのんびりしていると、妹にまたひとりでお茶を飲んでいる。
友達に恥ずかしいからやめてと注意を受けてしまった。
相変わらず、妹に先祖の姿は見えていない。
隣をむけば、暖かな日差しを受けつつ先祖はついでに出した団子に手をつけていた。
空中に浮かんでいるように見えるはずなのに、妹は特に反応を示さない。
現実改変能力でも持っているのかね。
「それじゃ先祖。今日はこの辺りで」
「いつでも来るとよいぞ」
先祖はそう、笑っていた。
* * *
結局、今日は何にも覚えてない。
ご飯の味。
テレビの番組。
妹の小言。
いつもリラックスする時間となっているお風呂。
お風呂上がりに牛乳を飲んだのかどうかすら。
…………こんな気分になるのは初めて。
一応お休み前に道場寄って先祖に呪われていないかどうかの確認をしておいたけど、単なる疲労だから大丈夫だって言われたし。
「ふわぁ」
今日はもう寝よ。
さよなら、リアルワールド。
こんにちは、ドリームワールド。
ベッドに入り込み、身を預ける。
フカフカだからかすぐに夢心地に――ってところで、携帯のバイブが震えだす。
いきなり誰? といっても相手は分かっている。
こんな時間にかけてくるのはあの先輩しかいない。
ぼくは無言でスマホの受信ボタンを押した。
「はい、ふわぁもしも――」
「大変、大変だから。氷濃も早く来て」
いつもと違って声が静かだ。秋野先輩らしくない。
「どうしたんですか?」
「えっと、その……場所はこの県の端っこにある森の中の廃墟だから。お願い、早く来てぇ。とにかくお願い、ホントに早く来て!」
それだけ告げると、秋野先輩は勝手に電話を切ってしまった。
……まさか、またぼくに連絡なしで怪異に向かったのか。
あれだけ一人で行くのは危険だって言ったのにっ。
ぼくは急いでベッドから飛び出し、急いで着替える。
そのまま飛び出そうとしたところで刀を忘れたのを思い出し、取りに戻る。
こんな事になるなら、ちゃんとお夕飯食べておけばよかったっ!
「すいませんこんな時間に。はいっ、今すぐ。お願いしますっ」
さっさといつも通りの準備を終えて、スマホでタクシー会社に連絡する。
家族にもちょっと出てくると一言告げてから、数分して到着したタクシーに飛び込んだ。
場所を告げ、目を閉じて精神統一。
間に合って。
早く、間に合ってよ。
雑念が酷い。
こんなの初めてだ。こんなの。
って、もう?
料金をちゃちゃっと支払い、森の中に……えっと、森の中の廃墟ってどこ?
これを虱潰ししないといけないのーーって、――今見えた光は。
確かに森の中で不自然に一定の間隔でフラッシュが焚かれている。
もしかして秋野先輩? あそこに行けばいいわけね。
そう考えていたら、もうすでに足が動いていた。
こんな夜に。
森の中を。
枝や木々の間を駆け抜け、ぼくは無我夢中で足を動かした。
途中木の根に足を躓けた。
いつもより早く呼吸が乱れた。
途中で強い雨が肌を叩いてきた。
服が枝に引っ掛かり、無理やり引っ張ったせいか破れた。
けど走った。
無事でいてくださいよ、秋野先輩。
休まず走り続けると、無機質な扉が見えてきた。
ここからでも、確かな気配がビンビンに届いてくる。
この気配、前の山の神には遠く及ばないけど、かなり大きい。
怪異にここまでの気配を放てるなんて。
ほんと何に手を出したんですか、秋野先輩。
ひときわ気配が際立つ中庭への扉を、願いと希望をもって勢いよく開けた。
そこに広がっていたのは地獄だった。
伊藤さんが……同じ言葉を、白目を向きながらよだれを垂らし、繰り返していた。
秋野先輩が、壊れた射影機のように……無意味にカメラのボタンを押していた。
二人とも、正常じゃない。
狂っていた。
「こないで……」
僅かに聞こえた声にそちらを向けば、高校生くらいの女の子と白いオオカミ。
何あのオオカミ……。
横半分しか見えていないけど、目が二つある。
赤い。
血に濡れたかのように、紅に染まっていた。
そのうちの一つが、ぼくの姿を捉えていた。
そして今まさに、その白いオオカミは、女の子に大木ほどの太さはある腕を振り上げていた。
「イヤァァァァァァァァ!!」
とりあえず秋野先輩は後回し!
今はこのオオカミをどうにかしないと!
ぼくは刀を袋に入れたまま、女の子とオオカミの間に入り込み、その腕を受け止めた。
重いっ!
ガツンと、体の芯に響く一撃。
防いだはずなのに、意識が刈り取られそうになる。
そして何よりも。
ぼくの腕がハの字になる。
袋は曲がってはいけない方向に曲がっていた。
オオカミは後ろにジャンプして、蜘蛛のような真っ赤に染まった八つの瞳を、新たな侵入者であるぼくに注いできた。
長年使ってきた愛刀は、――今の一撃で分かれていた。
* * *
雨の音が無性にうるさい。
同じように、何かのハウリング音が鳴り響く。
うるさくて、うるさくて、うるさくて仕方がない。
クモのように八つの瞳を持つオオカミは、ぼくを睨みつけていた。
睨みつけているかは分からないけど、ずっとぼくを映している。
今はこれしか、ない。
ぼくは女の子の近くにある鉄パイプを手に取った。
いつもと持ち手が太くて、どうも調子が狂う。
でも、やるしかない。
オオカミが飛び出した。
一撃、二撃と相手の攻撃に合わせて鉄パイプを振り、いつもの要領でオオカミに一撃入れた。
が、全く怯んだ様子のない怪異に、ぼくは再び吹き飛ばされた。
咄嗟に鉄パイプでクッションしたけど、もうひしゃげて使えそうにない。
「頭が、割れる!」
途端にすべてが無気力に思えてくる。
何もかもに、ぼくが生きているのに、意味があったのだろうか。
怪異を斬ることが出来ないぼくに。
結局秋野先輩を助け出すことが出来ないぼくに、意味はあるのだろうか。
赤い瞳が怪しく輝いた。
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