第10話:怪異を討つ者

「はぁ、はぁ、ッッ。はぁー」


 下り道をダッシュするのがここまで過酷とは思わなかった。

 今度から修行メニューに組み込もうかな?

 なーんて冗談、今は言いにくいね。

 隣では、伊藤さんも同じように肩で呼吸をしている。

 実に苦しそうな表情を露わにして。

 あの異形が追ってくる気配はない。

 ……も含めて。


「逃げきれた? 氷濃、逃げ切れた?」

「大丈夫そうですね。ここまで追ってくる感じではなさそうです。気配はまだしていますけど」


 さっきから裏山全体を包み込むかのように、とんでもない気配をブンブンまき散らしている。

 もうこの山に、入ることはできないね。

 何より、もうあんなのを相手にしたくない。


「道理で、今までやってこれたわけだ」


 もう既に呼吸を整え終えた伊藤さんが、姿勢を正して納得するかのように言ってきた。

 その手に、拳銃を携えて。


「そういう伊藤さんこそ、何者なんですか? 特にその銃とか」


 普通、日本だけで暮らしている限り、銃を持つことはない。

 精々警察とか、闇営業であれば無きにしも非ずだけど。

 けれど、今回はそういった話ではない。


「怪異を怯ませる銃なんて、聞いたことが無いですけど」


 まだ矢とか斧とか、杖とか鉾なら分かる。

 あれらは日本古来の……、武器の一つだから。

 けど銃は違う。

 これらは生物を弑しるのに特化しているのであって、神や幽霊などに傷をつけるなんて事、できるはずがない。

 できるはずがないんだ。


 なのに実際、この人は目の前で傷つけて見せた。一体……。

 ぼくは秋野先輩から刀袋を受け取り、紐を結ぶ。


「その言葉、そっくりそのまま返そう。上杉君、お前は何で怪異を斬れる」

「……斬れるから」


 それはぼくも知らない。

 先祖と修行をするようになったその日からとしか。

 だからただ斬れるからとしか言いようがない。

 伊藤さんが周りから見えない様に、銃を腰のポーチに仕舞いこんだ。


「それと同じだ。撃てるから」


 秋野先輩が手を上げて言う。


「それじゃあなんで海斗さんは、銃を持っているんですか?」

「機密情報だ」


 そう言って、伊藤さんははぐらかす。

 撃てるからという理由で、売ってて買える刀はともかく、銃を持つことはできないだろう。

 もしそれが秘蔵の品だとするならば、いや、銃が秘蔵の品物ってのもおかしいよね。どのみち強引な手段でしか、聞きだせないだろう。


「通報するといってもですか?」

「山の中で刀を振り回して、逮捕されたいなら呼べばいい」


 なおも表情を崩さない。

 淡々と言い切り、伊藤さんは全くの感情を見せてはくれない。

 

 ぼくの刀を見逃す代わりに、伊藤さんの銃も見逃せってことね。

 うーん、ぼくとしては深く聞き出す必要性はないし、それでもいいかな。

 秋野先輩はどうしても聞きたそうにしているけど。

 今更過ぎるけど、好奇心は猫を殺すって言葉もある位だしね。

 それなら。


「分かりました」


 ぼくはそれ以上の言葉を、口に出すことは止めた。


  *  *  *


「山へ行ったのですか!?」


 っと、鬼気迫った表情で身を乗り出してくるご年配。

 あれが一体何なのか。

 一体どんな存在なのかは、分からない。

 けれど、聞いておかないといけないような気がしたから。

 ぼくと秋野先輩は、伊藤さんに無理を言って、村長さんに話しを聞き出そうとしていた。


「……これを聞いたら、速くここから出ていってください。でないと死にます。できれば今すぐと言いたいところですけど」


 場に緊張感が走った。

 ごくりとぼくは喉を鳴らした。

 あの異形に、正式な名前はついていない。

 ただここの住民からも、一応の区別として、神モドキと呼ばれているそうだ。


 昔は現代で考えることができないほど、多くの命が奪われた。

 子どもや大人は関係なく。

 畑の豊作を願い、今では何の根拠もない理由で老若男女問わず生贄にされていった。

 何か発散されるのか。

 それとも宗教がある様に、生贄を捧げたから大丈夫だという考えに至ったのか。

 村の人達はより精を出し、その間村は豊作状態だった。

 しかしある時、想定外の事が起こった。

 なんてことは無い。

 生贄の一人が、普通では考えられないほどの霊力を持った人だったらしい。

 畑が呪われた。

 作物が育たなくなった。

 育った野菜を食べた人が、変な病に侵された。


 それだけじゃない。

 今まで生贄に捧げてきた彼らの感情を、一身に集めたというのだ。

 日々力を増す呪いの力。


 これではいけないと村の人達は、強力な霊媒師の青年を雇ったそうだ。

 悲劇を終わらせるために。

 そして、完全に抑えることはできなかった。

 あまりにも多くの怨念をため込め過ぎてしまったがために。


 すると村の人達は今度、『御霊信仰』というものに手を付けた。

 強力な怨霊を鎮めて『御霊』とする事で祟りを免れ、平穏と繁栄を実現しようとした。

 彼らは人工的に神を作り上げようとしたのだ。


 青年も了承して山に引きこもり、神社を立てて自らを人柱とした。

 だけど、その結果があれ。

 あの時の異形だった。

 たったひとりで、全ての呪いを引き受けそれどころか祝福へと反転させようとした者の末路。

 神モドキであった。


「幸いにも、あれは強力な霊力を持った人間が、神社に入らなければ姿を現さない。見てしまったという事は、残念ながら素養があったって事です。さぁもういいでしょう。早くこの村から出ておい来なさい」


 それが真相……だったのか。

 伊藤さんに倣い、ぼくと秋野先輩は頭を下げると、すぐに村長宅から出ていった。

 もう一度、玄関の前でお辞儀をして。


 行かなければ良かった。

 身の危険じゃない。

 ぼくがあそこに行かなければ、再び苦しむことは無かったのに。


 急いでぼくたちは車へと乗りこんだ。

 伊藤さんはぼくと秋野先輩がきちんと乗り込んでいるのを見ると、アクセルペダルを一気に踏み込んだ。

 初速で一気に加速した。

 だけど、真実がどうあれ、ぼくたちは異形の神に目を付けられた。

 もうあの村に行く事は、二度とないだろう。

 ぼくは、青年の思いを汚すだけ穢して、元の町まで逃げ帰ったのだった。


  *  *  *


「この馬鹿者!」


 雷が道場内に響く。

 伊藤さんと別れてすぐ帰る事となり、一応先祖に話しておこうと話した結果がこれ。

 あれだけ恐れていた。

 絶対に変化させてはいけなかった。

 魔人の形相と化した先祖の前で、ぼくは正座させられていた。

 今回の発端はぼくたちだから、何も言い訳しないのが吉だ。


「あの連れ帰ってきた因果は何も言わずに潰したが、神に喧嘩を売るものがどこにおるぅ!」

 

 えっ……。

 因果って事は……、まさか最初の女の子?

 まさかまだ断ち切れていなかったの?


「話しを聞いておるのか小娘がっ!」


 あっ……。

 死んだねこれ。

 既にあの山の奴とは比べ物にならない気配ですよ先祖。

 まだまだ膨れ上がるとその、人間のぼくにはかなりきついものがあるんですけど。

 事前にトイレ行っておいて良かった。

 年甲斐もなく漏らすところだった。


「なぁ小娘? 聞いておるのか? それとも……俺を舐めているのか?」

「聞いてます先祖。本当にすいませんでした。ぼくも神を――」

「言い訳は後で聞く! いいか小娘! 怪異や幽霊如きにやんちゃをするのは許す。俺も今の高山あたりでやっていたからな。だが、自分の実力に合わない存在がいる場所に、簡単に行こうとするな! それとも死にたいのか? 死にたいのか!!」


 怖い、怖いです先祖!

 角が二本生えているように見えるどころか、本当に生えてます先祖ぉ!

 先祖が憤怒の形相で顔を近づけてきた。

 きっと、閻魔様に裁判を下される人って、こんな気持ちなんだろうね。

 一言の失言も許されない緊張感が一気に走る。

 やばい、泣きそう。


「いえ、死にたくないです」

「それが今回の行動をとった奴の発言か! もう一度言う。自分の実力に合わない存在に喧嘩を売るな!」

「はい、すみませんでした」


 深々とぼくは、床ギリギリで頭を浮かし土下座する。

 これで怒りを収めてはくれそうにないと思うけど。

 先祖って、裏表が激しいから。


「分かればそれでいい。今日と明日の修行は無しだ。よいな?」

「……わかりました」


 それだけ言うと、先祖は姿を消してどこかに行ってしまった。

 ふぅ、先祖の説教から解放されたら一気に疲れが押し寄せてきた。

 多分、先祖が修行なしだって言ったのはそういう理由なんだろうね。

 この状態で修行しようものなら、確実に体壊す。


「けど」


 青年といい、女の子といい。

 ぼくはほんと、力不足を実感させられる。

 もっと力があれば、全てを助けることが、断ち切る事ができたのにって考えは、ただの思い上がりなのかな?

 実際、ぼくが連れ帰ってきた呪い。

 先祖は平然と片手で潰していたし。

 刀で斬った時に伝染したと思われる。


「よいしょっ、と」


 ま、深く考える必要はないし、今日は先祖の言う通り休むかな。


  *  *  *


「氷濃! 氷濃! 氷濃! 氷濃ぉ!」


 今日も昼から面白い。

 秋野先輩が新聞片手に、ぼくの名前を叫びながらこっちへと走り寄ってくる。

 正直廊下で連呼されると、恥ずかしいものがあるけど、慣れって恐ろしいよね。


「どうしたんですか? 秋野先輩」

「聞いてよ聞いてよ! 今回の新聞大好評だって! これならサークル存続できそうだよ!」


 聞く話によると、今回はいつもと違い相手がきれいに映りこんだ写真だったから、ようやく新聞だと判断してもらったとかなんとか。

 書かれてある記事も、いつもの無敵パワーが通じなかったとかで注目を集めているらしい。

 最強ではなく、神相手には全くと言っていいほど通じなかったのも一つとか。

 流石に不謹慎にもほどがあるけど、真実は全てぼかしているし、写真なども貼っていない。

 何事も線引きは大切である。

 というより、秋野先輩がビビってやらなかっただけですけど。


「この調子で、バンバン写しに行こ! ようやくサークルとして――」

「いえ、今回のような相手は止めておきましょう」


 先祖に注意されたってのもあるけど、そこじゃない。

 あの時は伊藤さんがいてくれたおかげで何とかなったけど、ぼくひとりじゃ確実に死んでいた。

 逃げ切れたのは、相手が伊藤さんに油断していたからだ。


 それに、本来怪異を相手にするのは危なすぎる行為。

 斬り捨てても、呪われてしまえばそこまで。

 先祖の言う通りなら、ぼくだけじゃ殺されていたところだったし。

 改めて、怪異の恐ろしさが身に染みたよ。


「えっ、でもほらっ。いつも通り大丈夫だって! 何とかなる」

「その自信は、いったいどこから来るんですか?」


 思えば、今までどれだけ危険なことをしていたのか。

 怪異に首を突っ込んで。

 危ないなんてレベルじゃない。


「いつも通り、危険度の低い怪異なら行きますよ。けど、それ以上は絶対にダメです。このままだと、長生きできませんよ?」


 それだけ告げてぼくは歩き出す。

 身の丈に合う相手じゃないといけない。

 先祖の言う通りだった。

 後ろから秋野先輩が「じゃあひとりで行くから!」と叫んでいたけど、今回ばかりは無視をしないといけない気がした。


「いいのか? 死に急ぎが騒いでいるが」

「逆になんで当たり前のようにこの学校にいるんですか、伊藤さん」


 明らか場違いな服装で壁に背を預けている伊藤さん。

 そういえばこの人、新聞で大学の場所を特定していたね。

 知っていてもおかしくないか。


「上杉君は自覚したようだな。わざわざ怪異に自ら首を突っ込む必要はないと」

「いえ、必要があれば突っ込みますよ。わざわざ危ない藪をつついて、大蛇を出す必要がないってだけで」


 先祖と修行している現状が怪異に首を突っ込んでいるようだしね。


「そうか。まぁ会いたくもないのに怪異や霊障にあってしまう人がいるくらいだからな。妥当な判断だろう」


 あれね。

 一部の人は霊が見えるなんてすごいとか、見えている分見えない恐怖がないだろとか、無神経な人はそう言うだろうけど、実際は全然違う。


 見えているほうが怖いのだ。


 青い腕が押し入れから覗いて見えるとか、そんな生易しいものじゃない。

 悪霊は人の姿を失い、見るも無残な奇形となる。

 そんな彼らは人に悪意を持って行動してくる。


 もし、そんなものが見えようものなら、毎日日常的に、生きている人の首を絞めている存在を見る羽目になってしまうだろう。

 笑みを浮かべ、この世にいない何かの、ね。


 そうじゃなくとも、霊は何かしら悩みや救いを求めている。

 悪霊じゃなくとも、彼らは日常に潜んでいる。

 見える人に付き纏い、壁をすり抜けるストーカー紛いの行為をされる。


 じゃあ見なければいいと思うかもしれないが、霊感と呼ばれる霊力が強いものは、それが普通の人間と同じに見えてしまう。

 そんな自分からは普通に見えている霊が、周囲からは見えないものだから、精神が病んでいるだの疾患だの好き放題書かれる。

 ぼくのように。


「だが、あの記者を引き込んだのは怪異でも霊でもない。上杉君、お前だ」

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