第9話:御霊

 日向ぼっこや昼寝に最適なくらい明るい日差しが、木の間から差し込んでくる。

 道路は歩けないほどではなく、むしろ観光客が来るからか歩きやすいほうだ。

 すっと空気を吸い込めば、何かに邪魔されることなく肺いっぱいに満たされる。

 そういえば子どものころ、よく先祖に虫取りは山だとか岩窟だとか村って語られてたっけ……。

 ……虫取り?


「氷濃ー、虫よけとか持ってないー?」

「持ってきてはいませんね」


 山に行くと知っていれば、事前に買っておいたんですけどね。

 これもよく先祖が。

 男はともかく、女の子に虫刺されや、かぶれは良くないと言ってくることが多かったから。


「海斗さんはー?」


 そうだらりと腕を垂らして言う秋野先輩に、伊藤さんは懐から取り出したスプレーを投げ渡した。

 自分は使っていたのかな?

 けどこんな山奥でも黒いスーツて。

 動きづらくないのかな?


「冷たっ!」


「先輩!?」


 秋野先輩の指と指の間からちらりと見えたでかでかと書かれた文字。

 そこには確かに、冷却、とあった。

 ああーなるほどね。

 そうだよね。

 暖かいとはいえ黒いスーツは暑くなるよね。


 もれなく油断して首元に吹きかけた秋野先輩が、身を屈めて悶えている。


 まぁこれは、ちゃんと確認しなかった秋野先輩が悪い。

 ぼくからはどうともいえない。


 きっと睨みつける秋野先輩。


「体温が低くなれば、少しは虫も寄ってこないはずだ」

「そういうのは言ってくださいよ!」

「それは悪かった」


 子犬のように唸る秋野先輩を適当に受け流し、伊藤さんは無表情で先を急いでいく。


「むぅ、氷濃ー」

「蚊とか汗に寄ってくるといいますし、案外効果はあると思いますよ」

「違う。そうじゃない! 氷濃も冷たい! 負けていられるかぁ」


 おおっ、全力ダッシュ。

 速い速い。

 あっという間にあんな上まで。

 何と勝負しているのかは分かりませんけどね。


「体力すぐ無くなりますよー!」


 といっても秋野先輩の事ですし、大丈夫だとは思いますけどね。

 そこに関しては妙に信頼できる。

 ぼくはまぁ、ぼちぼち、歩いていきますか。

 土と一緒に、枝や葉っぱを踏みつつ歩いてく。

 念のため、刀袋の紐も解いておく。


 ……本当に、あの伊藤さんは一体何者なのかな。

 ネット上に転がる怪異の目撃例。

 呪われた神社については、ぼくもあるのは知っている。

 けれど、どこにあるかは知らなかった。

 いったいどうやって。


 それでいて、怪異に一緒に行こうという同士を探しているのではなく、むしろ拒んでいる?

 何かの邪魔になるとも言っていた。

 だから今までで一番恐ろしい恐怖を見せて、驚かせようとしていると言っていた。

 

 けどだからと言って、怪異に耐性を持っているようには見えないし、何か抵抗手段を講じているようにも見えない。

 仕事を教えてくれないという事は、何かしら闇系の職場の線もある。

 ひとまず警戒はしておくに越したことはないね。


 っと、伊藤さんの足が鳥居を潜ったところで止まった。ほんと、何の躊躇もなく入ったよね、今。

 後ろからも、途中でばててゆっくり歩きだしていた秋野先輩が到着する。

 一応の助手らしく、自分のお茶を渡して……あっ、全部飲んだ。


「ごちそうさまでした」

「お粗末さまでした?」

「やってる場合か。動けなくなっても知らん」


 後先考えるような人に見えますか?


 気を取り直して、ぼくの目の先にあったのは、寂びれた、というより古くなった小さな神社。

 苔が覆いつくすかのように生え放題、普段はよく廃墟で見られる、蜘蛛の巣すら張られていないほど汚かった。

 

 けどなんでだろう。

 放置されていたからかな。

 かわいそうだからかな。

 ずきりと、心臓に針が突き刺さるような痛みが走り、ぼくは胸を押さえた。


「海斗さん。ここであっているんですか?」

「話しを聞く限りだとな。昔、ここの神社で祭ってある神が、村の子どもを襲った」


 伊藤さんが奥にある社を、じっと見つめていた。

 何か含みがあるような眼で。


 …………なんだろ、呪われているにしては何というか。

 普通の廃れた神社って感じ。

 神様の気配とか一切しないし


 けど、ぼくにはどうすることもできない。

 このまま、この神社は放っておいたほうがいい。


 なんたって――


 目の前で徐に秋野先輩がバッグから何か水と大福を取り出し備えようとしたので、慌てて腕をつかんで止める。


「何しようとしているんですか」

「供え物!」

「気持ちは分かります。ですけど、こういう誰も通っていなさそうな神社にお供えするのはだめなんです。ここが何の神様か知っているんですか?」


 良く何かあったからとか、何かかわいそうな気がしたとかで誰もいない神社を掃除する人とかいる。

 それ自体はその人の優しさ。

 その人の良いところだと思う。

 大抵の人間は、汚いと思ったら近寄らないから。

 けどそれは、あくまで人間だと仮定すればの話。

 神と人間の価値観は違う。


「気持ちは分かりますよ。けどもしここが評判の悪い神だったらどうするんですか。久しぶりに信仰してくれる人が来たって勘違いして、付きまとってくる場合だってあるんですよ」


 神は隣にいるのではなく、常に崇められる存在だから。

 優しいではなく、久しぶりとか、自分を覚えててくれていた殊勝な奴だと受け取られてしまう場合もある。

 善し悪しが分からないのだから、どっちが付いてくるかは分からない。


 例え良い神様であったとしても、一生付きまとわれて、他の人が被害を被る可能性だって存在する。

 だからこそ、できるだけこういう神社に供物などを奉げてはいけない。


「そうなんだ……! 知らなかった!」


 ぼくが何とかあの手この手で説得を施すと、秋野先輩が酷く驚嘆する。

 ふぅ、危なかった。

 結構有名な話だと思いますけどね、この神様がついてくるって話は。

 まさか今まで怪異だのなんだの走り回っていたのに知らないとは。


 ちなみに壊すのもダメ。

 今はいなくても、昔に誰かの願いを叶えたとしたら、その分祟りとなって壊した人へと襲い掛かる。

 って、先祖が魔神の形相になって言ってた。


「記者より助手の方が詳しいな」

「これでも、昔から教わっていましたので」


 ……でも何だろ。

 神って感じじゃないんだよね。さっきから感じるこの気は。


「どうした。何かいたのか?」

「ああいえ、何の神がいるのかと」

「……そういえば知らないな。石碑にないのか?」


 伊藤さんの言葉に、ぼくは埃を被った石碑を手で掃う。

 そして……気づいた。

 気づいてしまった。

 背筋に氷水が走った。

 先祖のせいで久しく忘れていた、懐かしい感触。

 額に汗が浮かび上がり、頬をツーッと流れ落ちた。

 いろんな考えが、一瞬にして吹き飛んだ。


「どうしたの氷濃?」


 秋野先輩が、ぼくの顔を覗き込んでくる。


「……いえ、何でもないですよ」


 ぼくは適当にそう繕い、伊藤さんにその事を教えた。


「そうか。雨に打たれて削れたって感じでもなさそうだ。ひとまず戻ろう」


 伊藤さんは石碑の表面を撫でつつそう言い、振り返り鳥居まで歩いていった時。

 その時だった。

 異変が起きたのは。


 静かな風で木々が揺れる。

 ……なんだろうこの声。

 ……いや、声なのかすら怪しい。 


 気味の悪さを肌でひしひしと感じたぼくは、踵を反し、返……し、ウソ……。

 御霊。

 そう例えるほかなかった。

 白くて白い。

 果てしなく。

 ゆらゆらと揺らめく、崩れた人のような外見。

 いろんな感情が犇めいている。

 それでいての形。

 無造作に、無差別に振りまかれる何かに、ぼくは胃から込み上がってくるものが止まらない。

 そこにいたのは、紛れもなく神モドキであった。


  *  *  * 


「どうしたの氷濃?」

「良いですか秋野先輩。絶対に見ない方が良いですよ。こればかりは」

「え“っ!? 何かいるの?」


 なおも好奇心を輝かせる秋野先輩に、伊藤さんが怒鳴った!


「黙れ! 好奇心も抑制しないと死ぬぞっ!」

「はいっ?!」


 この反応という事は、秋野先輩だけまだ見ていないのかな。


「上杉君。逃げるぞ」

「どうやってですか?」


 まだあっちは動き出す気配がない。

 なんだか見定められている気すらする。

 けど……、見ているだけで……とてつもなく吐き気がする……。

 ……気分が悪い。

 ……お腹が逆流する…………。

 呼吸が荒くなってくる!


『…………ナ』


 微かに口が動いた異形。

 今……なんて?


「そうだな。俺が牽制するから、お前がその記者を連れて逃げろ」


 そんな……、それだと。

 ……伊藤さんが。

 けど…………。それなら!


「いえ、ぼくが殿を務めます。何とかする方法を持っていますので!」


 呼吸と……心臓の音が……異常にうるさい。

 けど!


 ぼくは刀袋を秋野先輩に預ける。

 流石にいきなり斬りかかるわけにもいかない。

 神モドキとはいえ、危害があるかどうかキッチリ見定めないと。


『……』


 それは、果てしなく直感だった。

 横に跳んだぼく。

 ビュンと、突風が走った。

 さっきまでいた位置に、異形の腕が突き刺さっていた。


 速いとか、そういう次元じゃない。

 目に映らない。

 そしてもうひとつ分かった。

 話し合いは、通じない!


 異形まで近寄ったぼくは、一気に刀を振り下ろした。

 自分の中では力を込めた一撃。

 グリンと頭だけを動かした異形の神に一太刀入れた。


 なにこの重さッ!

 今までの比じゃない!


「早く!」


 けど一瞬。

 一瞬だけ、隙ができた。その内に!

 伊藤さんが、未だにきょとんとしている秋野先輩の腕を引っ掴むと、元来た道へと駆け出した。

 同じように、数歩離れた距離からぼくも追いかける。


「氷濃! 何が起きてるの!? ねぇ何が起きてるの!?」

「正直分かりません! けどそれ以上に、ここにいると危険です!」


 普段上げない大声。

 カタカタと手が震え、刀を鞘に戻せない!


「上杉君。お前はいったい……?」


 伊藤さんがいつの間にか、ぼくの隣を並走していた。

 怪訝とも、不思議とも、どちらとも見えない色が瞳の奥から見える。


「今はそれより、早く逃げましょう!」

「それもそうか」


 …………走る。

 ……走る。

 走って、走って、走り続ける!

 凹凸のある道をダッシュしているせいか、何もないのに足が取られそうになる。

 来た時には気にならなかった、小さな土の山に躓いた。

 それでも走る。

 後ろから感じる、恐ろしい気配から逃げるために。


「ねぇ氷濃! この場所こんなに暗かったっけ?」


 本当だ。

 来た時は確かに木漏れ日が差し込むほど明るかった。

 日向ぼっこに最適なほど、暖かったはずなのに。

 けど、上空に広がっていたのは渦巻く暗雲。

 黒い闇だ。

 人の恐怖を体現するかのような闇。


 今まさにその真っ黒な大口を開けて、ぼくたちを深淵へと飲み込もうとしていた。


 さっきから、気配がまったく離れない。

 すぐ後ろから、とんでもないのがこっちに近づいてくるっ。

 必死に逃げているはずなのにっ!


 むしろ大きくなっていくっ。


 ざわざわと。


「氷……濃……。なに……あれ? なにあれなにあれなにあれ?」

「秋野先輩! 前を向いてください! 見なくていいですっ!」


 なんで! なんで! こんなのが! 

 こんなのがいると分かっていれば……、止めたのに。

 いや、入ったときから止めていれば!

 後悔が……遅い。

 息切れが激しい! このままだと!

 瞬間、隣からシャッターが焚かれると音同時に、眩い閃光が放たれた。


「多分少しは効くと思うから! それより氷濃!」


 ……村までの道が、果てしなく長い!

 来るとき、こんなに長かったのかと思ってしまうほど!

 ならっ、


「仕方ない。ここは――」

「伊藤さん! ぼくが押さえつけますので! 早く! 秋野先輩を頼みます!」


 ぼくしか怪異に、神モドキに対抗できないから。

 だからこれで――。


「死ぬ気か?」

「まさか。手がないだけで、死ぬつもりは無いですよ。だから早く!」


 この感じ、この気配。

 本気でやっても勝てない。

 そして話が通じそうって訳でもない。

 このままなら間違いなく死ぬ。

 ……何だろ、不思議。

 死にそうだからかな。

 勝てないって分かっているからかな。

 気持ち悪い感じが無く、妙に落ち着いているぼくがいる。

 ……なんでこんな時に。

 初めて“諦め”なんて感情を理解しているのかな。


 それでも。


 御霊の、神のなりそこない。

 こちらをじっと見つめるてくる瞳は、アルビノのように真っ白で、生気というものを感じられない。


 ぼくはいつものように刀を構えた。

 目を閉じ集中。

 肺いっぱいに空気を吸い込み、そして一気に吐き出した。

 ……感じる。

 体の奥底から湧き上がる何かを。

 感じる。

 全身に力が入っていくのを。


 一歩、動かない異形へとぼくは斬りかかる。

 ……いや、斬りかかろうとした。


 ダンッ!!


 その銃声が聞こえるまでは。

 何かが、ぼくの顔をよぎった。

 その何かが、異形の神を貫いた? 

 でも、全然効いてない。


「何をしている。とっとと逃げるぞっ!」


 伊藤さんが叫んだ。

 異形は弾丸が入った場所をじっと見つめている。

 全てにおいて、隙だらけだ。


 ぼくは妙に落ち着いたまま刀を鞘に仕舞いこむと、全身の力をすべてにげるのに費やした。

 村までの道を一気に駆け下りた。

 すぐ後ろから感じる、無感情のままに力を振りまく、異形の存在を背にしながら。

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