令嬢プリメラとメリディエスの騎士

王の間を出たプリメラは両腕を組んだ

不思議な男に唐突に呼びかけられた。


「プリメラ・ルピティスだな?」


プリメラは不思議そうな顔をして

男に振り向き「ええ」とだけ短く答えた。

ローブ付きのフードを深く被り込み

隙間からは黒髪の長髪と男の鋭い目付きが伺える

腕を組んだところから見える左手の薬指には、薔薇が装飾された白金色の指輪をはめていた


「…私と少し話をしよう。君はあのクズに純潔を捧げて自身を汚したと思っている様だが…君もあの奴も私が魔法で眠らせた。…君の身には一切何も起きていない事は私が。幼馴染の騎士が寝ている君をすぐに見つけ、助け出したからな。」


「…あなたは何故それを…?」


幼馴染の騎士とは恐らくはデュオンの事であろうとプリメラの頭の中で思い浮かぶ。プリメラとデュオンは頻繁に街中で一緒に食事する仲である。不思議な男が何故それを知っているのかは、プリメラにはわからなかった。


「…君を助けろと喧しい奴が居てね。大分昔に君に助けられた奴なんだが、力を貸して欲しいと、大変しつこかったもので、ほんの少しだけ手を貸したのだ。私の力は周囲を見ればわかると思う。」


プリメラが周囲を見渡すと、王城の通路では道行く人々がまるで絵画をその場に当て嵌めたかの様に、騎士や貴族が不自然に固まっている光景が見えた。


「…まさか…時間が止まっている…?」


「そう、私と君以外の時間は今、完全に止まっている。厳密には君も止まっているのだが…まあ、それは良い。世界規模で見てみれば、君の罪など、正直なところ冤罪も良いところだが、敢えて君が罪だと言うならばゆっくり精算するといい。…彼女達はいつまでも、君が戻ってくる事を待っているのだから。」


「…何故、私にここまでしてくださるの?」


「…君の友人達が君の幸せを願ったから、君の友人達が君を助けたいと願ったから。私はほんの少しだけ力を貸した。後の未来は君自身で切り開くといい。」


男の言葉を聞いて、プリメラはアリスとメルルの顔を思い浮かべて、頬からは涙が伝う。

いつの日か必ず彼女達と笑顔で語り合える時が来る様に生きて行きたいと。


「…それでいい…今後は私と会う事もないだろう…。君の人生に幸福あらんことを…。」


微笑みながら男は言い終えると幻の様にまるで霧が消えるかの如くその場で消滅した、すると止まっていた周囲の人々が自然と動き出した。


(…今のは夢?それとも…?)


不思議な男との邂逅は夢幻の様であったが、立ち止まったプリメラの頬を伝う

一筋の涙の感触は、まだ暖かかった。



(─あの日、わたくしはかけがえのない親友に対して、決して消えない傷を作った…それは絶対に許される事の無いものだ…)


後日、ナーティス王子の裁判結果が、無期限の懲役刑という話を聞いて、彼とは陽の下でもう二度と顔も合わす事がないと思えるならば、プリメラ自身の気持ちはある程度は軽くなった様に思えた


あの時の不思議な雰囲気を持った

"薔薇の指輪の魔導師"が居なかったら

自分の身に起きていた取り返しのつかない事を頭の中で思うとプリメラの背筋が少し冷たくなった。


仮に純潔を、好きでも無い適当な男に捧げるのは、未だ伴侶を決めずにフラフラと遊び歩いた、その結果に対する何処からの理不尽な罰なのだろうと、プリメラは自分に言い聞かせていた。

この国の貴族令嬢は大体が16ぐらいで

婚約者を確定し、許婚相手が居るかあるいは結婚をし生活するのに対し

プリメラ(実際のところメルルもそうだが)は未だに結婚を拒んでいた、それには少し理由があった。

プリメラ自身、幼少より心に決めた男性が居たからである。その男は、騎士にはなったものの一般の平民の出であった。両親のルピティス伯爵夫妻は、彼とプリメラ身分の差に反対し、両親の強要に対してプリメラは真っ向から反抗した、今の今まで他の貴族令息とは、一切見合いすらしていないと言う状況なのである。

プリメラ自身、純潔を守り、その騎士の事を今でも思い続けていたのだった。


(デュオンは今どうしているのかしら…)


プリメラは男の名を思う

騎士の名はデュオン・ストゥディウム

昔から二人で隠れて街中の名店や穴場で良く食事をする仲であるのだが

彼はプリメラの両親、ルピティス伯爵夫妻に彼女との婚約を強く反対された時にある宣言をした


「私は必ず、最低でも子爵の爵位を得て

必ずルピティス伯爵令嬢を迎えに来る!」


と、それはかれこれ3年前の話である。

その頃デュオンは15歳の若輩ながら

既に騎士団の部隊長に任命されるほどだった。

それだけ、彼は血の滲む努力と、そして仲間達への助力を惜しむ事は無かったデュオンは分かっていたのだ、自分が

もっと高みに登る為には自分自身の力は

もちろんのことではあるが、それだけでは足りない。自分の背を後押ししてくれる、仲間の協力が必要不可欠であると

デュオンは考えていた様である。


(…過ちを犯した私でも…彼は迎えにきてくれるのだろうか…?)


プリメラは不安というよりも今では大分出世したデュオンが、自分を迎えに来ない事の方が当然ではないのか?

そう考えていた。

裁判ではナーティス王子の非道が、矢面に挙げられ、国王陛下がプリメラ自身の

罪は無い、とそう断定したとしても

プリメラ自身がソレを許さなかった

それに貴族の社交界では既に

根も葉もない噂も立っている事だろう。


しかし、周囲の視線とかそういう事とは全く別に、プリメラは自身を断罪する為

一度家を離れ、太陽教が運営する教会へと、住み込みで奉仕作業を手伝う事に、両親とは相談せず単独で決めてしまった。

プリメラは教会から午前はアカデミーに通いつつ、午後から教会の手伝いをしているのだ。これに対し、ルピティス伯爵夫妻は言い訳を考えた、社会勉強の為と伴侶を決める為に、今一度、人の心を学ぶべきだと、まるでプリメラと周囲に対して言い訳をするかの様な態度であった。プリメラは、両親の社交界への対面的な取り繕いに、少し辟易としていた。


(家を離れる…良い切っ掛けに、なったかしら…)


プリメラはこれからの事をなるべく前向きに考える様にしていた。

メルルとはアカデミーで顔を合わせれる

ものの、アリスティアはイスト王国へ嫁いだ為、社交界でしか恐らく顔を合わせられない様な、そんな少ない機会でしか彼女と会えないと思っていたからだ。


だからこそ今後、社交界へ復帰した時の為と、何より再度自身の為に、今一度心身を鍛え上げて、アリスティアとメルルと共に、また笑い合ってお茶会をするのを目標していて。

その為にもアカデミーでの勉学と教会の奉仕作業をプリメラは全力で取り組んで行った。


(こう、身体を動かしてるのも色々考える必要がないからいいかも知れないわね…)


ドレスでは何かと不便なので

太陽教で用意してもらった修道衣に着替えて作業に取り組む。


プリメラはそれなりに器用で要領良く

何よりも勤勉であったため

作業を覚えるスピードは早く、また行う全ての物事の効率が良く、とても優秀な人が手伝いに来てくれた事に対して、見習い牧師やシスター達はとても喜んでいた。


喜んでもらえる事に対して、プリメラは

悪い気はしなかった。そして社交界では

見れなかった景色がここでは見れるので

プリメラ自身がとても勉強になっていると実感していた。


プリメラは作業中のある時、シスターに教会の応接室に来る様に呼び出された。


両親が家に連れ戻しに来たのか、それともプリメラに対して、完璧な絶縁状でも持ってきたのか、彼女は少々気を重くしながら応接室へと向かう。


応接室の入り口手前には、見習い牧師やシスター達が群がっていた、何やら応接室の中が見える窓を覗き込んでいて興奮している様子だった。


何事だろうか?訝しげに応接室に近づくプリメラ。プリメラに気付いたシスターと司祭が彼女達に仕事をする様に促した

見習い牧師とシスターの塊は霧散し、いよいよ応接室への道が開かれた。


何が起こるのか少しプリメラは不安になっていた。

シスターの一人がプリメラの肩を優しく叩く。


「…プリメラ様、積もる話もあると思いますので、どうぞごゆっくりね」


シスターは笑顔でそういって、その場を離れた。


(…積もる話…?一体誰が来たのだろう…?)


シスターの満面な笑顔から察するに

おそらくプリメラにとって悪い話では

無いのだろうが…。プリメラは窓から

応接室の中を確認する事なくそのまま

応接室に入ると、紫色の短髪端正な顔立ちの男性、黒と黄銅色が混在した鎧を身に纏う、正にメリディエスの筆頭騎士の姿がそこにあった。


勿論、プリメラはその騎士の顔に見覚えがあった。


「まさか…デュオン…貴方なの?」


「…お久しぶりです…プリメラ」


デュオンは座っていたソファから立ち上がり、プリメラに向かってお辞儀をした

彼女は彼に招かれるままソファに座る。


「どうしてここに…?」


「…3年前の約束通り、貴女を迎えに来ました」


「え?まさか…」


「この度の功績を認められ、数週間後に私は伯爵となります、これで貴女との婚約も認めてもらえるでしょう。」


プリメラにとっては、とても嬉しい申し出だった、だがプリメラ自身は心の奥底ではまだ踏ん切りが付いていない。


「…デュオン…貴方が私の様な穢れた者と婚約などすれば、貴方の爵位に泥を塗る事になる…直近のトラブルも清算出来てもいません…ですので……」


「プリメラ、貴女は一切穢れていない、それに私は平民の出です。多少の泥汚れや些細なトラブルなど、誰が気にするものですか。」


デュオンはプリメラが言いかけるのを

遮って強く言葉を紡ぐ。


「…仮にプリメラ自身が穢れたと思っている様ならそれは違います、貴女はちょっとした失敗をして、貴女の持つ宝石が壁にぶつかり、磨かれただけです」


デュオンは真っ直ぐとプリメラの瞳を

見据えて強く言った。


「宝石は皆、切り取られ、削られ、磨かれて、そうして美しくなっていく物です

貴女は理不尽な状況に屈する事なく立ち上がり、またご自身を磨かれている、そこにどのような穢れが有りましょうか?」


「…しかし…私は…」


デュオンの言葉にプリメラは俯く

彼は黙る事なく続けた。


「プリメラ、貴女は気高くそして美しい。その姿に私はずっと恋焦がれ、生きてきました。そして、遅くなりましたが、今やっと、貴女と共に歩ける場所に辿り着いたのです。」


デュオンはプリメラの隣に静かに座り

俯くプリメラの手を握る。


「…プリメラ…どうか私に貴女の重しの半分を背負わせてくださいませんか?

私と結婚してくださいませんか?

私と今後の人生を共に歩んで欲しいのです。」


「…本当に…私なんかで…私なんかでいいの?デュオン?」


「…私は自分の為に、貴女と結婚する為にここまで来たのですよ…そう卑下にしないでください、プリメラ」


プリメラの瞳から涙が溢れて止まらなかった。

デュオンは彼女が泣き止むまで、彼女の背。優しく撫で、ただ黙ってその隣で座っていた。

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