想い出

ジークハルト王子は真剣な眼差しでアリスティアを見つめている。


困惑するアリスティアと、その隣でまるで自分がプロポーズされたかの様に、顔を真っ赤にして頬を押さえるメルル。


周囲にはざわめく来賓客の貴族たちと、それを鎮めようと再度奮闘するマクシミリアンとヴリュンヒルデ。

混乱も最高潮に達し周囲は酷くざわめいていた。


「……私では、駄目でしょうか?」


少し悲しそうな顔をした容姿端麗のジークハルトの表情を見て、アリスティアはふと思った。


(…何…この人…可愛い…?…え?やだ、私ったら…何を考えて…!)


アリスティアの胸の奥がトクンと高鳴る。

彼女の顔を見つめるジークハルトの表情はかつて何処かで見覚えがあった。


メルルをはじめ周囲の人々の視線に気が付き、アリスティアはハッと我に還る。

そして冷静さを取り戻して、ゆっくりお辞儀すると、ジークハルトに柔らく丁寧に答えた。


「…ジークハルト…王子。申し訳ございません。私…今は気持ちを整理したいので、お返事は、少々お待ちいただけませんか?」


まだ、断られた訳では無い、とジークハルトはそう思ったのか、穏やかな表情で立ち上がり小箱を懐にしまう。

そうして、アリスティアを見る彼の表情は、とても柔らかく優しかった。


「…わかりました、では、本日はこれで引き下がります。ですが、既に外も暗いので、せめてお二人の御令嬢を各々方の御自宅まで送らせてください。」


アリスティアとメルルは笑顔で見合って

同時に答える。


「…ええ、ぜひお願い致しますわ」


二人の答えにジークハルトは微笑んだ。


アリスティアとメルルはメリディエス家の迎賓館より出発する。

ジークハルト王子及びイスト王国が用意した魔導馬車に乗りこんでいた。

堅牢な金属で出来た魔導馬は、とても頑丈で餌要らずな為、世界中各国の移動手段として重宝されている。


迎賓館からはプリティス家が近いので

先にメルルを家に送る事となった。


「ふふふ、ジークハルト王子も、なかなか大胆な方ですね。とてもびっくりしました。」


「…いえ、それ程でもありません。」


メルルの帰り際の一言に、ジークハルトは顔を逸らした。

彼が赤面していた様にアリスティアは見えた。

メルルを丁重に送り届けた後、魔導馬車はクゥエルレウス家へと向かう。


「ジークハルト様は、何故あの様なことを?」


アリスティアはジークハルトが、自分に突然プロポーズした事が、未だに気になっていた。


「…私は幼少の頃から今まで…ずっと、貴女の事を想っていました。…アリスティア様は、私の事を、覚えていらっしゃるかわかりませんが…。」


アリスティアはキョトンとする、ジークハルトの言い方からすると自分と彼は、もっと昔に出会っていたと言う事になる。

その記憶が今のアリスティアには思い出せずにいた。


「…それは…どう言う…」


「…アリスティア様、到着しました。」


アリスティアの問いを遮り、ジークハルトは魔導馬車の扉を開ける。


「今後、時間はあります。…お呼びいただければ明日も会えましょう。私の事はどうかゆっくりと思い出していただきたい…。今日は色々な事がありました…アリスティア様、今は何も考えずにゆっくりとお休みください。」


月明かりに照らされたジークハルトは、まるで物語の英雄かそれとも男神か、アリスティアの目にはその様に映った。

それだけ彼の姿が美しく映る。


「…はい、ジークハルト王子…。また明日、お話ししましょう。」


明日再会の約束を交わし、アリスティアは家へと向かう。入り口で父と母が暖かく迎えてくれた。


アリスティアが家の中に入るのをジークハルトは見守る。扉が完全に閉まり、彼女の安全が確定したと確信すると、魔導馬車に指示を出しゆっくりと走らせる。


「…アルクス…そこに居るね?」


「…ええ、見るに耐えない状況以外なら、大体、いつでも貴方のそばに居ますよ?」


ジークハルトの目の前に、黒い長髪を夜風に靡かせながら、男がいきなり現れた。

顔付きは穏やかで微笑みを讃え、手を組んだ左手の薬指には不思議な虹彩を放つ指輪をしていた。


「アルクス…我が国、筆頭魔導師のお前に頼みがある…。」


「王子…一部始終見ていましたので、内容は言わなくても、だいたいわかりますよ?…アリスティア様にかけられた冤罪と、親友の令嬢やそれらに関わる件ですね?」


「ああ…。アリスティア様の親友も助けてやりたいのだ。」


アルクスはジークハルトに微笑む。


「僕もアリスティア様を、今回初めて見ましたが、ジークハルト王子が惚れるのもわかった気がします。」


「…お前の魔法でなんとかできるか?」


一間置いてアルクスはニヤリと笑みを浮かべて答える


「…どうにでも出来ますよ?…ただ、王子の想い人やその周囲の人々を辱めた連中ですからね。徹底的にやっつけるのもアリかと。」


「アリスティアに迷惑がかからない程度で頼むよ。」


「…そのアリスティア様ですが、既に妻のミーティリアを護衛に付けています。ですので、ジークハルト王子は安心して眠ってください。不眠症で隈なんか作っていたらアリスティア様に心配されますよ?」


皮肉るアルクスに、ジークハルトは笑いながら右手で顔を抑える。


「まったく…お前には敵わないな…。」


「…年の功って奴ですよ王子。問題事は我々に任せて、アリスティア様の為にも早くお休みください。情けない表情だと"また"心配されますよ?」


「ああ、わかった…アルクス、よろしく頼む。」


「はい、全力で対処します、おやすみなさい王子。」


アルクスの優しい微笑みにジークハルトは微笑見返した。


その夜、アリスティアは寝付けなかった。

フカフカで柔らかな毛布を頭まで被り、寝よう寝ようとすればするほど眠りにつけない。

家に帰ってきて両親に今日の結果を報告した。案の定混乱させてしてしまったが、今は一度休んで、気力を戻そうと

言った両親の提案により、休むことになった。

早々に湯を浴び、ベッドに入ったのだがしかし、アリスティアは一向に寝付けない。


(はぁ…眠れないわ…)


理由としては色々あるが、やはりプリメラが、何故、あの様な事を言ったのか。

それがとても心の奥底に沈んでいたのだ。


(…プリメラ…一体どうしてしまったと言うの?)


プリメラは物事をはっきり言う、裏表の無い性格だ。

側から見ると歯に衣着せぬ言い方は、キツいと思われがちだがそれは、他者にも自分にも嘘を付かない彼女が正直者である事の裏返しである。

弱気を助け悪を挫く彼女は、他を貶める様な事は絶対にしなかった…何が彼女を変えたのか。


そして、寝付けない理由のもう一つ、ジークハルトのプロポーズの事である。

メリディエスの迎賓館で開かれた両国の友好関係を祝った祝宴会で、まさか友好国の王子が当国の姫君にプロポーズを大々的に行うなど、前代未聞の行動である。


そもそも自身のメンツにも関わる公式の会でわざわざ、婚約破棄を行うナーティス王子も、常識知らずではある。

だが、アリスティアにとってナーティス王子のあの様な奇行は、普段見慣れているものだった。

ナーティス王子が自分に対して、なんらかの憎しみを心底抱いている事をアリスティアは実感した。


(…それにしても…ジークハルト王子は何故わたくしのことを…?)


どこかで見た様なジークハルトの雰囲気を思い浮かべてながら、アリスティアはだんだんと眠りに付く。


その日、アリスティアはとても懐かしい夢を見た、幼少のアリスティアが可愛らしい男の子と一緒に中庭で遊んだ夢だ。


アリスティアが五歳の時に出会った男の子だ。

男の子はどこから来たのかも、アリスティアにはわからなかった。

だが、男の子はとても優しく、短い期間だったが一緒に居てとても楽しい日々だった。

アリスティアはその時は解らなかったが

今思えば、男の子に淡い恋心を抱いていた。


何時しか男の子は自分の国へと帰って行く。

そして、アリスティアは八歳の頃ナーティスの政略的な許嫁となった。

王国の為、民の為、立派な王妃になる為に、アリスティアは全身全霊を込めて

勉学や様々な教養や知識を身に付けていった。


忙しい毎日を送り、いつの日か男の子の事は殆ど忘れてしまったが、この様な立場になると、再び大切な楽しい思い出を夢に見れた事は、今のアリスティアにとっては吉兆なのかもしれない。


(…また…会いたいな…)


アリスティアは夢の中で男の子の名前を思い出す。

名前は確か…。


(…フィーリウス…そう、フィーリウス…。)


あのまま成長していれば、今頃はさぞかし立派な青年になっているだろうな…と、アリスティアはそう思いつつ深い眠りに付いた。



ジークハルトはアリスティアを思い浮かべて一人物思いに耽る。

自室の窓の近くに置かれた椅子に座り、更け行く夜の空を眺めていた。


「…アリスティア…早く貴女に会いたい、…会って色んな話をしたい」


ジークハルトのアリスティアへの想いは

募る一方であった。

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