真夜中の白鳥たち~石島友里の場合~

小高い丘の上にある縦高は、その校舎から海を見下ろせる位置に立っている。


縦高から海へ下っていく途中に公園があった。

海に面した観光地として有名な公園ではなく、あくまでも近隣住民が立ち寄るだけの公園だ。ぽつんと立った外灯の下に鉄棒と砂場、ベンチ程度しかない。


四月上旬、夜22時。


縦高一年生の石島いしじま友里ゆりは外灯の下で月に向かって腕を伸ばしたところだった。

鉄棒にスマートフォンを固定し、カメラをミラー代わりに汗を流して踊っている。

手本にしている元のダンス動画ではグループで踊っていたものを、アレンジして一人でパートを繋ぎ踊り続ける。

一人で踊ることを寂しいと思わなくなったのは、いつからだったろうか。



***



「石島さん!」


学生生活課顧問の女性教師が石島を呼び止めた。

石島は止まることなく、温度を感じさせない無表情のまま一瞥した。


「なんですか」

「校則は守りなさいっていつも言ってるでしょ!」

「……はあ」

「はあじゃないの、今すぐジャージを脱ぎなさ……ちょっと石島さん! まだ話し終わってないですよ! 止まりなさい!」


怒鳴る教師を尻目に石島はすたすたと歩きだした。


「石島さん、ダンス辞めたのにねえ」

「癖でずっとジャージ履いてるのかしら」


すれ違う同級生がひそひそと話しているのが耳に届いた。

西洋的な彫の深い顔立ちに、女子にしては高い身長。長い手足。

短く刈り上げた髪にハンサムな佇まいは放っておいても目を引いた。

故に、主に女子生徒に噂話をされるのは慣れっこだった。

附属中学出身の石島は、高校に上がって以降、制服のスカートの下にジャージを履くというスタイルでほぼ毎日教師に怒られていた。


「石島さん、なんでダンス部辞めちゃったのかしらね」

「あんなに上手だったのに。怪我をしたとかでもないんでしょう?」

「そういえば知ってる? 石島さんって――」


縦浜学院大学附属高等学校は、同様に附属中学がある関係で、中学で始めた部活をそのまま高校でも選択する生徒が少なくない。ダンスや演劇、運動のように肉体的な鍛練が必要なものであれば尚更だった。

女子生徒たちの密やかな噂話にあるように、中学ダンス部の生徒たちのほとんどは高校でもダンス部に所属していた。特に今年の一年生で、中学ダンス部から高校ダンス部に入らなかったのは石島だけだった。


石島は同級生の和田のように外部進学を考えているわけではなかった。その他多くの縦高生のように、部活動に積極的に取り組むはずだったのだ。しかし、高校に上がって以降、それはどうやら遠い夢のように思えていた。

石島は部活動を見学して回り、そして決めあぐねて毎日帰路につき、夜になると公園で一人踊っていた。

そのジャンルは多岐にわたり、ロック、ワック、ハウスを踊っている日があるかと思えばジャズ、モダンバレエの日もあった。

ダンスの技術と才能があるかないかで言えば、石島は確実にある側だった。


ある夜のことだった。


「君、いつもここで踊ってるね」


突然かけられた男の声に石島はハッと振り向いた。

声の主はベンチに座ってこちらを眺めていた。脇にスポーツ飲料水の小さなボトルが置いてある。ジャージ姿の上からでも分かる、すらりとした華奢な体躯に人好きのする整った顔。

石島が中性的なモデルのような美しさだとすれば、男はアイドルのような華のある佇まいだった。


「……どなたですか」


羽織っているジャージは縦高の指定ジャージだ。見ず知らずの不審者ではないのだろうけれど、石島は男のことを知らなかった。


家根やねたにひかりといいます。このあたり、よく走ってて」

「学生寮の人?」

「うん。君は違うの?」

「はい。もともと家が近いので」

「そう」

「……自分に何か用ですか?」


家根谷さん、と石島は呼びかけた。


「うん」


男は――景は頷いた。


「ダンス、教えてくれない?」



***



それからほとんど毎日のように石島のもとには景が訪れた。

石島はもともと後輩の面倒見もよくなかったし、他人に指導するのも上手くないほうだと自分では思っていた。それでも景は熱心に話を聞き、動画と石島の手本を見ては身体を動かしていた。

石島から見て不思議なことに、景は熱心にステップやルーティンを覚えはするけれども、振付を覚えて曲に合わせて踊るということが出来るようになりたいわけではなさそうだった。

いつも、何かを確認するかのように決められた形に身体を動かしていた。


「家根谷さん」

「ん? 何?」

「家根谷さんって、別に踊れるようになりたいわけではないですよね」

「バレた?」

「……本当の目的は何ですか」

「それは君が僕の質問に答えたら教えてあげる」


景は優雅なターンを決めるとぴたりと止まった。

筋がいいのか、石島の教え方がよかったのか、短期間で景はそれなりに様になった動きをするようになった。


「石島さんって、ダンス部だったんでしょ?」

「はい」

「なんで高校で続けようって思わなかったの?」

「もう、やりきったので」

「はは、それは嘘だよ」


景は軽やかに笑った。


「今さ、別の一年生ともいろいろ話してるんだけど、そいつは本当に三年間でやりきって未練もないんだって。吹奏楽部だったかな」

「自分はその人ではないので」

「そりゃそうだけど。でも分かるよ」

「どうして」

「本当に好きなものってどうしてもやめられないから」


景は公園の藪の中、どこか暗がりをうっすらと見つめながら言った。

それは景自身のことなのか、それともただの一般論だったのか、石島には分からなかった。

けれど、石島にはそれで十分であった。

己に嘘をついていることを認めるにあたって、それで十分だったのだ。


「……自分はダンスが好きです」

「そうだよね」

「踊ることが好きです。表現をすることも、身体を動かすことも好きです」

「うん」

「でも居場所がない。だいたいどこへ行っても」

「居場所」

「自分のような人間がその場にいることを想定されてないんじゃないかって思う」

「いじめられたり、無視されたりするの?」

「違う。違うけど……どうしても、ここじゃない。この子たちと自分は同じじゃないっていつも思う。ロッカールームにいるときとか」

「……そう」

「だから夜の公園ここにいる」

「一人で?」

「はい」


そっか、と呟くと景は鉄棒に肘をついた。


「で、家根谷さんは」

「え?」

「家根谷さんが自分にダンスを習いに来る、本当の目的」


そういえばそうだった。景はすっかり忘れていた。


「本当の目的って。そんなたいそうなものはないよ。ただ、柔道に使えないかなと思って」

「じゅう、どう?」


石島は面食らった。予想外の言葉だった。

この男が? 自分よりも小柄で細身なのに? 柔道をやるのか?


「そう。石島さんに声をかける何日か前にここで観た時、君は足を素早く動かすダンスをしてた」

「ハウスですね」

「柔道にも細かく足を動かす技ってたくさんあるからさ、何か応用して面白いことできないかなと思ったんだ」


もちろん、それ以外にもね。

景はそう付け足した。


「縦高に柔道部あるの、もしかして知らない?」

「名前だけは知ってますが、附属中にはないので」

「僕の代で新設だったし、そんなもんだよね……まあ新設だから苦労してるんだよ、これが」


――そういうわけで、使えそうな技術は柔道以外でもなんでも吸収したいんだ。


そう言いながら、景は肘から伸ばした腕を真っ直ぐ上げて、天を勢いよく指さした。

昨日教えたロックのポイントという動きだ。

ポイントは、本来人を指すものだから上を指すことなんてない。

それでも天を指す景の姿は不思議と彼らしく感じられて、様になっていた。


石島のダンスレッスンはいつも日付が変わる前に終わる。

石島と景、両者の門限がそこまでだからだ。もっとも景が住んでいる学生寮の規約上の門限は20時である。寮生の間で勝手に決めた0時というルールが代々受け継がれているだけだ。


「ねえ、石島さん」


帰り際、景が思いついて石島に声をかけた。


「せっかくなら動画投稿とかしたら?」

「え、動画」

「うん、MeTubeとか。だってダンス部辞めちゃって一人じゃ、発表会とか大会も出られないだろうし」


スポーツに戦う相手と勝ち負けがあるように、ダンスには観客と喝采があるべきだ。

誰にも見てもらえないパフォーマンスはもったいない、と景は思っていた。


「それに、投稿しているうちに、石島さんと気が合う人が見つかって一緒にダンスやれるかもしれないよ」


ま、これは全部おせっかいだけどね。気に入らないなら忘れて。


景はそう言い残すと軽やかに寮のほうへ走り去っていった。

石島はその背中を見つめたまま、一人考えていた。




***


今日も今日とて、廊下では教師の怒鳴り声が響いていた。


「石島さん、止まりなさい! 石島さん!」

「……はい」


その日、石島はしつこい教師の呼びかけに珍しく応じて足を止めた。


「あなた、いつも言ってるけど着用義務がないところでジャージのまま授業を受けるのは校則違反ですよ」

「附属中のダンス部の時はしつこく言われませんでしたよ」

「それは、運動部に入ってて着替える時間がない人は、先生たちが大目にみているだけで――」

「じゃあ運動部に入ればいいんですね」

「駄目! それは機序が逆転してるわ――ちょっと! まだ終わってないですよ! 石島さん!」


同日放課後、部活動終了時刻十分前。格技場。


「乱取りラスト一本はじめ!」

「あの、先輩」


ジャージ姿で乱取りを見学していた新入生の和田が声を上げた。

澄が顔を上げ、和田が指さしたほうを見た。

格技場の入り口に女子生徒が立っていた。


「どうした、一年生か」

「はい。石島といいます」


石島は頭を下げた。


「ここに入部させてください」

「無理だ」


澄はにべもなく言った。


「見ての通り、うちは女子部がない」

「存じております」

「君、経験者なのか? どこか道場に通ってるとか?」

「いえ、初心者です」

「じゃあなおさら――」

「あ、石島さんじゃん!」


澄の肩越しに景が顔を出して言った。


「お前の知り合い?」

「うん。よくダンス教えてもらってるんだ」

「なんだそれ聞いてないぞ」

「言ってないからね。どうしたの、石島さん」

「あ、いえ、今――」

「こいつ入部したいんだと。初心者だし女子部ねえから入れてやりたくてもちょっとなあと思ってたところ」

「ふうん」

「女子部がないのは知ってます。自分は――」


――自分は、女子部のない運動部に入りたいんです。


景は表情を変えずに話を聞いていたが、その隣で澄は面食らっていた。


「先輩方には意味が分からないと思いますが、そうでなければならないんです」

「男子と一緒に練習でいいってこと?」


怪訝な顔をする澄に代わって、景が訊いた。


「はい」

「柔道はスポーツの中でも……格闘技の中でもかなりの接触を伴うけど、それは大丈夫なの?」

「はい」

「僕と澄はずっと道場で男女混合でやってたからいいとして、祥太郎と和田くんにはちょっと話が必要かな……」


部活でのスポーツにせよ学校の体育にせよ、大半の人間は中学生以降男女別で行うことが多い。祥太郎と呼ばれた二年生もジュニアラグビーの経験者だったが、男女別だったはずだ。

男子側にも女子が混ざることに抵抗がある生徒は当然いるだろう。


「俺はいいっすよ」


景と澄が振り返ると縦に長い人影がすぐ後ろにいた。和田だ。


「ブラバンなんて女子の巣窟だったし今更っすよ。旭日さんも別にいいっしょ?」

「勝手に決めんな! まあテレビで見る柔道選手なんかは女子でも男子と練習してるし、それが普通なら……俺は別に」


盗み聞きした和田のおかげで話は早くまとまりそうだった。


「というわけで部員もOKって言ってるし、入部できない理由はないと思うけど、どうする?」


景が澄をつついた。


「なんで俺」

「え、澄が部長だからだよ。それ以外の理由ある?」


景が目を細めてにこりと笑った。それ以外の理由大有りだ、食えない奴め、と澄は思ったが顔に出さなかった。


「石島、ひとつ訊きたい」

「はい」

「別に柔道がやりたいわけじゃないだろ」

「……はい」

「何が目的だ」

「目的なんてたいそうなものはないですが、今は言えません」

「何故だ」

「言えません」


なんだそれ、と澄は舌打ちした。


「すみません」

「ふざけてんのか」

「違います」


澄と石島が膠着状態に入りそうになったその時、景が口を開いた。


「澄、僕を信じてくれない?」


澄はじろりと景を睨みつけたものの、押し黙った。そして溜息を吐いた。


「……お前のことは信用してるが、今は関係ないだろ」

「関係あることにしてよ。っていうか多分関係あるんだよ。石島さんが入部して何かトラブルが遭ったら僕が責任取るから」

「責任取るってなんだ? 八つ裂きにでもされるつもりか? さっきお前が言った通り部長は俺だ。俺が責任を取る人間なんだ」

「でも澄を部長にすることに同意したのは僕だよ。同意した分の責任は僕にもあるよね?」


澄は再び黙った。

しばらく澄と景は睨み合っていた。正しく言えば、睨んでいるのは澄のほうだけで、景は真摯な表情で澄を見つめていた。


「分かったよ、景に免じて入部を許可する」

「ありがとうございます!」


石島もまた、再び勢いよく頭を下げた。


「入部届は明日以降でいい。とりあえず今日は見学しろ。ジャージは……着てるな。壁際に立ってるか座ってるかしろ。座るなら正座か胡坐だ。入れ」


和田と祥太郎はとうに畳の上に戻っていた。澄と景もさっと中に戻って行った。

石島は室内靴を脱いでそのあとを追いかける。


「澄の女性嫌いは知ってるけどさ」

「あ? 別に女が嫌いなんじゃない」

「はは、よく言う。でも大丈夫だよ」

「あ? なにが」

「……石島さん、多分"女子"じゃないよ」



***



【部外秘・縦高柔道部データベース】

一年一組 石島友里(いしじま・ゆり)

身長174センチ、体重57キロ

附属中出身、元ダンス部

入部理由 女子部のない運動部に入りたかったため

【文責・清沢澄】

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