南校舎の青い鳥~和田公孝の場合~

「ねえ澄、あれじゃない?」


赤い爪先の室内靴を履いた三年生が二人、一年生の教室の前でひそひそと話をしていた。

片方は小柄で華奢な美少年風、もう片方は中性的な顔立ちだが男子にしては長すぎる黒髪をハーフアップにし、ゴーグルのような眼鏡をかけた明らかに異質な雰囲気のある生徒だった。

対して、小柄で華奢な美少年――家根谷景がひっそりと指を差した教室の中の一年生は、少々窮屈そうに座席に収まっている長身の男子生徒だった。不機嫌なのか、もともとの顔立ちがそうなのか、凛々しい眉は吊り上げられている。

机の上にはこれ見よがしに参考書が置かれていた。置かれているだけで読んでいる様子はない。あれは休憩時間に迂闊に話しかけられないための人避けなのかもしれない。誰にって、たとえばクラスメートや、あるいはこれから自分たちがまさに行おうとしている部活動の勧誘など。


そこまでをじっと観察した長髪ゴーグル男――澄はようやく返事をした。


「『やたらデカい一年生、特定の運動部に所属している様子はないがやけに締まった体格をしており、いつ話しかけても不機嫌に追い返される』。たしかに祥太郎の話と一致するな。行こう」


澄と景は後ろ戸から教室に乗り込んだ。


何故この二人が一年生の教室に乗り込むことになったのか。

話は数日前に遡る。


***



青春、去りぬ。



四月、和田公孝は万感の思いで高校生活を迎えた。

縦浜たてはま学院高等学校、通称・縦高は縦浜学院大学の附属高校であり、その下に附属中学校を抱えている。そして生徒の大多数がそうであるように、和田も附属中からの進学生だった。

大学受験が必須とならない附属高校の生徒となれば、学生生活は部活にアルバイトに精を出し放題青春し放題である。

しかし、それを和田はのだ。


もっとも、縦高の充実した学生生活を送らせたいという教育方針上、青春し放題パッケージ解約即帰宅部という選択はできない。中学と高校までは部活動への加入が必須となっているのだ。


――さて、例の奴はいったいどこの部なんだ。


和田はある目的をもって部活動一覧を眺めていた。


『知ってる? うちの高校で初めて全国模試で一位取った人が出たらしいよ』


附属中学から高校へ上がる直前、そんな噂を小耳に挟んだ。

それ以来、和田はその全国模試一位が所属している部活に入るべく、その正体を突き止めようとあちらこちらで調べている。


何故なら和田は縦浜学院大学への内部進学ではなく、大学受験を考えているからだ。それも第一志望はかの東京大学である。

ゆえに、どうせ部活動への所属が必須なら頭のいい人間がいるところへ身を寄せておきたいと思ったのだ。それに、全国模試一位の人間が熱心な運動部などに所属している可能性は低い。どうせ週一活動の文化部だろう。それなら自分の勉強時間にも影響はほとんどない。


そういうわけで、和田は文化部から攻めて回った。

部活動見学期間が五日経過して成果はゼロだった。

本命だった科学部に当該人物がいなかったところで正直かなり拍子抜けしてしまったが、その後もさっぱりだったのだ。文芸部、情報技術研究会、美術部、クイズ研究会、ボランティア同好会と手話部まで回ったがそれなりに定期試験の成績がいい者はいても、全国模試一位はいなかった。

そもそも大学附属の高校だ、全国模試を受けている人間が少ないのである。

少なければすぐにあたりがつきそうなものだが、しかし模試を受けていること、外部受験予定であることを公言しない生徒もままいるため和田の調査は難航していた。


あまりの見つからなさにぶすくれた和田が、残りの部活動見学期間でどうしたら例の全国模試一位を見つけられるかと教室の自席で腕組をして考えていた時、一人の二年生が近づいてきた。この学校は結構な確率で他学年の生徒が平然と教室に入ってくるようだ。


「君、スポーツやってる?」

「勧誘なら帰ってくれ」


ノータイムだった。目もくれずに和田は答えた。

要するに部活動の勧誘に来たのだと判断した瞬間、脊椎反射で発語した。

和田はとにかく体格に恵まれていた。身長は百八十センチ後半ほどだし、中学まで所属していた部活では運動部でもないのに体力づくりと称して週に一回筋トレとジョギングの日が設けられていた。部活を引退した後も、意外と筋トレが嫌いでなかった和田は趣味として自宅で筋トレを続けており、運動部顔負けの締まった体躯をしていた。

そのせいでしばしば勘違いをした運動部員が勧誘のために和田の元を訪れていた。今日来た二年生で五人目だ。

とはいえ高校生になった和田が入るべき部活は受験勉強の妨げにならず、かつ例の全国一位が所属している部活であって、少なくとも週の大半を費やさなければならない運動部ではないのだ。


「せめてこっちは見ない?」


芯のある爽やかな声にそう言われて、渋々和田が顔を上げると大柄な男子生徒が立っていた。

ラグビーや、あるいはレスリングなんかをやっていそうな体格だ。制服をきちっと着こなした姿は折り目正しさや育ちの良さを想起させた。

和田はそこまでを一瞥してから、ぶっきらぼうに答えた。


「何部だ」

「やった! 少しは興味あるな? 柔道だよ!」

「興味はない」


柔道なんて運動部のなかでもよりによって最も粗野で暴力的な部類だろう。目の前の二年生が柔道部なのは少々意外だったが、だからといって偏見はよくないな見るだけ見てみるか、なんて思わない。時間の無駄だ。脳筋野蛮人のスポーツは脳筋野蛮人と、それに付き合える人間でやっていてほしい。


「えー、即答かよ。見るだけ見てみない?」

「さっき言ったろ。時間の無駄だ」

「……言ってないよ?」


和田はそこで顔を上げた。

何かを考えて視線を彷徨わせた後、納得したように答えた。


「失礼。脳内で既に終わった会話だったもんで」


そう言われた二年生の方は口をあんぐりとあけていたが、ここで引き下がれないと思ったのかなおも続ける。


「本当に全然一ミリも興味ない? 縦高ウチ、部活動必須だよ? どうせやるならスカウトもらって向いてる部活に入ったほうがいいよ!」

「あのな、先輩」


和田は鞄からわざとらしく受験用の参考書を引っ張り出して机の上に置いた。


「それはあくまでも部活動をエンジョイしたい人間の理屈なんだよ。俺は中学三年間でそれを十分にやった。これからは見ての通り、俺は違うステージで戦うわけ。分かったらお互い時間の無駄だから帰ってもらえます?」

「……分かったよ。帰る」


二年生は先ほどまでの圧しが嘘のようにあっさりと引き下がった。


「話が通じる人で助かった」

「でもさ、参考までに君が中学三年間でエンジョイしたのが何だったのか教えてくれない?」

「吹奏楽部」


和田の所属していた吹奏楽部は県内ではそこそこに有名だった。結局全国へは行かれなかったが県で入賞したし、個人の目標だった卒業前の定期演奏会でトランペットのソロを獲得するという目標も達成していた。


「そっか、ありがとう。またな!」

「ああ……って、また? もう来るなよ!」


それから数日、その二年生はなんと毎日和田の元を訪れた。

そして柔道部に勧誘しては、和田に断られて帰っていく。


「今日も駄目だったか~」

「今日もっていうか、変わらないっすよ」

「分からないじゃん。気が変わるかもしれないじゃん」

「そもそもなんで俺なんすか」

「デケえ奴が欲しいのよ。うちの先輩たち小せえからさ」

「ふうん」

「ま、いつでも南校舎においでよ」

「は? なんで」

「……格技場が南校舎にあるからだよ」

「ああ、そう」


和田は全く興味のない返事をした。

それよりも、部活動見学期間がもうすぐ終わってしまう。

本入部手続きが始まる前に、例の全国模試で一位を取った人間のいる部活を突き止めたかった。


――最悪どこか適当な部に籍だけおけばいいとは言え、これだけ探して該当者が見つからないのも癪なんだよなあ。おちょくられているような気がしてならん。

中学時代も成績は常に上位だったし、答えの出ないものなどないのが和田だった。


静かに腕組をして和田は身の振り方を考えていた。


***



そして、現在。


二年生の部員、旭日あさひ祥太郎しょうたろうの度重なる勧誘に和田が一切根負けする気配も見せないため、三年生の柔道部部長と主将である清沢澄きよさわすみ家根やねたにひかりが改めて和田の元を訪れる事態となったのだ。


柔道部が何度も和田を勧誘に訪れたのには理由がある。

一つは、現在部員が三年生の澄、景、二年生の祥太郎の三名のため存続の危機であるということ。

そしてもう一つは――連日和田を勧誘し続けた祥太郎が聞きだした情報を積み重ねた結果、澄は対和田勧誘戦において勝算があると踏んだからだ。


教室に踏み込むと、澄が第一声を上げた。


「やあ、和田くん」


不意を突かれて和田は驚いて顔を上げた。


「……な、え?」

「うちの祥太郎が世話になったね」

「誰っすか、祥太郎」

「ガタイがよくて育ちのよさそうな癖毛の二年生がこなかった?」


景が横から入って訊ねた。物腰柔らかく、穏やかな声である。

和田は少し視線をそらして思い出していたが、やがて「ああ」と言った。


「もしかしてあんたがた、柔道部なんすか?」

「そう。意外だった?」


澄は作ったようなにっこり笑顔でそう言った。

実際、澄はともかく景は一昔前のアイドルのような体躯である。すらりとしたスタイリッシュな出で立ちであり、決して格闘技をやっている雰囲気はないのだ。


「隠さずに言えば、まあ」


和田は正直に答えた。


「でも、俺はその祥太郎さんにもずっとお断りしてるはずですよ」

「勧誘を断り続けている、経験者でもない一年生の名前をわざわざ調べて足を運んでいる。しかも今度は最上級生がね。何かあると思わない?」

「……回りくどいのは嫌いだ。さっさと手札を見せろよ」

「嫌いなものを教えてくれてありがとう。そうだなあ、手札かあ」


澄は考えるふりをした。


「ねえねえ和田くん、君はどうして部活動の勧誘を断ってるの? ブラスバンド部には入らないようだし、入りたい部活が決まってるの?」

「……決まってる」

「へえ、何部?」


しゃがみこんで和田の机に顎を乗せるようにしながら景が訊いた。

和田はその質問の回答に少々困窮した。


「何部、っていうか……」

「決めてるんじゃないの?」

「いや、決めてはいるんだが」


その和田と景のやりとりを見て、ほぼ確信を得た澄が一瞬にやりと笑い、表情を戻してから口開いた。


「特定の部活ではなくて、条件に合致する部活に入ろうと思っているんじゃないのか? それも入る部活を決めているって意味にはまあ、なるからな」

「あ、ああ。それだ。そういうこと」

「で、和田くんはどんな部活に入ろうとしてるんだっけ?」

「あー、あんたらの前で言うことじゃないけど、俺は外部進学するから部活はあくまでも籍が置ければいいと思ってて」

「うんうん。でもそれなら文化系の部活の半分くらいが当てはまっちゃうから、ロジック的に入る部活を決めているとは言えないよね? もっと具体的な条件は?」

「あんたに関係ないだろ」

「関係あるかはこちらが決めるからものはためしで話してみようか」


澄はあくまでも気さくに、微笑んだまま返答を促した。

和田は少しだけ本音を出すか迷ったようだったが、やがて口を開いた。


「この学校で初めて、全国模試で一位を取った奴がいるって聞いたんだ。そいつがいる部に入ろうと思う」

「うんうん、それはどうして?」

「いやどうして、って。そりゃ、そんだけ頭いい奴できるだけ利用したほうが得だろ。受験に備えて、って意味で」

「そうだねえ。そしてもし、その全国模試で一位を取った奴のほうも、君を利用したいと思っていたら?」

「……え?」


何か異常事態が起きている、と和田はようやく気付いた。

気さくな雑談のように続いていた今までの会話は、すべて目の前の髪を結ってゴツい眼鏡をかけた三年生に誘導されていたのだ。

その様子を眺めていた景がにっこりしながら口を開いた。


「和田くんが探してる全国模試で一位を取った人はね、清沢澄っていって、柔道部所属で、たった今まで君に誘導尋問をしかけていた奴だよ」

「えっ」

「誘導尋問だと? 人聞きの悪い。確信を得られるように聞きたい答えを引き出したまでだ」

「じゃああんたが……」


和田は驚愕の表情を浮かべていた。

――柔道って、野蛮で粗野で暴力的な脳筋がやる格闘技じゃないのか。

――いや、それは言いすぎだし偏見だとしても、こんなことってあるのかよ。

そんな和田に、澄は改めて向き直る。


「ま、事実そうだな。自慢じゃないが、三年生の学年首席で特待生だ。学力で俺に抜きん出る奴はこの学校にはいない。で、お前はそんな俺を利用したいと言ったな?」

「……ああ」

「俺もお前を利用したいんだ。なんせ部の存続の危機だからな」


ギブアンドテイクだ、どうよ? と澄は言った。

和田は唇を噛んで澄を見つめていた。少なくとも機嫌のいい顔ではなかった。

ただ思案していただけなのかもしれないし、澄にしてやられたのが悔しかったのかもしれない。

もう一押しだ、と澄は口を開いた。


「まあ、和田くんが活動の少ない文化部狙いなら無理にとは言わない。勉強時間は欲しいよな。俺は週6で部活を続けながら全国一位を取ったわけだが、誰にでもできるとは思ってないし。受験頑張れって話だ」


和田は一瞬ぎょっとした。直後に澄を睨んだ。

澄は見切った。和田の並じゃない頭と要領のよさ、くわえて並ならぬ負けず嫌いを。


「……今日は?」

「ん?」


唸るように和田が言った。澄は他意なく訊き返した。


「今日は部活はあるのか? 詳しい話が聞きたい」


――かかった!


澄は内心で拳を握りしめんばかりの勢いだったが、それは見せずにあくまでもビジネスライクに笑ってみせた。


「放課後格技場に来い。交渉成立だな」


じゃあ、またあとでな。

澄はひらりと手を振ると、景を連れて踵を返した。


教室を出る直前、二人がぼそぼそと話しているのが聞こえてきた。


「和田くん、祥太郎に『全国模試で一位とった奴知らない?』って聞けば一発だったのにね」

「いや、祥太郎は知らない。そもそも模試受けてたのもお前にしか言わなかったんだぞ。お前が教室でうっかり言わなきゃ噂にもならなかったはずなんだ」

「それはごめん。全国一位なんて嬉しくて」

「あっそ、じゃあ許すわ。まあ――」


――どのみち、柔道なんて脳筋ゴリラのやることだからまさか自分より頭のいい奴がいるわけないとでも思ったんだろ。


ちらりと和田を振り返りながら放たれた澄の言葉に図星を指されて、和田は一人教室で気まずさを覚えていた。



***



【部外秘・縦高柔道部データベース】

一年三組 和田公孝(わだ・きみたか)

身長186センチ、体重不明(見たところ81か90くらい)

附属中出身、元吹奏楽部

入部理由 東大合格のため

【文責・清沢澄】

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