五章
「新太郎」
呼ばれて、侯爵家の嫡男は足を止めた。夜闇の中に紅い彼岸花が灯る、川沿いの道。ポケットに手を入れたまま振り返った先、強ばった風の表情を生来の微笑みで受ける。
軍属の親友は刃を横に含んだように、真一文字に口を結んでいた。やや俯き、軍帽の影になった目元は窺い知れない。
「どうした、辿」普段とは異なる気配を感じ取り、微笑みを取り下げる。急に飼い主が立ち止まって不思議がる犬のように、一歩、二歩と道を戻り、気遣わしげに友の顔を覗き込む。友は口を開かなかった。
星々が瞬き、天啓が示される間があって、最初からそう決められていたように、鎖々戸新太郎は中尉の肩章に手を置いた。
「……そんな思い詰めたような顔をして。何か悩みがあるなら俺が聞くぞ、辿。確かに陸士の同期たちと違って頼りないかもしれないが、これでも一応、お前の親友のつもりだ」
持ち主は決してそれを誇らなかったが、耳を潤し、髄を震わす貴公子の声を、美酒や弦楽、果ては月の歌声に喩える者もいた。
「――そうか、親友か」
「ああ、そうだとも」
――それもそうだな。安堵するような声がして、触れた肩から力が抜けた。
八重垣辿は顔を上げた。黒々とした、強い意志を宿す瞳が凛々しい眉を押し上げて、真っ直ぐに友の顔を見た。
「新太郎。責めはしないから、教えてほしい。
――修司と清司の父親は、新太郎、お前なのか?」
月のように白く凝固した
「終わったことを引きずり出してとやかく責めるつもりはない。み
決然と述べ、将校は視線を落とした。
「……自分ができた人間ではないということは嫌ほど理解している。こうして訊かずともいい事をわざわざお前に訊くのは、俺が弱いからだ。
それでも俺は、全部飲み込んだ上で、全部受け容れた上で……悔いなく胸を張って生きたい」
軍帽の庇の下、再び親友の顔に据えられた黒瞳は潤み、光を湛えていた。
――親友は応えなかった。返事の代わりに、滑らかな手が微かな衣擦れの音を立て、詰襟の腕をなぞった。
「――わかった。答えたくないならいい」
全部、忘れてくれ。そう言って軍人は踵を返した。
不幸の予兆のような川風が、血色の曼珠沙華を揺らした。
(何だ、こういうことだったのか)
線画の夜の中、人の形をした黒いもやがくずおれ、草深い土手を転がり落ちていった。
無感動にその様を瞳に映し、次いで化生は――鎖々戸新太郎は自らの手らしき器官を見遣った。優美に広げられた墨染めの翼。闇色の泥にまみれた羽毛をかき分け、白くて丸い無数の眼球が顔を出す。誰に似たのか黒曜石の黒目を備えたそれらは、きょろきょろと忙しなく蠢いた。どことなく愛嬌があるように感じられた。
ふとその気になって、猛禽の脚で地を蹴ってみる。汚泥を纏った身体は飛ぶには重そうに思えたが、いざ飛び上がってみると、まるで羽根が生えたように――実際に生えているのだが――妖鳥は軽々と宙を舞った。二度、三度と羽ばたき、生まれついての器用さで要領を掴むと、思うままに異界の夜空を飛んだ。
(俺が長年抱いていた違和感の正体は、これだったんだ。本質的に他の人間と違っていたから、俺は人の世に窮屈さを感じていたんだな)
妖魔の色のない相貌には微笑。
(これが、先生の仰っていた
(ならば、確かに理想の――静かな世界だ)
行く手にはただ一面の闇。空の自由を知った妖魔が漆黒の翼を広げる度、地には瘴気の立ち込める湖沼が生じ、『悪意』という名の猛毒で人心を冒した。
(――ただ、俺には少し、静かすぎる)
◇
「今更何を、と思われるかもしれませんが、修司君の相手が何も桃子である必要はありません。身分の垣根を越えて民間から梅子様を娶られた貴方からすれば古い考えかもしれませんが、修司様には桃子のような平民の娘ではなく、確かな家柄の御令嬢が相応しい。私は金に恵まれただけの江戸の商人の家で育った桃子が、華族の、それも由緒正しい侯爵家のしきたりの中で幸せに暮らせるとは思えません」
三好財閥の跡取りの
一方、鎖々戸侯爵家の嫡男・新太郎は洋孝とは正反対、喩えるならばこの上なく優美な猫科の猛獣か、飾り羽を広げた孔雀だった。弁舌を振るわずとも、大抵の相手は自然と美しい生き物の良きように取り計らった。
いずれ親類となる二人は東亰駅で待ち合わせ、名の知れたフランス料理店で晩餐を共にした。酒と商売と、趣味と。食事を摂りながら当たり障りのない話題について語った後は、車は呼ばず、少し散歩をすることにした。提案したのは侯爵家の長男だった。
「つまり、その由緒正しい侯爵家のしきたりさえなければ、桃子さんは幸せに暮らせるということだな」
濠沿いの道。晩夏の夜風に吹かれながら、鎖々戸新太郎は応えた。
「……お心遣いは有り難いですが、新太郎様や修司様だけの問題ではありません。家格からして違うのです。
私は正直、桃子には金や身分を妬まれるような家より、普通の、ごく平凡なところへ嫁に行ってほしいと思っている」
「それが、洋孝君の本音か」
それきり黙した貴人の横顔を、洋孝は眼鏡のレンズ越しに窺った。白雪の
月に住まう者がいるとすれば、ちょうどこの侯爵家の嫡子のような姿をしているのだろう。毎月妹に少女雑誌を与える兄は、冷静にその挙動を見守る裏で考えた。
貴い身分の男とその息子に、洋孝は時折地上の人間とは異なる理を感じた。月、もしくは他の天体の住人は言葉を必要とせず、声ではない他の何かを意思疎通の通貨としているのかもしれない……非現実的な考えだと理解していながら、二人の聡さにぞっとする瞬間があった。人間の心理を知った上で、わざと逆の行動を取っているのだと推察できるような時もあった。あまりの完璧さが見せる、一種の幻覚なのかもしれないが。
「十三も年が離れているから、娘のようにも感じています。気弱で強くものを言えない性格だから、心配でたまらない。お礼を申し上げるのが遅くなってしまったが、修司様に御猟場に連れていってもらった後、実は熱を出して寝込んだんです。鉄砲の音が怖かったに違いない」
「なんだって。良かれと思って協力したが、それは悪いことをしたな。次からは代わりに俺を連れて行くよう修司に言っておこう」
至極真面目な口調に、三好洋孝は黙した。家同士の仲は良好だが、鎖々戸新太郎は議論をする上で洋孝が最も苦手とする相手だった。爵位を持たず、長年無責任な立場に甘んじてきた自由人に、洋孝が信ずる理論の力は通じなかった。
「どうか真面目に聞いていただきたいんです。私は、桃子を貴方の御家にやりたくない。
――どうして、あんなに人が死ぬんです。梅子様まで、どうして」
本能的に喉を塞いだ躊躇いを蹄で押し倒して、洋孝は質した。直後、途轍もなく強大な化物に剣先を向けているかのような怖気が、身体の奥を震わせた。
「……どうしてだろうな」ぽつりと、貴人は応えた。
闇の深い新月の晩、その色白の相貌は地上の月。滴る夜露のためか、気まぐれに吹く風のためか、脳裏に、
「私は、呪いだったり憑き物だったり、そういう曖昧なものは信じたくありません。ですが、貴方の御家の周りでは、偶然では済まされないほど多くの人が死んでいる。梅子様も、その御家族も――貴方の弟御の啓太郎様だって、米国に留学しているという話ですが、本当なのですか。梅子様が亡くなられた直後に、急に出国するなんて不自然ではありませんか。貴方の御家とは家ぐるみのお付き合いをさせていただいておりますが、私はあれ以来、啓太郎様について聞いたためしがありません。こんなことは、できれば考えたくない。ですが、啓太郎様が、梅子様の死に関わっておられるなら――貴方の御家は、一体何を隠しておられるのですか」
言い募るうちに外桜田が見えた。隣の侯爵家の嫡子がふいに歩みを止め、洋孝は二歩多く進んで振り返った。
妙に冷たい風が吹き、月の映らない鏡面をさざめかせた。
「――新太郎様!?」
まるで、ふつりと糸が切れるように。今まで悠々と空を飛んでいた猛禽が、神の迎えの
「……愛していたんだ、皆」
不敬を承知で触れた頬は熱を帯びていた。朱唇は妙音を紡ぐ代わりに
「今、車を――」人を呼ぼうとした洋孝の手を、燃えるような五指が包んだ。
「心配をかけてすまない……」祈るように人の子の手を握り、天人は
「修司は……俺みたいに、生まれた時から古くて窮屈なあの家にいた訳ではないから……俺は、優しい桃子さんなら、修司の寂しさに気づいてくれると……本当は、ずっと俺が側で……あいつは、強がりで、寂しがりだから……」
月が闇に映えるように、天人の貴相は地に堕ちて一層光り輝くようだった。
「新太郎様……もう、喋らないで、」
「あと、少しなんだ。あと、少し……あと少しで……」
◇
「お父様!!」
「おかえり、修司。どうした、そんな泣きそうな顔をして」
出先で倒れたはずの父はけろりとしていた。寝巻きのガウンを着て、自室のベッドの上でうさぎの形に切ってもらった林檎を齧っている。
「お父様が、急に倒れたって聞いて……」声を絞り出す間に視界は歪んだ。「ぼくは……!!」
「そんなに心配させてしまうとは、申し訳ないことをしたな。ほら、修司にも食わせてやるから。おいで」
ぽろぽろと落涙しながら、それでも修司は唇を引き結んで決然と歩み、息子のあまりの泣き様に困り顔で腕を広げた父の胸に縋った。確かな心音を確認せずにはいられずに、左胸に頬を押し当て、そのまま後ろへ押し倒す。
「お父様っ、お父様……っ」
「可愛い修司をこんなに泣かせてしまうなんて、俺はなんて罪な男なんだろう」
「お父様が、死んじゃうかと思った……」
「ふふ、そんなことまで考えていたのか。本当に可愛い奴だなぁ、修司は」 言いながら、父親は息子の乱れた髪を梳いた。「修司のことを思うと、死ぬに死ねないよ」
いつもより少し高い体温の奥に規則的な音を聞きながら、修司は滑らかな生地に涙を染み込ませた。修司の世界はまだそこに在った。
「大きくなったなぁ……」父は深い息を吐く。「重いよ、修司」
修司は身を起こした。父の両脇の下に手をついたまま、
「……今日、一緒に寝て」むっと唇を尖らせ、言う。
美しい男は僅かばかりその黒曜石の瞳を見開き、そして、穏やかに笑んだ。
「こんなに熱烈に迫られたのは初めてだ」
子の羞恥に伏せた瞳の色を確かめるように、父親は白い腕を伸ばす。拇指の先で、小さく結ばれた花唇に触れた。
「お父様……」
「ん? どうした」
「――ぼくは、ずっと、お父様と一緒にいたい。結婚なんて、本当は嫌だ」
薄絹の天蓋をそっと降ろすような沈黙が訪れた。再び溢れた涙が、夜露が葉の上を滑るように、きめ細やかな肌を伝った。
「ぼくが愛しているのは、お父様だけなんだ……」震える声で、修司は告げた。
父は何も言わない。罪を犯す恐怖が身をわななかせた。
「お願い、結婚なんてしたくないよ、お父様…… ぼくは、ずっと、一生、お父様と一緒にいたい……」
熱い眼裏に到来する異国の庭園の景色。紅茶の香り。光るような風。花々の色彩――夜の帳が降りて、松韻のさざめく夜。魔性の抱擁。背後で破り捨てられた約束。
「ずっと、ぼくを愛して。ずっとここにいて、ずっと――」
ぼくを許し続けて。胸の奥で疼く罪意識を、薄らと血の滲む切り傷の痛みを、永遠に、その微笑みで許して。罪などどこにもないと、麻酔をかけて。亡者の声が聞こえないよう、耳を塞いで。
――ごめんなさい、お父様。ごめんなさい。嗚咽は止まなかった。
修司。優しい声が名を呼んだ。瞼を上げると、雫がはたはたと落ちていった。
潤む視界の中、父は、修司と同じように涙を流していた。
「愛を誓うのに、どうして謝る必要がある。 ――修司は何も悪くない」
言葉は絶え、静かな歔欷の声だけが響いた。
明かりが落とされ、闇が融ける。新月の夜に、世にも美しい毒花の花弁はひとひらひとひら降りつもり、修司の身体を、罪を、覆い隠していった。
夜半に修司は目を覚まし、眠る父の髪に口接けた。
血を啜り咲く花が斯様に美しいのであれば、その結実もまた美しく、同様に許されたものであるに違いない。
泥中の白蓮が厚顔でいられるのは、種が清いと信じて疑わないからだ。汚泥の底に這わされた根を知らず、自身の正体を知らず、それでいて潔白であることを主張する愚かさ。
――反吐が出る。
修司は冷たい引き金に指をかけた。闇夜は暗く澄んでいた。
懐中時計の秒針が時を刻んでいる。狙い定める先、遥か遠く窓の明かりはまもなく灯るだろう。覗き見た記憶の中、咎人たちは愚かにもを手帳に時刻を記していた。
これから開始されるのは粛清。神罰の雷が如く銃声を轟かせ、『魔弾の射手』が放つ弾丸は理想世界に仇なす罪人どもの頭を次々と撃ち抜くだろう。婚約者の周りをうろつく者どもも、自らにまつわる者どもも、邪魔者は皆悉く無様に脳漿をぶちまけ、自分が死んだと気づかぬまま死ぬだろう。
(ぼくは、お父様と同じ理想世界に至る。ぼくに関係する全てを殺して、ぼくは今度こそ、本当のぼくに――鎖々戸修司になる)
定刻になった。
明かりがつく。
窓に人影が映り、射手は引き金を落とした――
赤く燃え盛る炎に、射手の焼けつくように黒い影が炙り出される。愛銃を抱え、射手は出口に走った。
ドアに手をかけた瞬間、突き出された正拳が猟銃ごと青年を後ろへ弾き飛ばした。
「貴様ァッ!!」
軍服の男は叫び、倒れた侯爵家の御曹司に飛びかかった。胸ぐらを掴み、拳を振り抜く。
「辿がどんな想いで貴様を育てたか!! どれほど貴様を愛していたか!!」
――この親不孝者め!! 人殺しめ!!
――謝れ!! 辿に!! お前の父親にッ!!
怒号と、それに続く拳が頬を打つ音。業火は赫赫と燃えた。
◇
上官から招集がかかったのは夜半のことで、吾妻亮一は住み込みの老婢に息子を頼み、家を出た。
車を拾い、着いた先は寂れた神社だった。虫の声を聞きながら、短い参道の先、こぢんまりとした社殿の前で立ち尽くしていると、薄らと御扉が開き、僅かな光と共に上官の細面が覗いた。首を振って左右を警戒してから、ちょいちょいと手招きをしてみせる。
窓のない社の中は暗く、深い闇の奥にちらりと過った光も、上官の保持する蝋燭の灯火が、祭壇の神鏡に反射したに過ぎなかった。揺れる火先からは、嗅ぎ慣れた微かな異臭。
「夜中に済まないな。車代は出すから安心しろ」
「こんな時間にこんな場所で、一体何をしているんです。怪談話なら帰りますよ」
あながち間違いではないな。片頬を上げた上官を怪訝に見遣る。
おそらく仏具であろう燭台の心許ない明かりが、埃まみれの板間に足跡を浮かび上がらせる。目で辿ると、上官と同じく寝巻きに羽織を引っ掛けただけの男が胡座をかいていた。
「紹介する。私の従姉妹の旦那の警視総監殿だ」
え。出し抜けに言われて言葉を失う。先に頭を下げられ、慌てて答礼する。
狩人の異名を持つ辣腕家の顔には疲労が濃く見て取れた。八の字髭にも白いものが目立つ。輝かしい功績からは想像もつかない、まるで悪霊にでも憑かれているかのような風体だった。
「で、こちらが私の部下の吾妻大尉だ。こいつも私と同じものに憑かれている、というより私が巻き込んだ」
「一体、何の話なんです」
「お前もよく知っている、幽霊みたいなものの話だ」
帰るんじゃないぞ。陸軍中佐御影伊鶴は念を押して、部下に座るよう促した。大尉が腰を下ろすのを確認し、申し開きをするように姿勢を正し、八の字髭の男に向き直る。
「さっき、警視総監殿に謝らなければならないことがあると言ったが――単刀直入に話そう。『切り裂きジャック』は、我々が身柄を押さえている」
御影中佐。思わず腰を浮かせた部下を制止し、陸軍中佐は続ける。
「全部知っているくせして、我ながら白々しい労いと協力の申し出だったな。貴方の告白がなければ、『切り裂きジャック』に関しては白を切り通して、時の流れに解決してもらうつもりだったと明言しておこう。黙っていて申し訳ない。余計な心労をかけてしまった」
「『切り裂きジャック』は、人なのか」重たい沈黙の後、五十年配の男が口を開いた。
「いや。金髪碧眼の英国人で、医師の肩書きを持つ――化物だ」
深く長い溜息が薄闇に染み入った。
「……〈シンキ〉、とかいう名前の化物ではあるまいな」
「残念ながら、大当たりだ。やはり貴方も憑かれていたか」
「気が重いな……」男の声に力はない。「では、」
「お察しの通り、私の言う拝み屋もまたシンキだ。だが、実際に『切り裂きジャック』をやったのはあいつではない。あいつは、『切り裂きジャック』が別のシンキとの争いに敗れて死にかけていたところを拾ってきただけだ。ああ、安心してくれていいぞ。世の御婦人方を怖がらせた凶悪犯は、もう人を殺せる状態にない。治療を受けて今も何とか生きてはいるが、酷い有様だ。手足が欠損している」
「そうか……中佐殿の管理下にあるのであれば、俺個人としてはこれ以上追及すまい。人間よりも、同類に扱わせた方が確実だろう。それより、『切り裂きジャック』をやった別のシンキとは何者だ。正体はわかっているのか」
問われて、陸軍中佐は肩を竦めた。「さあな」
「人に混じって生きていることは確かなのだがな。拝み屋も、知らぬ存ぜぬ、暖簾に腕押し、柳に風だ。まあ、『切り裂きジャック』の尻尾すら掴めない私たち人間が正体を知ったところで、どうにかなる問題ではないのだろう。化物相手に下手を打てば死ぬ。奴なりの気遣いなのかもしれん」
「……気遣い、か」髭に手を遣りながら、男が呟く。
「警視総監殿の話もお聞かせ願いたいのだが、何か引っかかるものでもあるのか?」
「そういえば……俺に憑いている悪魔も、ある似通った変死事件については、俺たち人間の深入りを許さない。やめておけ、という」
「変死事件とは、どのようなものだ? まさか、凶器は不明だが死体は頭から三枚おろしにされているとかそういうのではあるまいな」
「何か心当たりがあるような顔だが……違う。
「焼け爛れている、か。『切り裂きジャック』も、その変死体と通じるものがあるな。身体のあちこちに、火傷を負ったようなケロイドがある。拝み屋曰く、シンキの能力はそれぞれ、同じものはいないとのことだから、『切り裂きジャック』を下したシンキは、その変死事件の犯人と同一である可能性が高い。
――ん。どうした、吾妻。顔色が悪いぞ」
陸軍中佐が窺った部下の顔は汗でじっとりと濡れていた。藪睨みの目を見開き、青い唇を噛み締めている。
吾妻。再度呼びかけられ、大尉は顔を上げた。開かれた口から、掠れた音が漏れた。
「お、俺の同期も――辿も、同じ殺され方をした……」
「辿……八重垣中尉のことか。学校で仲が良かったと言っていたな。華族の出で――変な死に方をしたと」
拳を震わせ、吾妻は首肯する。
「穴の開いた腹の中は溶けていて、傷口は焼け爛れたようになっていたと……本当に、惨い有様だったと……どうしてあいつが、あんな目に、」
そのまま頭を抱え、くずおれた。額を床に擦りつけながら、謝罪でもするかのように言葉を絞り出す。
「黄泉坂子爵は……! どうして俺は気がつかなかったんだ。あの絵――清司は、辿の息子だ。八重垣、清司……それから、修司……!!」
「落ち着け、吾妻」部下の背を摩りながら、陸軍中佐はもう一人の男に顔を向ける。
「八重垣清司なら、聞いたことがあるぞ。確か三年前の女学生殺害事件の犯人で、獄死したのではなかったか? ……八重垣中尉の子だとまでは、考える余裕がなかったが」
どうなのだ警視総監殿。問われて、男は我に返ったように目を瞬き、次いで視線を落とした。「申し訳ない」
「獄死は偽装だ。八重垣清司はまだ生きている」
「偽装だと。どういうことだ」
「犯人の八重垣清司には双子の兄弟がいた。あの悪魔共は――黄泉坂子爵と早乙女は、そいつを捕まえてきて八重垣清司の替え玉とした」
「黄泉坂子爵? 早乙女?」陸軍中佐は目を見開く。「世間は狭いな。一体、何がどうなってそうなった」
「家族を……」額に手を遣り、憔悴の面持ちで男は続ける。「地位と成果を約束してやる代わりに、協力するようにと……そうすれば、家族には何もしない、と」
「脅された訳だな。シンキと、英国の諜報員に」
「英国の諜報員だと……!?」
「まあ、そこはあまり気にしなくていい。『切り裂きジャック』の一件以来、我々の協力者として情報提供をしてもらっている。
――で、だ。話を戻すが、警視総監殿はシンキたる黄泉坂子爵に脅されて、八重垣修司を代わりに獄死させるのを黙認したということだな」
「そうだ……本当なら、俺はこの地位にいてはならない存在だ……」
「そんな顔をするな。誰にも知られなければ問題ない。この世の裏側から人を殺すのだって……証拠が出てこなければ、罪に問われることはないのだから。証拠が出てこなければ、な」
顎に手を当て思考する風の陸軍中佐は真剣な面持ちだが、片頬だけが引き攣るように吊り上がっている。
「では、警視総監殿。黄泉坂子爵によって生かされたのは八重垣清司、殺されたのは八重垣修司ということだな?」
男は重々しくかぶりを振った。「……わからない」
「わからないとはどういうことだ。もしや、双子の見分けがつかないのか?」
「いや……早乙女は死体を確実に処理したと言った。だが、後で別の者に確認させたら……とにかく曖昧なんだ。早乙女が何かしら手回しをした可能性はあるが、誰も死体を見ていないという。黄泉坂子爵が八重垣修司を――厳密にはそいつが入った麻袋を運び込むのを見た者はいるが、それ以降に八重垣修司を見たという、はっきりとした記憶を持つ者がいない。本当に死んだかどうか、わからない」
「なるほど。わざわざ自分で替え玉を運び込んでおいて、その後の痕跡を消すのは不自然、獄死の事実を捏造するのであれば、動かぬ証拠が――八重垣清司と瓜二つの、双子の兄弟の死体が要る。黄泉坂子爵の仕業でないならば、協力関係にある早乙女の仕業と見るのが普通だが、違う。違うな。そもそもあいつには、替え玉を用意してまで八重垣清司を――敵国のシンキを生かしておく理由がない。十七で黄泉坂子爵家の書生になってからずっと、本国に情報を流し続けていたんだからな。シンキ――向こうでは〈Phantom〉というらしいが――の情報もな」
あちらでは随分と幽霊の研究が進んでいるらしいぞ。陸軍中佐は素直な感心を顕に付け足した。
「ますます混乱するな」髭に手を遣りながら、男は息を吐く。「一体、奴らはどういう関係なのだ。黄泉坂子爵はこちらに協力するという名目でシンキを狩っていたが、早乙女の入れ知恵だったとでもいうのか。黄泉坂子爵を利用し、戦力になりかねない敵国のシンキを減らしていたとでも」
「ならば何故わざわざ替え玉まで用意してシンキの八重垣清司を生かしたのだ、というところに話が戻る。同類で利用価値があると黄泉坂子爵が判断したからか? 奴らに血縁の情があるかは知れんが、だからといって亡き弟の子を片方代わりに殺してまですることか? それこそシンキの力でどうにかならんのか。
――ええい、ややこしい。どうしてシンキというものはこうも動機が不明瞭なんだ。八重垣修司失踪の謎も、『切り裂きジャック』をやった変死事件の犯人も。それに元を正せば、始まりは『魔弾の射手』だ」
そうだろう警視総監殿。語気強く確認した陸軍中佐に、男は溜息を返す。
「そうだったな。他はさておき、『魔弾の射手』は唯一表に出ている事件だ」
「ああ、解決の要がある――おい、吾妻大尉。大丈夫か。起きろ。寝ている場合じゃない」
陸軍中佐は埃まみれの床に丸くなったままの部下を揺する。大尉はぴくりと身体を震わせると、徐に上体を起こした。
所々に埃を乗せた髪の貼りつく相貌は青白く、やや藪睨みの眼は暗く彷徨っている。陸軍中佐は言葉を飲み込み、代わりにもう一人の男に質問した。
「『魔弾の射手』はまだ人の管轄だと言われたそうだが、人の範疇で捜査した結果はどうだった。何か出てきたのか」
「いや……将校らが標的としていた財界の関係者とその身内を洗ったが、日露戦争の老狙撃手、それから趣味の猟のために銃を所持している者が数名出てきただけだ。事件との関連を匂わせるような、怪しい動きも確認されていない。それに、もし仮に彼らの中の誰かが犯人だったとして、どこで将校らの計画を知ったか、何故全員の殺害に踏み切ったのか、動機に謎が残る」
「親しい仲間ですら知らなかった計画をどこで知ったのか、告発ではなく殺害を選んだのは何故か、か」
「ああ。将校らの計画は、一人一殺の命を持った六名以外、つまり射殺された被害者以外、誰も知らなかった。将校らに部屋を貸していた老人だって、部屋から遺体と刀が運び出されて初めて事を知ったというからな。将校らの中に内通者がいたとも考えられるが、全員殺されてしまってはな……」
「計画を止めようとした将校らの内の誰かが、すこぶる腕の良い狙撃手に、およそ四百メートル離れた帝都新聞社のビルの上から自分たちの頭を撃ってくれるよう依頼した――ふむ、半々といったところか。『魔弾の射手』が、人か、そうでない者か。内通者がいたとすると、残念だが射手が部内の者の可能性も考えられるな。帝国陸軍と、内通者の名誉のために皆殺しにした。動機としては十分あり得る。少なくとも、シンキよりかは筋が通っている」
個人的には、
「焦りもあって、言われるがまま財界の関係者を洗っていたが……狐の虚言に踊らされていただけだったのかもしれないな。中佐殿の知り合いに腕の良い、それこそ悪魔と契約したような狙撃手はいないのか」
「探せばいるのかもしれないが……時間がかかるぞ。私は人間だからな」
む、と唸って髭に手を遣った時、半ばほどの長さになった蝋燭の火が、ぼ、と音を立てて揺れた。目で促されて、触りすぎて抜けた髭の一本を火にくべる。身悶えするように黒い髭が巻き上がった。
「あとひと月……」熱された指先を見つめる。「悪魔の力を借りないと、途端に無力だな」
「部内の狙撃手は早急に部下に調べさせよう。だが、こちらもいろいろと立て込んでいてな。当の私があまり自由に動けない。拝み屋に頼めないこともないが、今回は宛てにしない方がいいだろう。早乙女や黄泉坂子爵とどんな関係にあるかわからん」
そこまで述べて、陸軍中佐は部下を見た。
――ぼんやりと炎を見つめ放心するさまは、まるで亡霊にでも憑かれたかのよう。
「……清司……修司、」吾妻亮一は虚ろに呟く。
耳に蘇る歔欷の声。目線の先でしきりに揺れる明かりは、同期の葬式で灯されていたものと同じ。
――泣いていなかったのは、どちらだったか。漠然と、疑問が浮かぶ。
脳裏で、同期が手を挙げ応える。その隣には友人だという侯爵家の男。フィルムの一コマのように、絹帽の下で撓む目元が記憶の端を掠める。
場面は変わり、うらぶれた旧家の居間。丸刈りの軍人たちがぎゅうぎゅう詰めになり、生まれた双子を囲んでいる。
――俺たち皆、貴様に似て黒くてごつい、見るからに丈夫そうな赤ん坊を期待して来たんだぜ。なのに、まさかこんな色白の娘みたいだとはよ。軍人より役者になった方が儲かるぜ。
同期の一人が言った。嫁に似たのだと、八重垣辿は苦笑した。どこもかしこもやわやわとした赤子をどぎまぎと見つめる一番親しい同期に、
――どうだ、可愛いだろう。こっちが■司、こっちが■司だ。抱いてみるか、吾妻。
「……ああ、この子は目尻にほくろがあるな……こっちが……」
■司。
――似ているな。ふと過った直感は押し殺した。
感覚は遷移し、手には暁夫を抱いている。今朝のことだ。
庭に作った小さな畑の世話を終え、縁側に腰掛けた住み込みの老婢は、珍しく新聞を読んでいた。配達員が間違えたのか、郵便受けに入っていたという。
――侯爵家の御曹司様が、財閥の御令嬢とご婚約ですって。あらぁ、親子揃って大層美男でいらっしゃるわねぇ。
暁夫を抱いたまま、吾妻は紙面を覗き込んだ。粗い写真が載っていた。
「――鎖々戸修司、」
「鎖々戸修司?」陸軍中佐御影伊鶴はその名を繰り返した。
「急にどうした。鎖々戸といえば侯爵家、修司は確か長男の子だが……八重垣修司と、名前が同じだとでも言いたいのか?」
大尉は首を横に振った。戦慄く口の端が笑うように持ち上がる。
「鎖々戸修司は、八重垣修司……そうだ。父親の葬式でも泣いていなかった。はは、そういうことか……」
――裏切り者め。
「……鎖々戸修司は、八重垣修司。同一人物だと」
「はい」瞑目したまま肯定し、大尉は双眸を開いた。左目は斜を向いていた。
「シンキの素質は遺伝する可能性があると、比良少佐が言っていましたよね。御影中佐」
「ああ。神波の実家のように一定の周期でシンキが生まれる血筋がある、研究してはどうだろうか、と予算をせびられたな」
そこまで言って、陸軍中佐は部下の唯一の特徴といえる斜視の目に、赤い炎の揺めきを見た。
ぐっと唇を引き結び、大尉は頷く。「謎が、解けました」
「所在のわからない八重垣修司は、鎖々戸修司と同一人物。そして――シンキです」
「まるで名探偵のようだな」陸軍中佐は薄い唇に笑みを含む。「ならば、何故替え玉にされた。同じシンキであるのなら、双子のどちらを生かしても同じではないか?」
「おそらく、八重垣修司は後天的にシンキになった五色君のように、替え玉にされ、代わりに殺される直前にシンキになったのでしょう。それなら、失踪の謎も解けます。ですが、どちらにせよ、黄泉坂子爵は八重垣修司を殺すつもりだった」
「何故」
「奴が、弟の仇の血を引く『裏切り者』だからです。八重垣修司は、辿を殺したシンキの子として今も生きている」
「――鎖々戸新太郎が、黄泉坂子爵の弟を殺したシンキであると」
険相の男が目を見開く。
「犠牲になったのは辿だけではなく、『切り裂きジャック』もです。黄泉坂子爵の右腕もきっと、奴にやられたに違いない」
「あの侯爵家の周りには不審死が多く、前々から怪しいとは思っていたが……いくら探しても証拠が見つからないのは、幽霊や呪いなどではなく、犯人がシンキだったからか」
口元に手を遣り、苦々しく視線を下げる。
「相当な数が死んでいる。悔しいが、黄泉坂子爵が言うように、人間が深入りすべきではないのかもしれない……罪状も取りようがない」
「……殺してしまった方が世のためでは?」
「吾妻」
部下を諌め、陸軍中佐は息を吐く。
「話を戻すようで悪いが、双子なら、八重垣修司も清司も同じ『裏切り者』だろう。八重垣修司が鎖々戸新太郎の子として現れたのは、替え玉にされた後だ。お前の理論なら、黄泉坂子爵がシンキというだけで八重垣清司を生かしたのには違和感がある。シンキの傾向からすると、黄泉坂子爵が『裏切り者』として両方殺していたとしても不思議ではない。どちらも、自分の弟とは血の繋がらない仇の子なのだろう」
「それは……八重垣清司が、辿の事を大切に思っていたからですよ。八重垣修司は、親の葬式でも泣いていなかった。黄泉坂子爵は辿の葬式にはいらっしゃいませんでしたが、おそらく、双子の違いを見抜いていたのでしょう」
「シンキにも、人間らしい情があると」
呟いて、口の端を歪めた。「あくまでも、我々の主観だろうがな」
「さて、警視総監殿。三年前の八重垣修司失踪の謎と、『切り裂きジャック』をやった犯人が明らかになった訳だが、肝心の『魔弾の射手』が手付かずだ。いかがなさる」
向き直って問えば、男は何か思案するような顔で髭の先を扱きながら、
「正直、シンキは人間の手に負えない……だが『魔弾の射手』は、まだ人間の手の届く場所にいる」
「何か確信が?」
「シンキは心で人を殺す。何人も殺すような殺戮の才能があるシンキは、もっと理不尽に、本能的に殺す――と、前に早乙女が言っていた。『魔弾の射手』の動きは、人間と仮定すれば説明のつかない部分がある。だが、遠距離から射殺するのは、シンキの文法に当てはまらないという。ならば、『魔弾の射手』には人間的な部分があるということだ」
「後天的にシンキになった者は感性も人に近いところがあると、比良少佐が」
集った男たちは互いに顔を見合わせて、半ば呆然としながら頷いた。
「あと一押し、何か欲しいところだ」
口にした色白の細面に、八の字髭の男はにやりと太い笑みを返す。
「とっておきのがあるぞ――銃の所持者のリストに、鎖々戸侯爵の名前があった」
「ははは、警視総監殿」陸軍中佐はからからと笑い、男の肩を叩いた。「それを早く言え」
「不用意に発言すれば、議論を誘導することになりかねん。最終的に結論に辿り着けはしたが……今回は中佐殿の部下の手柄だろう。黄泉坂子爵の弟君と、鎖々戸新太郎の繋がりが明らかにならなければ、おそらく謎は解けなかった」
「まるで仕組まれているかのように鮮やかな解決だったな。でかした、吾妻。比良たちの面倒を見させた甲斐があった」
部下の背をばしばし叩きながら、陸軍中佐は明るい声で言った。
斜視の目を細め、部下ははにかんだ。「普通に痛いです」
「済まない。尻尾を振る犬と同じで、どうやら嬉しいと人を叩く。父の癖が移ったようだ」
「大旦那様には、俺も叩かれた記憶があるな。
――中佐殿。『魔弾の射手』の目星はついたが、どう戦えばいいだろう。将校らを殺した罪状はある、動機も、財界関係者として狙われる可能性のあった祖父や父を守る為だと想像できる。だが、シンキだけあって証拠がない。神出鬼没な上、人の心を好き勝手できるせいで跳梁を許してしまっているのが現状だ。仮に逮捕できても、逃げられてしまうだろう」
「そう考えると、奴らに市民権を持たせることには大きな意味があるな。諸刃の剣ではあるが。
よし、とりあえず捕まえて、半分こちらで引き取ろう。虎穴に入らずんば虎子を得ず、仔虎を捕まえた後で親虎がどう出てくるかは正直賭けだが、拝み屋は仲間を欲しがっている。奴が上手く交渉できれば、青年将校射殺事件は幕を閉じ、こちらは戦力を拡充できる。黄泉坂子爵と早乙女が八重垣清司を生かした時のように、奴も偽装工作ならいくらでもできるだろう」
……シンキの内情がぼろぼろ出てきたせいで、問い質したいことは山ほどあるがな。声を落とし、陸軍中佐は付け加えた。
「比良少佐ではなく、黄泉坂子爵に引き渡せばいいのでは?」
いつもの控えめな提案をする調子で、大尉は発言した。
「……吾妻。それは良くない考えだ」
「ですが、あんな奴を仲間に入れて困るのは私たちでは?」
「黄泉坂子爵はやめた方がいい。何事も全か無か、生か死かだ。中間がない。温情もない」
「その点、拝み屋は中間しかない。何もかもが曖昧な感じだ」
「それならまだ議論の余地がある。最終的な処断はこちらで持てばいい」
警視総監の男にも言われて、大尉は何か言おうとした口を閉じた。
「それで、『魔弾の射手』の捕獲だが、策はある。だが、先程も言った通り、私はあまり自由に動けない。同じくシンキ絡みの、大きな仕事がある」
「自分が行きます」確然とした声で、大尉が言った。
「私の部下の中で、あいつらと長く接しているお前が一番シンキに詳しい。だが、」
「お願いします。行かせてください」端座し、許しを求める口調に迷いはない。
「少しでも、辿と黄泉坂子爵に報いたいんです。誤解をしていた分まで……」
陸軍大尉は頭を下げた。汗ばんだ
八の字髭の男が頷き、陸軍中佐は通った鼻筋から長く息を吐いた。
指先ほどの長さになった蝋燭の火が、応えるように、ぼ、と鳴いた。
◇
【魔弾の射手は侯爵家の御曹司か!?】
――八月三十一日の朝。広小路を見渡すベンチに腰掛けた男は、号外記事を手に莞爾として笑む。
身に纏ったキャソックは晩夏の日差しに一層黒く。何かに耳を貸すように首を傾ければ、漆黒の背に流れる銀糸がはらりと解れる。
そのよく磨かれた革靴の足元には、蝉の死骸を啄み、弄ぶ灰色の鳩。
緑と紫に照る首元が角度を変える度、かさかさという乾いた音が、空虚に地面を転がった。
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