Ⅱ
序章
そこが、花園のような場所であったと記憶している。
「――僕は、死ぬという結果や、死んでいるといった状態に興味はないんだよ」
小さな墓を見下ろし、少年は言う。その足元には巣から落ちて死んだ小鳥の雛が眠っていた。白薔薇の咲く小径の片隅。穢れなき聖母を象徴する花々の如く、そのあどけない面差しは無垢で清らかだった。
言葉の意味を捉えかね、やがて紡がれるであろう結論を待つ耳に届く、子供たちの無邪気な笑い声。底知れぬ影の点在する秘密の通路には、朝露が閉じ込めた花と緑の香が濃密に香っていた。
「つまり、僕は――」
歌いかけるように発された声に、隔絶の音を聴く。
少年は莞爾として笑み、
輝く太陽の色の髪の、宗教画の天使を思わせる少年は碧い目を細めた。
「この雛は、最後にどんな声で鳴いたのかな……」
音楽を愛し、また音楽に愛された純粋な少年の瞳が冷たく凝るようになったのは、いつからだろう。冷たい鉄の扉の奥に聞いた絶叫が、耳を離れなかった。
「……お前は、逃げないの?」
「逃げる? どうして?」
蒼天の虹彩を、少年は背後に向けた。そよ風に揺れる木々や、瑞々しい緑のアーチ。芳しい花の数々に、小さな教会の十字架。そこには美しい庭園の風景が広がっていた。
「逃げたりなんかしたら、神父様に怒られちゃうよ。悪い事をしたら、天国に行けなくなっちゃう」
白い花弁が、一枚ずつ丁寧に引き千切られ、煉瓦の小径に散る。最後に残った萼は興味をなくしたようにぴんと指先で弾かれて、茂みの中に消える。
「ねぇ、歌ってよ、
美しいボーイソプラノが弾む。笑みの形に撓んだ碧眼が、琥珀色の瞳を覗き込む。
君の声を聞かせて。せがまれて、少年が特に好んでいる賛美歌を口ずさむ。空を知らずに死んだ雛への、鎮魂の意も込めて。
柔らかな旋律に耳を傾ける間も、心安らかに閉じられた薄い瞼から僅かに覗く瞳孔は、歌を響かせる喉元に絶えず視線を注いでいた。
「君の声は美しいね。天から降ってくるみたいだ……」
歌い終えた小鳥を、金色の髪の少年は抱擁した。震える喉に耳を押し当て、吐息に熱を込める。
「ああ……胸が苦しい、苦しいよ。僕の身体、何だか変みたいだ……ねぇ、ほら、」
すべらかな手に導かれた指先に触れた感触に、息を詰まらせる。確かな温度を秘め、脈打つ一点。空いた手が頸の後ろへ回って、逃れることも叶わぬまま頸動脈の蠢きを聴かれる。柔らかい金糸のかかる友の首筋には、白い粟立ちが広がっていた。
どこかから、誰が流したかも判らない血が香り立つ。無数の刃を向けられているような不安感に、同じように肌を粟立てる。身体は金縛りに遭ったように動かなかった。
鋭い痛みが走った。愛しむように首筋を這う指が、流れ出た温かい液体を味わうように捏ね回す。
「どうして……お願い、痛いよ……」
無理に開いた唇に、鉄の味が染みた。「やめて……」懇願するも、清らかな少年の姿をした捕食者には届かない。この世の裏で、獲物を捕らえた有棘の蔓がピアノの弦のように張り詰めた。
「歌って、小夜鳴鳥。一緒に天国へ行こう……」
赤い血潮と、黒白の音の並び――
「歌えないよ……」
歌って。喉元に突き立てられる、消毒されたメスのように冷たく鋭利な音。
嫌だ。最後の抵抗を試みた時、眼裏で、にゃあ、と声がした。
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