第15話 エドヴァルドの後悔 ―彼は最後までわからなかった―
どれほどの月日が流れたのかわからない。
暗い牢屋の中でオレは、ただぼんやりと日々を過ごしていた。
見張りがしっかりつけられ、自決することも叶わない状況。処刑が決まっているのなら早く執行して欲しいと思った。
アクセリナ様は、今どうしているのだろうか。
オレのことを少しでも思い出してくれているのか。オレは毎日毎日、アクセリナ様のことを考えている。
今でもどうしてこうなったのかわからない。
オレはただ、アクセリナ様を愛していただけなのに。
婚約解消が原因なのだろうか。長い時間婚約者のままだったのがいけなかったのだろうか。
でも、それでも、好きなら。愛があるなら、待てるものではないのだろうか。
そのとき人の気配がして、オレはのろのろと顔を上げた。過去面会に来たのは、ヴィルフェルム様と聖女ヘレーナ様。二人共オレを見る眼差しは、同情めいたものだった。
「わたくしの見立ては間違っていなかったのですね。……とても残念ですわ、あなたはあの優柔不断ささえなければ、良き騎士であったのに。……それでも、王配が務まるとは思えませんでした。だってあなた、アクセリナ様しか見ていないんですもの」
それの何がいけないのだろう。
ただ一人を想い続けることの、何が。
「いつかきみが弟になると思っていただけに、本当に残念でならない。……ディーノ王子殿下からの用命で、きみの処刑は二年後を予定している。その間少しでも反省してくれると良いが……」
何を反省する必要があるのか。
アクセリナ様との婚約を解消したこと? でもあのときはそうするしかなかった。そうしなければアクセリナ様に相応しくなれないと思ったんだ。ヴィルフェルム様だって、弱い弟は嫌だろうに。
「アクセリナの心を傷つけ、エミリ嬢の背に迷いなく剣を振り下ろし、……きみは婚約者としても、騎士としても失格だ。はっきり言おう。アクセリナと結婚したのが、きみでなくて良かったと」
なぜだ。
どうして。
オレほどアクセリナ様のことを想っている男はいないのに。アクセリナ様を幸せにできるのはオレだけなのに。
アクセリナ様だってそれを望んでくれていたのに。
「やぁ、久しぶり。あーあ、随分やつれちゃって。髪の色もすっかり戻ってるみたいだね、だいぶくすんでるけど」
姿を見せたのは、オレが一番望んでいない男。ディーノ・ウーナステラ。
腕に何かを抱えて、あのにやけた顔でオレを見下ろしている。
「ねぇ、ほら見て。この子。可愛いだろう?」
ディーノ・ウーナステラの腕にいたのは、小さな赤ん坊だった。明るいブラウンの髪に、眠たげに開いては閉じている瞳の色は、……ヘーゼル。
オレの心は、その存在を受け入れることを即座に拒否していた。
「フラムティド・ウーナステラ。僕とセリナの子だよ。名前はセリナがつけたんだ」
ざわざわと、不快な感覚が腹部からせり上がってくる。
嘘だ。嘘だ。
そんなこと、ありえない。
「信じられないって顔だね。でも残念、この子は紛れもなく僕たちの子ども。愛の結晶だよ」
耳鳴りが酷い。吐き気が止まらない。
この男が言葉を紡ぐ度に、殺意が芽生えて止まない。男に、その子どもに。
「……した、のか……」
「え、何?」
「……汚した、のか……あの方を……」
男は鼻で笑った。
「汚したなんて人聞きの悪い。ちゃんとした愛の営みってやつだよ。僕は我慢強いから、彼女が僕を好きになるまで手は出さなかった。つまり、どういうことかわかるよね」
わかるものか。
わかりたくもない。
そんなはずがない、あるわけない、アクセリナ様がオレ以外を、なんて、そんなことが!
「はは。いい顔してるね。絶望と憎悪と、色んな良くない感情が混ざりあった顔だ。この子にはとても見せられない」
子どもをあやしながら男は、そのにやけた顔をやめて真顔になった。酷く冷めた目はまっすぐにオレを見て、――射殺さんばかりに。
「あの日お前が、アクセリナの侍女を傷つけアクセリナに迫っていたとき……それを見た僕がどれだけ、お前を殺そうと思ったかわかるか? 本当はあの場で殺してやっても良かった。僕にはその権利があるから。でもアクセリナがそれを望まなかった。きちんと手続きを踏んで、罪を償わせるってね」
アクセリナ様は優しいから。
アクセリナ様はオレを想ってくれているから。
「だから僕はこの国の王子――ヴィルフェルムに言ったんだ。アクセリナと僕の子どもが出来るまで待って、って。お前に、心底の絶望を味わわせるために」
なんてやつだ。オレを苦しめるためにそんな真似を。アクセリナ様との子どもだなんて嘘をついて。
汚い男だ。アクセリナ様には似合わない。
「本当は、アクセリナもここに連れてこようと思っていたんだけどね。彼女、何て言ったと思う? 『罪人に会いに行く理由がない』――だって。自分はもうフレイ国の王妃だから、フリッグ国の罪人に会いに行く必要がないってさ」
息が詰まった。
呼吸が出来ない。
嘘だ、そんな。アクセリナ様。
オレはずっとここで、この暗い場所で、あなたという光を待っていたのに。
「嘘だ……嘘だ、嘘だっっ!! お前の言うことなど信じるものか!!」
「別に信じなくてもいいけど。どうせお前、もう処刑されるんだし」
「アクセリナ様をっ、アクセリナ様と話をさせろ、あの方ならオレの気持ちをわかって……」
「ねぇ。もうアクセリナのこと呼ぶの、止めてくれるかな」
男の腕の中にいる赤ん坊が、オレを見た。ヘーゼルの瞳が、オレをまっすぐに見つめていた。
その眼差しはまるで、オレを責めているようで。
どうして、なぜ。
「それじゃあね、えーっと、名前なんだっけ……まぁ、いいや。お前のことは嫌いだけど、アクセリナを手放してくれたことだけは感謝してるよ」
手放してなんかいない! ただ少し距離を、時間を置こうとしていただけだ!
どうして!
どうして待ってくれなかったんだ! どうしてオレだけを選んでくれなかったんだ!
子ども、なんて……あの男との間に、……。
「うぐっ……うえぇっ」
吐き気を堪えきれず嘔吐する。出てきたのは胃液だけだった。何度も腹部が大きく上下して、嘔吐を繰り返す。
アクセリナ様。
アクセリナ様。
……最後に、ひと目でいいんです。あなたの姿を見せてください。
どうか、どうか。何よりも愛しい、あなたの姿を。
処刑の日。
アクセリナ様の姿はなかった。ヴィルフェルム様とスヴェン様、ヘレーナ様の姿は確認できた。
あぁ、あぁ。どうして。
あなたを愛しただけなのに。あなただけを愛していたのに。
オレはどこで何を、間違えてしまったんだ?
優柔不断な公爵子息の後悔 @arikawa_ysm
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