第14話 愛した人は、過去の人へ

 アクセリナの部屋に、ディーノがやって来ている。二人並んで、ソファーに座っていた。

 あれからエドヴァルドは、フリッグ国へと送還された。城の中で起きた出来事は内々に処理されており、今では平常通りとなっている。

 フレイ国へ謝罪に訪れたヴィルフェルムは沈痛な面持ちで、彼を投獄したことをアクセリナたちに告げた。

 隣国へ嫁ぐことになった王女の侍女に怪我を負わせ、そして王女にも危害を加えようとし、さらには善良な民を脅し、利用して、フレイ国を騙した。そのままフレイ国で処刑されてもおかしくはない状況であったが、ディーノはエドヴァルドをフリッグへ送還しその上で罰を与えて欲しいと言った。

「減刑は求めない。城へ侵入して王女に害をなそうとしたんだから、まぁ処刑が妥当だろうね。ただ、執行まで二年は待って欲しい。二年後、彼にとっての一番の罰を与えた上で処刑してくれるかな」

「一番の罰?」

「うん、それはあとでヴィルフェルム殿下に伝えるよ。……彼の刑に関しては、僕とヴィルフェルム殿下にまかせてくれるんだろ?」

 アクセリナは無言で頷いた。

「……すまない。私がエドヴァルドとのことを、しっかり片付けておくべきだった」

「謝らないでよ。――正直さ、聞いていた話とだいぶ印象違ったんだよね、彼」

 ディーノにとっては恋敵とも言える相手であるが、想像していた人物とは雰囲気が全く異なっていた。髪の色や長さ、人相などが大きく変わってしまったためにフリッグでもフレイでも中々見つけられなかったのだろうという話は、すでに聞いていた。

「あれほど愚かな男ではなかった。もっと謙虚で努力家で……優しくて、気遣いの出来る男だった。だから私は心を寄せたのだし、王配にと望んだ。……あれが本性なのだとしたら、私はどこまでも人を見る目がない」

 ふ、と自嘲気味に笑う顔に、ディーノは首を振った。

「愛ってのはさ、簡単にひとを壊してしまえるんだよね。結婚するまで優しかった相手が、結婚した途端変貌するなんて話はよく聞くし。愛に狂って国を滅ぼした王族の話も、少なくない。彼はセリナへの愛が暴走して歯止めが効かなくなったんだと思う。だから悪いのはセリナじゃなくて、弱かった彼の心なんじゃない?」

 弱かった。……確かに、そうだった。

 婚約してからも彼は自信なさげで、頼りなくて。いつか変わってくれるものと期待していたけれど、ついに変わることのないまま離れることになった。それがまさかあのような振る舞いをするなんて。人を脅して利用してまでアクセリナの愛を取り戻そうとしていた。


 彼には、それしか、なかった。 

 

「……どちらにしろ、愛が彼を壊した理由なのだとしたら、やっぱりその原因は私だろう。私がもっと早く見極めていれば、あれがここまで私に執着することはなかったかもしれない。今さら何を言っても意味がないが……私もまだまだ、未熟だ」

「そんなことないと思うけどなぁ」

「結婚時期を延期するか」

「絶対やだ」

 即答したディーノに、アクセリナはふふ、と笑った。

「私もそれくらい、はっきり言ってやれば良かったのだろうな。あいつのためと思って待つことを決めたが、それが却って悪い結果を導いた。……いつまでも待っていると思い込ませたのは他でもない、私自身だ」

 ふー、と深く息を漏らして、アクセリナは目元を抑える。平静を装ってはいるが、内心は相当参っているようであった。

 無理もない、元婚約者――心から愛していた男が、あのような暴挙に出たのだ。

 王族と言えど、傷つく心はある。

「……おい」

「ん?」

「慰めないのか」

「え?」

 じとりと横目に睨みつけられたディーノは、彼女の言葉の意味をどう捉えていいのか迷った。自分の都合の良いように受け取ればいいのか、それとも言われるままに慰めの言葉をかければいいのか。

 迷ったのは、一瞬だった。

 彼は自分の欲望に、正直だった。

「ねぇ」

「ん」

「抱きしめていい? 撫でてもいい? 僕流の慰め方って、つまりそういうやつなんだけど」

 へら、といつものふざけた調子で言えば、アクセリナはわかりやすくため息をつく。まだ駄目かなぁと唇を尖らせた刹那、アクセリナはディーノの肩にとん、と頭を預けた。

「お、」

「慰めろと言っている。早くしろ」

「……後から文句言うなよ、絶対」

 念を押して、ディーノはアクセリナの身体をぎゅう、と抱きしめた。アクセリナと両想いになるまでは、と触れ合いを自ら禁じてきたディーノであったが、アクセリナが求めてきたのなら話は違ってくる。想い人からの要求を断る理由などどこにもない。

 ぽん、ぽんと肩を叩き、頭を撫でてやる。しばらくそうしていると、アクセリナが小さな声を漏らした。

「マダム・ラウラは……」

「あぁ、エドヴァルドを送還したことを伝えたら心底安心した様子でまた泣いていたよ。彼女、迷惑をかけたから申し訳ないとウェディングドレスの仕立て直しを辞退するつもりでいるようだけど、どうする?」

「彼女は被害者だ。それにドレスは途中まで作業が進んでいるし……マダムさえ良ければ続けて欲しい」

「わかった、そう伝えておくよ。あの日帯剣の許可なんて本当は出ていなかったってさ。そう言えって言われていたみたいだ」

「マダムが得た信頼を利用したんだな。……本当に、なんてことをしてくれたのだ、あいつは……」

 怒りの気配を感じて、なだめるように髪を撫でる。アクセリナの身体から力が抜けて、ディーノの身体にはアクセリナの重みが先程よりもはっきり伝わっていた。

「思い出はきれいなまま、胸の奥にしまっておきたかった」

「汚したのは本人だよ」

「本当に好きだったんだぞ、私は」

「知ってるけどもう聞きたくなーい」

「……もう言わない。これで最後だ」

 目を伏せて、エドヴァルドへの想いを馳せる。あれほど好きだった、恋しいと思っていた気持ちはどこかへと消えていた。

 公爵子息として、聖女の護衛騎士として、国を守る一人の男として生きて欲しかった。そうして彼も自分を過去の存在として、思い出にすればいいと思っていた。 何を思っても、もうあの頃の彼はいない。アクセリナが愛したエドヴァルド・フェムシェーナはいなくなった。

「なぁ、ディー。私はお前を支えるぞ」

「え、今ディーって呼んだ?」

「お前がろくでもない真似をしようとしたら、千切ってやるから覚えておけ」

「どこを!? どこを千切るの!? いやその前にディーって」

「うるさい。お前はいつまで経ってもやかましいな」

 悪態をつくアクセリナの顔は、笑っていた。ディーノは愛しさが込み上げて唇をきゅっと結ぶと、アクセリナを抱きしめる腕に力を込めて頬をぐりぐりと押し付ける。直後思い切り押しのけられたが、ディーノはそれはそれは幸せそうな顔をしていた。



 後日、アクセリナとディーノの結婚式が盛大に行われた。

 ラウラによって仕立て直されたウェディングドレスはしっかりとディーノの色が入っており、それを纏ったアクセリナは満ち足りた表情を浮かべていた。

 フレイ国の民は総出で喜び祝いの声を上げ、ディーノの兄とその妻、そして国王夫妻も喜色満面であった。

「お姉さま、とても幸せそうだわ」

「あぁ、本当に……」

「まぁお兄さま、泣いているの? アンネッテだって泣いていないのに、泣き虫なお兄さまね!」

 フリッグ国から代表でやってきていた、第一王子ヴィルフェルムと第二王女アンネッテ。二人はディーノの隣に寄り添うアクセリナの姿に、思い思いの気持ちを巡らせていた。

「エドヴァルドのことがあってから、ずっと心配だったんだ。それがあんな幸せそうな表情で……アクセリナは幸せになれるのだな。……本当に、良かった……」

「やっぱり王女の幸せは、素敵な王子様のところへ嫁ぐことなのだわ。お兄さま、アンネッテにも素敵な王子さまを見つけてくださいまし!」

「え、いや、ディーノ王子はアクセリナに勝手に一目惚れしてて……」

「一目惚れの相手と結ばれる……なんてロマンティックなのかしら!」

 きらきら瞳を輝かせてディーノとアクセリナを見つめる二番目の妹に、ヴィルフェルムは微笑む。アンネッテはいつもアクセリナが幸せかどうかを尋ねてきた。歳の離れた妹は、アクセリナとエドヴァルドが相思相愛であった頃を知っている。だから二人の婚約解消が決まったときは、子どもながらに戸惑っていたようだ。

「スヴェンお兄さまにも見せてさしあげたかったですわ、お姉さまの幸せそうな顔」

「父上と母上にもね。……いや、きっとそのうち見る機会があるさ。二人が正式に結婚したとなれば、僕らの国の繋がりは以前よりももっと強くなる」

 アクセリナは国のために尽力するだろう。ディーノと力を合わせて、フレイ国、そしてフリッグ国をより良い国にしてくれるに違いない。

 いつも国のために、王族としての責務に囚われてしまっているのではないかと危惧していた。

 だけれどそれは、完全に杞憂だったようだ。

 王女アクセリナとしてディーノの隣に堂々と立つ姿は、どこまでも満ち足りている。むしろようやく力を発揮することが出来ると言わんばかりの雰囲気さえあった。

「……あ、そうですわ、お兄さま」

「ん? なんだい、アンネッテ」

「アンネッテの結婚よりも、お兄さまの結婚の方が先ですわ! アンネッテ、お姉さまに言われてますのよ! なるべく早くお兄さまを結婚させろ、って!」

 アンネッテの言葉にヴィルフェルムはぎくりとする。

 それはアクセリナがフレイ国に行く前から散々言われていたことである。そしてアクセリナが結婚した今、アクセリナのみならず両親もヴィルフェルムの結婚を急かすようになるだろう。

「そうだな……そろそろ、腹を決めるべきか」

 妹のように覚悟を決めて、進まなければ。共に支え合う伴侶を見つけて、国を守る存在となるために。

 ふとアクセリナたちの後ろに見知った顔を見つけて、ヴィルフェルムはぱちりと瞬きをする。

 婚約者候補であった令嬢。アクセリナを支えるために、婚約者の地位を辞退した。彼女とはよく言葉を交わした。何となく、選ぶとしたら彼女なのではないかと思っていた。

「――何事も決断を渋ってはいけないな」

 悩むことは大事だ。何も考えずにものごとを進めるより、しっかりと考え結果を導き出す方がいい。

 だけれどそれにも限度がある。時間は有限だ。時には勢いも、大切なのかもしれない。

 

 程なくして、フレイ国の王位継承権が第一王子から第二王子へ譲られた。

 ディーノを国王とし、アクセリナが王妃となったフレイ国は益々発展したという。

 フリッグ国も友好国として共に成長し、どちらの国も良き王のもと、末永く繁栄したのだった。

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