第11話 彼にとってはどうでも良かった

 髪を切って色を変えた。

 普段決して着ないような、ぼろい服を身に纏って旅人を装った。

 そして少しばかりの金を、国境の兵士に握らせれば簡単に越えることが出来た。

 

 アクセリナ様との結婚がなくなったオレは、何を糧に生きていけばいいのかわからなくなった。

 まさかアクセリナ様が、他の誰かと結婚するなんて考えもしなかったから。

 愛されていると思っていた。実際、愛し合っていたはずだ。手を握りあったり、唇を触れ合わせることだってあった。

 何よりあのひとの目は、オレを愛していると言ってくれていた。

 言葉に出すことが得意ではないアクセリナ様は、代わりにその瞳で様々な感情を訴えてくる。もちろんそれは、親しい相手にだけ。

――特に、オレには。オレにはその感情を、いくつも見せてくれていた気がする。

 嬉しいとき、寂しいとき……いくつもの瞳の色を、オレにだけ見せてくれていた。

 婚約解消を願い出たとき浮かんでいた感情は、怒りと悲しみだった。不甲斐ないことをしている自覚はあったから、アクセリナ様を悲しませてしまったことが苦しくて、辛かった。

 だけどあのときは、そうするしかないと思った。

 ヘレーナ様の言葉に思うところがなかったわけではない、その選択は確実にアクセリナ様を傷つけることがわかっていたから。

 でもオレは、それと同時に、アクセリナ様ならオレを理解して待ってくれるんじゃないかとも思っていた。

 オレを好きでいてくれるから。オレを愛してくれているから。

 愛しているのなら……そんなふうに驕って、自惚れて。婚約解消を撤回することもなく、アクセリナ様から離れた。

 

 なのに、アクセリナ様は。

 たった一月の間に、フレイ国の第二王子との結婚を、決めてしまっていた。

 

 それから先のことはよく覚えていない。

 何もかもがどうでも良くなって、何もする気がなくなって。それでも、心はアクセリナ様を求めていて。

 そんな中母上に見せられた、公爵家宛の手紙。

 幸せであったこと、オレを恨んではいないこと。――聖女と共に国を守り続けてほしいこと。

 

 腹の奥から黒い感情が湧き上がってくる。

 どうして、なぜ、と繰り返し疑問が浮かんでくる。

 オレを愛しているんじゃないのか。今もオレを想っているのではないのか。

 容易に消えるような気持ちだったのか。他の女にオレを任せてもいいと思う程度の。

 

 違う、そうではない。

 

 アクセリナ様は、王族だから。あの方はどこまでもまっすぐに、国のことを考えていたから。

 あの方の期待に応えられなかったのはオレで、オレが未熟だったから、オレが王配に相応しくない男だったから。

……でも。それでも、オレは。

 あなたの傍にいたかった。あなたの隣で、あなたを支える男になりたかった。

 愛しているのです、ずっと。きっとこの想いが変わることは永遠にない。あなた以上に想う存在など、現れない。

 

 アクセリナ様への想いに突き動かされるようにオレは、国境を越えてフレイ国へ来ていた。警備の目は厳しかったが、抜け道はいくらでもある。

 彼女の姿を見たかった。彼女は今どんな想いでいるのか、気になった。

 オレのことを考えているだろうか。オレではない相手と結婚することになって、――苦しんでいたりは、しないだろうか。

 

 じわじわと心が壊れていくのを感じる。

 あなたの幸せを願うべきなのに。オレはただそれを祈ることしか出来ないのに。

 どうしてだろう、それが出来ない。

 オレ以外の誰が、あなたを幸せに出来るのですか?

 

 どこまでも傲慢な考えが過る。本当はアクセリナ様も、オレと一緒にいたいのではないのですか。

 だって言っていたじゃないですか。王配はオレ以外考えられないって。オレとの未来以外は考えたことがないって。

 オレも同じですよ。オレもあなたのいない未来なんて考えられない、考えたくもない。

 

 フレイ国へたどり着いたその日、その街はいつかのフリッグ国と同じようなお祭りムードだった。

 街の住民は楽しそうで嬉しそうで、にこにこと笑っている。暗い顔をしているのはオレだけだった。

 城の周りに集まって、盛大に騒いでいる。護衛に立つ騎士たちですらその表情は柔らかい。

 

 歓声が上がった。

 城の扉の奥から姿を見せた二人の姿に、オレは呼吸を忘れてしまった。

 

 ディーノ王子にエスコートされているアクセリナ様は、見たことのないドレスを身に纏っていた。オレが贈ったものでもない、ヴィルフェルム様が贈ったものでもないもの。隣にいる男の瞳の色をしたブローチ。明るい色ではないが、金色の装飾で上品にまとめられていた。

 彼女は、アクセリナ様は。

 優しい笑顔を携えて、王子の隣に寄り添っていた。

 住民の声に応えるように笑みを深めて手を振る。時折ディーノ王子と何やら言葉を交わして、呆れたような笑いを浮かべる。

 楽しそうだった。幸せそうにも見えた。

 

 どうして、なぜ。

 

 隣にいるのはオレではないのに。心から望んだ相手ではないのに。

 どうしてあなたはそんな顔で笑っているのですか。

 胸の痛みは酷く、引きちぎれてしまいそうだった。吐き気すらもよおして、耳鳴りもする。

 あなたの隣にオレがいない。別の男と微笑み合っている。苦しい。辛い。発狂しそうだ。

 

 アクセリナ様。

 アクセリナ様。

 

 オレはあなたがいればよかった。あなただけいればよかった。

 国、なんて。

 あなたが国王になることすら、きっと。

 

 オレには、どうでも良いことだった。

 

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