第10話 兄の本音と弟のため息
アクセリナがフレイ国へ向かって、一週間が経過した。数日前に従者のエミリから到着した旨の手紙が届き、そこにはアクセリナのお披露目パーティーの日程も記されていた。
ヴィルフェルムはその手紙に目を通しながら、思わずくくっ、と笑う。
「どうやら早く見せびらかしたくて仕方がないようだな」
「ディーノ王子のことか?」
たまたま部屋に居合わせたスヴェンが、兄に尋ねる。彼は今聖女ヘレーナの護衛騎士を外れ、城で兄たちの手伝いをしている。アクセリナがいなくなった影響がそれなりに出ており、忙しい日々だった。ヘレーナの護衛騎士は新たに別の公爵家から二人が任命されており、瘴気祓いは滞りなく行われている。
「あぁ、エミリ嬢から手紙が届いてな。この手紙が届いた日数から見るに、あと三日程度でお披露目パーティーがあるそうだ。まだ身の回りの準備やらあるだろうに」
「姉さんのことだから問題はないとは思うけど……ただ疲れてそうだな。騒がしいの、余り得意じゃないし」
「あぁ、確かに。……ディーノ王子などは本当に、アクセリナの好みとはかけ離れた人間なのだがなぁ」
そんな男との結婚を決めたのは、それほど心が傷ついていたためか。恐らくアクセリナは、自分を奮い立たせるために決断を急いだのだろう。傷ついて落ち込んだままでいてはいけない、王族としてなすべきことをなさなければ、と。
「でも悪い評判は聞かないな、あの人。堅苦しい一部の貴族からは良い目で見られていないようだけど、何せ口が達者だ。それに功績も上げているとなれば、扱いにくいことこの上ないだろうな」
「なんだかんだ、アクセリナとの相性は悪くない。きっと二、三年のうちに、フレイ国は情勢が変わるだろう」
「ってことはこっちも暫くは忙しいってことか……兄さんの結婚がさらに遅れそうだな」
「父上がまだまだ現役なんだから、問題はないさ」
王位を継承する条件の中に、人生のパートナーを見つけるというものがある。早い話が、結婚だ。王妃として、あるいは王配として王となったものを支えてくれる相手を作れと言うものだった。
アクセリナの場合は、エドヴァルドがそうなるはずだった。
爵位も高く、それでいて文武両道、性格にも問題がない相手というのは、そう簡単に見つかるものでもない。なによりアクセリナの性格について来られなくては駄目だった。これまで何度も縁談の申し込みがあったが、どの相手も今一歩及ばずと行った具合で、王配になるための実力が足りないものばかりだった。
その点エドヴァルドは学力も申し分なく、騎士としての力もある。穏やかな表情や物腰は人に警戒心を抱かせず、アクセリナとは正反対の雰囲気を持っていた。だからこそアクセリナは、彼こそ王配に相応しいと感じた。
自分と彼ならば、互いに足りない部分を補って支え合えるだろうと。
だがまさか彼が、アクセリナと時間を共にするうちに劣等感を抱えるようになってしまうなんて。実力は充分にあったにも関わらず、エドヴァルドは自信を失っていった。アクセリナが大丈夫だと言っても、ヘレーナやスヴェンが自信を持てと訴えても、彼はついぞ自信をつけることはなく。
そして導かれた結果が、現状であった。
「……スヴェン。僕は多分、あのままアクセリナが王位を継いでもいいと思っていたんだ。あの二人は想い合っていたし、きっとうまくいくだろうと……僕は婚約者も決めていなかったし、もし結婚出来なくてもアクセリナを支える臣下として生きていくのもいいなと考えてた」
「兄さんの考えそうなことだな。平和主義だ」
「確かにそうだな。でもふと、エドヴァルド卿に恋をするアクセリナを見たとき、このままこの子を国王にしていいのだろうか、とも思って。王族というだけではない、国王という立場になってしまったらあの子は、エドヴァルド卿への想いを隠すようになるかもしれない、って」
素直ではない妹が、初めて恋をした相手。彼の、エドヴァルドの前でアクセリナは、一人の乙女だった。
国王になったとき彼女は、その顔を決して見られまいとするだろう。愛を語らぬようになるだろう。それがヴィルフェルムには、とても寂しいことのように思えていた。
「王族として生まれたからには、やるべきことがある。あの子はそれを受け入れて、王族として生きていく決心をとっくにしていた。だから僕は何も言わなかったけど……本当はさ、妹にはいつでも幸せそうに笑っていてほしいって思ってる。国のことなんか全部僕に任せて、好きな相手と笑って過ごしてくれ、って」
「……姉さんが聞いたら怒りそうだな」
「うん、間違いない。正直、アクセリナが王族という地位を捨ててエドヴァルド卿のもとへ行っても、誰も咎めるひとはいなかっただろう。でも残念ながらあの子は誰よりも、王族だった。国のために、……僕や父上のために、王族の立場でしか出来ないことをしたいと思う子だったんだ」
それが、国王になる夢を諦め、隣国へと嫁ぐという選択。
アクセリナの中にはきっと、王族である自分を捨てる選択肢はない。恐らくそこが、エドヴァルドとの決別の理由。
「昔から責任感が馬鹿みたいに強いんだよな、姉さんは。王族たるもの、ってずっと思ってる。……エドヴァルド卿だって、そんな姉さんを支えたいと思ってたんだろ。なのに結局、逃げちまった。……まぁ本人はやり直すつもりだったらしいけど……冷静だったら選ばない道だろ、あれは」
「劣等感や心理的重圧に負けてしまったんだろうね……さすがに三年経って、そこからさらに婚約解消をした上で待てというのは……。――それで、その本人はまだ見つかっていないのか?」
アクセリナの婚約が決まり、エドヴァルドが行方不明になってからしばらくが経っている。ヴィルフェルムは秘密裏に捜索隊を作り、エドヴァルドの行方を探していた。
「卿の気持ちを考えれば、万が一のことはないとも言い切れない。逆恨みするような性格ではないとは思っているが……姿を消したのは間違いなく、アクセリナの婚約が原因だから」
「自害でもされたら寝覚めが悪い。……選択を誤ったことは許せないけど、エドヴァルドってやつのことは嫌いじゃないんだ、俺は」
「捜索隊には引き続き情報収集をするように伝えてくれ。エミリ嬢への手紙に、この件についても触れておく。これから結婚だというときに伝えたくはないが、黙っているわけにもいかないだろう。それこそ、万が一のこともある」
義理の弟に、あるいは兄になるはずだった男は、今どこで何をしているのか。
――エドヴァルドには、愛しかなかった。
アクセリナへの変わらぬ想いだけが、彼に残されたものだった。
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