第9話 新しい愛の気配を

 アクセリナは今、フレイ国の紋章がついた豪華な馬車に乗っている。

 向かいに座るのはディーノとその従者、ジルド。アクセリナの隣にも彼女の従者であるエミリがいた。

「アクセリナ様、不便はありませんこと?」

 ダークレッドの髪をしっかりと結い上げたエミリはフリッグ国の公爵令嬢であったが、アクセリナの従者になるべく騎士の称号を得ており、侍女としての仕事から護衛にいたるまで何でもこなす女性だ。実はヴィルフェルムの婚約者候補であったが、自らそれを蹴ってアクセリナの従者になった過去を持つ。

「あぁ、問題ない。ありがとう、エミリ」

「僕んとこの馬車、結構性能いいんだよ。心配しなくても快適な移動を約束するって」

 へらりと笑いながら言うディーノを、エミリはきっと睨みつける。

 エミリは元々アクセリナ専属の従者であったのだが、数ヶ月の間病気の母親の看病をするため領地へ戻っていた。そしてようやく母親の体調も安定しアクセリナの元へ戻ったところ、アクセリナがエドヴァルドと婚約を解消し、ディーノと改めて婚約したという話を聞いたのだ。

 エミリは大層驚いた。

 彼女は自分の主人が、どれほど婚約者であったエドヴァルドを想っていたのか知っていたからだ。

「ディーノ様。わたしはまだ貴方をアクセリナ様の婚約者と認めていなくてよ」

「えぇ~? 認めなくても実際婚約者なんだけどなぁ」

「……っアクセリナ様! なぜこのような方と婚約などっ! エドヴァルド様と全然違うタイプじゃありませんの!」

 エミリは思考が根っからの貴族であり、それでいてアクセリナには崇拝とも言える想いを抱いている。アクセリナの相手には静かで穏やかで、それでいて賢く強い殿方をと常々思っていた。エドヴァルドは若干頼りない雰囲気ではあったが、エミリにとっては合格であったらしい。

 だがディーノは、とても王族とは思えない口調や振る舞いを見せる。へらへら笑って馴れ馴れしく話しかけ、とてもアクセリナに釣り合う男には見えないのだ。

「落ち着け、エミリ。政略結婚に好みも何もないというだけだ」

「アクセリナちゃんは僕のタイプだし! 政略結婚だけど愛はあるよ、一方通行の!」

 どうやらディーノは本気でアクセリナを想っているらしいということは、何度もアクセリナを尋ねてくる姿から察していた。けれどアクセリナにはエドヴァルドがいたため、どうしたって彼と結ばれる未来はないと思っていた。

「――エドヴァルド様のことはヴィルフェルム王子殿下から伺っております。彼の覚悟が足りなかったことも理解して、アクセリナ様が婚約を解消された理由も納得しています。ですがっ! なぜ代わりの婚約相手がっ! このやかましい隣国の第二王子、なのですかっ!」

「アクセリナちゃんとこの従者、すごい言うじゃん。僕一応王子なんだけどなぁ。わかってるっぽいのに言ってくるのがアクセリナちゃんの従者って感じだよね」

「王子相手なら誰でもそうなりますよ、全く……」

 ぽつりと呟いたのはジルドだ。ディーノよりは暗いブラウンの髪色に、眼鏡をつけたその姿はとても知的に見える。実際かなり出来る男だというのは、ディーノが話していた。

「申し訳有りません、これでも一応、やるときはやるんです。一応」

「何で一応って二回言ったの? いや、本当に功績上げてるんだって。っていうか本気の馬鹿だったらどれだけ傷心だったとしても僕なんか見向きもしないでしょ、アクセリナちゃんは」

「お前は馬鹿ではない、阿呆だとは思うが」

「う~~~~んフォローになってないねぇ! でもそういうところが好きなんだよねー」

 デレデレ、緩みっぱなしの表情も無理はない。彼らの目的地は他ならぬフレイ国であり、とうとうアクセリナが輿入れとなるのだ。結婚式の予定日はまだ先だが、自分の国にアクセリナが来るというだけでも、ディーノは充分嬉しかった。

「……エミリ。お前に何も相談せずに決めてしまったのは悪かったと思っている。けれど私は、私の意思でディーノに嫁ぐことを決めたんだ。どうかわかってほしい」

 半ば自棄であったことは事実だが、選択を後悔してはいない。

 実際やかましいディーノの傍にいるお陰で、だいぶ気が紛れている。

 エドヴァルドへの想いが消えたわけではないが、彼はもう、過去の存在となった。いつまでも引きずっているわけにはいかない。

「わたしはアクセリナ様の従者ですもの、アクセリナ様がそう仰るのなら従うまでです。……ですがっ! 良いですか、ディーノ様。もし殿下がアクセリナ様を傷つけるようなことがあれば私のこの拳でぶっ飛ばしますので、お忘れなきよう!」

「思ったんだけどさぁ、アクセリナちゃんとこの国の女の子って、みんな強いよねー」

「女も国王になれる国だからかもしれんな。言っておくが我らにしおらしさを求めるのは不可能だぞ」

「しおらしさを求めるなら最初からアクセリナちゃんを求めてないって。僕はアクセリナちゃんだからいいんだよ。――ねぇ、エミリ。見ての通り僕、アクセリナ王女に心底惚れちゃってるからさ、心配しなくても大丈夫だと思うよー? 少なくとも僕は迷わないからさ」

 ディーノの言わんとしていることを理解して、アクセリナは視線を伏せる。

 エミリは一度口を開きかけてすぐに閉じ、ゆっくりと深呼吸をしてまっすぐにディーノを見つめた。ディーノはふふ、と笑って、言葉を続ける。

「王族ってのは愛だけで成り立つものじゃない。だから僕はこれからアクセリナを利用するし、アクセリナが求めれば僕も喜んで利用される。最終的にフレイ国の王になるのが目標だしね。アクセリナを騙すこともあるだろうし、アクセリナのことだから逆に僕を騙すことだってあると思ってる。――ただ、それとは別に。しっかり愛もあるからさ、まぁ、見ててよ。アクセリナちゃんの傍で」

「……言われなくても、これからしっかり見極めさせていただきますわ」

 すっかり丸め込まれてしまった様子のエミリに、アクセリナは思わずふっと笑った。

 ふざけた男だが、どういうわけかやたらと説得力がある。つい絆されてしまいそうになるのはきっと、自分だけではないはずだ。

 国に赴く前アクセリナは、少しだけディーノに心のうちを漏らした。

 

 私の心にはまだエドヴァルドがいる。すぐに忘れることは出来ないかもしれない。

 

 するとディーノはへら、と笑って、「別にいいんじゃん?」と答えた。

『気持ちってのは急にどうにもならないものだと思ってるし。どうにか出来るんだったらとっくにアクセリナちゃんに好きになってもらってるって! そりゃー、好きになってもらうに越したことはないけどさ。今すぐさっさと元婚約者のことなんか忘れてー! って言ったって無理でしょ。少なくとも僕は無理。好きな相手のこと忘れてって言われても忘れらんない!』

 ディーノのその言葉に、気持ちが酷く楽になった。

 罪悪感はまだ残っているが、胸の奥にあった重苦しい感覚は随分ましになったように思う。

 やかましくて鬱陶しくて、軽い男ではある。結婚相手に彼を選ぶなんてと、エミリに言われても仕方がない。

 だがアクセリナは今、彼によって救われている。恋をするのか、愛するようになるのかはまだわからないが、歩み寄ろうと考えた。

 

 自分が選んだ道。ディーノの伴侶として、彼の支えとなる。それが自国、フリッグのためになると確信している。


「あ、そうだアクセリナちゃん。ウェディングドレスは持ってきたやつでいいけど、お披露目パーティーのときはドレス贈らせてよ。アクセサリーも、靴も全部贈る!」

「服もアクセサリーもそれなりに持ってきたぞ。無駄遣いしなくても、」

「んもー! 男心わかってないな~! 好きな子にはなんだって贈りたいんだって!」

「そうやって女に貢いで滅亡した国を知っている」

「発想が極端! いいから、受け取ってよ。あっちに居たときは全然、受け取ってくれなかったんだから」

 それはもちろん、婚約者――エドヴァルドがいたからで。彼と結婚するものと思っていたために、意図の込められた贈り物は受け取らなかった。それでもディーノはなんとか受け取ってもらおうとあの手この手を使ったが、結局受け取ってもらえたのはヴィルフェルムと共に食べるお菓子だけ、であった。

「アクセリナちゃんに贈りたかったもの、すっ……ごいあるから。今度は絶対受け取ってもらうからね」

「……まぁ。すでにあるものなら、受け取らぬ理由がないな」

「アクセリナ様、本当にすごい量なのです。安請け合いはおすすめしません」

「ジルド、もしかしてお前もこの結婚反対してる?」

「いいえ、まさか。せめてアクセリナ様に愛想をつかされないようにと気を遣っているだけです」

「ドレスならまずわたしが確認しますわ。アクセリナ様におかしな服を着せられませんもの!」

「ねー! なんで僕だけこんな色々言われてんの? 敵地? 敵地なのここ」

 ぶすくれた表情に、アクセリナは眉を下げて笑う。王族でありながらやたら表情豊かなディーノは、だからこそ感情が読みにくい。だけれど彼の、アクセリナへ向ける想いだけは確かなものだった。

 ディーノの瞳に宿る感情を、アクセリナはよく知っている。

 エドヴァルドが自分を見るときに見せていた色と、同じだったから。

「いいけどね、別に! 誰が何と言おうとアクセリナちゃんと結婚するのは決まってるんだから」

「そうだな。精々幸せに浸るが良い」

「おっ、いいね~その言い方! アクセリナちゃんらしい!」

 

 そうしてフレイ国の馬車は、王族が乗っているとは思えないほどやたら賑やかに道を進んで行く。

 国境を越えれば、今までとは違う新しい生活が始まる。

 アクセリナの想いは、前向きだった。そうさせているのはきっと、新たに彼女の婚約者となった男なのだろう。

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