第8話 愛だけしか持っていなかった

「まぁ……するとエドヴァルド様は、ご自宅でアクセリナ王女殿下のお手紙をお読みになって、そのままいなくなってしまわれたと」

「フェムシェーナ公爵夫妻が言うには、そうだ」

 少しの休暇を挟んで、聖女ヘレーナたちは再び瘴気祓いへ赴く日となった。けれどそこにエドヴァルドの姿はなく、不審に思ったスヴェンが公爵家を訪ねたところ、アクセリナからの手紙を持ったまま家を出たきり、戻ってこないのだと言う。

「夫妻は酷く申し訳無さそうに、繰り返し頭を下げていた。なぜ出て行ってしまったのか理由もわからないと……逆に彼らが気の毒に思えて。息子の度重なる問題で、今後どれほど肩身が狭くなるのか……」

 兄ヴィルフェルムに公爵夫妻の今後についてを預けてきたが、どんな結果であれ、フェムシェーナ家が今後表舞台に立つことは出来なくなってしまった。

 ヘレーナは頬に手を当てて、静かに息を漏らす。

「やはりとても、王配には向かない方でしたのね。逃げ出してしまうなんて」

「最後に兄さんがみたときは、相当憔悴しきった様子だったらしい。……本当にアクセリナが他の誰かと婚約することを、考えていなかったんだな……」

 愛はときに、判断を鈍らせる。エドヴァルドは恐らく、ただ純粋にアクセリナを愛していた。そしてアクセリナも同じように愛を返してくれると思っていたのだろう。覚悟が足りないと言えばそれまでだが、すでに結婚の延期をしている段階で王族側からは良い目で見られないことすらわかっていなかったのだろうか。

 だとしたら、余りにも考えが足りない。

「エドヴァルド様は心からアクセリナ王女殿下を愛しておりました。わたくしに見向きもしないほど、その想いは本物であったと思います。……これは、わたくしの想像ですけれど……あの方は王配になりたかったのではなく、ただ王女殿下と結ばれたかっただけなのではないでしょうか」

 国王になることを目指していたアクセリナと、それを支えたいと言っていたエドヴァルド。確かに想い合っていた二人だが、根本の部分ではずっとすれ違っていたのかもしれない。


 アクセリナは王配となる存在を望んだ。

 エドヴァルドはただアクセリナと結ばれたかった。


「王女殿下がどれだけ王族であることに誇りを抱いているか、何のために生きているのか……エドヴァルド様はそれを深く考えていたのでしょうか」

 スヴェンにはヘレーナの言葉も理解できた。真の意味でアクセリナを理解していたと言うのなら、こんな状況にはならなかっただろう。

 婚約してからエドヴァルドは、王族に名を連ねることの責任感、王配たる心構えを教え込まれている。

 王女の伴侶となるからには、ただの公爵子息のままではいられないのは当然のことだ。何もかもを理解して受け入れて、婚約者という位置にいるのだと思っていた。

 だが実際は、どうだったのだろう。

 時間がかかっても彼は、アクセリナの隣に立つつもりでいたのだろうか。

「今となってはわからないな。姉さんの隣に立つ権利も、卿はなくしてしまった」

「強い想いゆえに、過ちを犯さないと良いのですが……王女殿下は隣国へ嫁がれる身。何かあっては大変です」

「兄さんはすでに、姉さんの護衛を増やしたようだ。輿入れの際にはさらに念入りにすると言っていた。……本当ならエドヴァルド卿も、その護衛騎士の一人になっていただろうにな」

 彼が消えた意図は、誰にもわからない。

 変わらず国を守って欲しいと願うアクセリナの想いは、エドヴァルドには届かなかった。

 愛しているのなら、まだ慕っているのなら、アクセリナを裏切るような行為はするべきではないと、スヴェンは思う。傷心のエドヴァルドにアクセリナの願いは酷であるかもしれないが、傷ついたのはアクセリナも同じなのだ。

「姉さんには地位を捨てて、エドヴァルド卿と一緒になるという選択もあったんだ。……でもそれを選ばなかった。姉さんが選んだのは王族であり続ける道だ」

「そしてエドヴァルド様は、共に歩くことを諦めてしまった……いえ、諦めるつもりはなかったのかもしれません。ただ選択を誤った。そう誘導したのはわたくしかもしれませんけれど……」

「いや、遅かれ早かれこうなっていたのではないか。結婚が延期となった時点で俺たちは彼を好意的には見られなくなってしまった。姉さんもエドヴァルド卿が王族の器ではないと……察していて、抗っていたんだ」

 それでもアクセリナは選んだ。

 愛した男と別れ、そして国のために嫁ぐことを決めた。

「……誰かを激しく愛したことのないわたくしには、エドヴァルド様の行動の意味がわかりかねますわ。このまま考えていてもきっと、答えは出ないでしょう。わたくしは今まで通り、瘴気を祓い続けます。それが王女殿下への贖罪になるかはわかりませんが……わたくしにはそれしか出来ませんもの」

 結果がどうであれ、自分のした行為がアクセリナを傷つけることになったのは間違いない。国のためと思ってしたことに後悔はないが、罪悪感が全くないわけではなかった。恋する二人を、引き裂いてしまったのだ。

「わたくしには国を守りたいという気持ちがあります。エドヴァルド様の代わりではありませんが……王女殿下が隣国へ嫁いだあとも変わらず瘴気を祓い続けることを誓いますわ」

 ヘレーナの言葉に、スヴェンはこくりと頷いた。

 エドヴァルドに彼女と同じくらい、国を想う心があったのなら――もしかしたら。

(彼は国を想っていなかった。……姉さんのことだけを、想っていたんだ)

 アクセリナに相応しい存在に、胸を張って隣に並び立てるような男になりたい。

 エドヴァルドがいつも言っていた言葉だ。


 全てはアクセリナのため。アクセリナだけのため。


 盲目なまでにアクセリナを愛してしまった彼には、アクセリナが真に望むものが見えていなかったのだ。

 

 決して長い期間ではなかったが、護衛騎士として共に過ごした時間を忘れることはない。彼の実直さは、間違いのないものだ。

 どうかその想いを、悪い方向へ向けることだけはしないで欲しい。

 アクセリナを悲しませるような真似は、もう二度と。

 

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