第7話 優柔不断な公爵子息の後悔

 少し考えれば、自分の判断が間違っていたことがわかる。

 なのにそのときオレは、そうするしかないと思ってしまった。「婚約者」であることから逃げる選択を選んでしまった。

 アクセリナ様に責められ、突き放され……そうされてもオレはなぜか、危機感を覚えなかった。

 

 今ならわかる。

 はっきり、驕っていたのだと。

 

 待ってくれるのだと思った。何を言っても待ってくれているだろうと思っていた。

 また彼女を訪ねれば仕方ないなと笑って、何事もなかったかのように言葉をかわしてくれるのだと。

 どうして、なぜ、そんなふうに思っていたのか。どうしてオレはあのときあんなにも自惚れていたのか。

 話せばわかってくれるだなんて、ーー聖女との噂を聞いた彼女が、どれほど心を痛めていたのかすらオレは、わかっていなかったんだ。

 オレには全くその気はなかった、だけれど世間の目に映る姿はどうだったのか。聖女周辺の出来事の報告は漏れなく城へ上げられる。

 だからあの日、オレが婚約解消の話を持ちかけたとき、彼女は……。


「今まですまなかったな。王女との婚約は、さぞ窮屈だったことだろう」


 そうじゃない、そうではないんです。

 ただオレが未熟だから、あなたに並び立つのにはまだ弱かったから、だから……!


「お前が私のために時間を求めるのなら、いつまでも待っていようと思った。お前が自分に自信を持てるようになるまで、待っていようと……だがもう良い、よくわかった。婚約はすぐに解消しよう。それで良いな」


 ヘレーナ様とオレには、何の関係もありません。ただの護衛騎士と聖女、それだけなんです。

 あなたが心配するようなことは何もなくて、オレはずっとあなただけを、あなたひとりを想い続けているんです。

ーーなのになぜオレは、婚約解消などと……あなたが伸ばしてくれた手を、振り払うような真似をしてしまったのか。

 ただあなたに見合う男になりたくて、そのためには距離が必要だとも思って、だけどあなたと自分は結ばれているのだと思い込んで。

 城から行動範囲拡大の許可が降りたとき、オレはあなたが認めてくれたのだと思っていた。それも都合の良い勘違いだったんだ。

 戻ってきた街はお祝いムードで、それがまさか、あなたと隣国の王子の婚約のためだったなんて。

 

 どうして、どうして!

 オレはあなたのために、あなたの隣に立つために、オレは、ただそれだけのために!

 こんなことになるなんて、あなたが、他の誰かのもとへ行ってしまうなんて!


「お、オレは、……ただ……あのひとに相応しい男になりたくて……」

「――そうは、なれなかった。或いは、決断が遅すぎた」

 

 ヴィルフェルム様の言葉が心に突き刺さる。スヴェン様だってずっと背中を押してくれていたのに、ずっと導いてくれていたのに。

 愛しているから――愛し合っているから。彼女はずっと待ってくれると思っていた。

 アクセリナ様は一人の女性である前に、王女だ。

 少し考えればわかることを、オレはずっと考えずにいた。


「アクセリナ様……」


 お慕いしております。恋焦がれています。あなたが今でも、愛しくて仕方がないというのに。

 この想いをどうすればいいのか。どこへ向ければいいのか。

 アクセリナ様、アクセリナ様。

 オレの心は、あなたのもとへしか、向けられない。



*****



 アクセリナの目の前にあるのは、純白のウェディングドレス。

 一年前にあつらえたまま袖を通すことのなかったものだった。

 隣国フレイに嫁ぐ準備をしている最中存在を思い出し、どうするべきかと頭を悩ませている。

「お姉さま、こんなところにいらっしゃったの? ……まぁ! 素敵なウエディングドレス!」

 姉を探していたアンネッテが、部屋に顔を覗かせる。目の前にある布をたっぷりと使った美しいウエディングドレスに、ほう、とため息を漏らして頬を赤らめていた。

「やっぱりこのドレス、とても素敵ですわ。ねぇお姉さま、このドレスもあちらへ持って行かれるの?」

「……いや、どうしようかと思ってる。未使用とはいえ、別の相手と結婚するためにあつらえたものを持って行くのも気が引けてな」

「アクセリナちゃんが持って行きたいなら、持っていってもいいよ」

 アンネッテのすぐあとに、ディーノが姿を見せる。アクセリナの輿入れの準備も順調に行われている今、ディーノも自国で彼女を迎え入れる準備をしているはずであるのだが、なぜか彼は今日もやってきていた。

「お前、暇なのか?」

「全然やばいくらい忙しい。でもアクセリナちゃんの顔が見たかったから来ちゃった!」

「ディーノ様は本当にお姉さまのことが大好きなのね」

 のんきなアンネッテの言葉に、アクセリナはため息を漏らす。ディーノはゆっくりとアクセリナに歩み寄り、目の前にあるウエディングドレスを見つめた。

「僕が新しいドレスを贈るのもいいけど、思い入れがあるならこれ、持って行こうよ」

「良いのか?」

「構わないよ。だってこれを着て結婚する相手は僕なんだし? あ、でもちょっと加工したいかなー、宝石とか、もっとこう……」

 ウエディングドレスをじろじろ見ながら呟くディーノに、アクセリナは安堵の表情を浮かべ、同時に少しばかり申し訳ない気持ちも浮かんでいた。

 婚約解消を告げられ、それを受け入れて。そのまま聖女と共に街を出たエドヴァルドへの当てつけのように、ディーノとの結婚を受け入れた。自棄になっていたのが理由の半分だが、もちろん相手が誰でも良かったというわけでもない。

 ディーノの働きによって発展を続けるフレイ国は、今後さらなる進化を遂げるだろう。そんな国と繋がりを深めることは、フリッグ国の利になる。フレイ国としてもフリッグ国との関係は良好でありたいと思っているため、ディーノとアクセリナのことがなくてもいずれ、王族同士の婚姻はあり得たように思う。

 国王となる夢を諦めたとしても、王族としての信念は捨てたくはなかった。だからアクセリナはディーノとの婚姻の道を選んだのだ。

 そして何よりディーノなら、エドヴァルドへの想いを忘れさせてくれるような気がしていた。いつまでも燻る想いを、払ってくれるのではないかと。

 打算的な感情で婚約をしてしまったことに、当然罪悪感はある。ディーノは自分こそ傷心につけ込んでいると言うだろうが、それでもやはり、胸が痛んだ。

「……お前の色を乗せればいい」

「え?」

「ネックレスでも何でも、お前の色があれば見栄えするだろう」

 ディーノはぱちぱちと瞬きをして、それから額をばちん、と押さえた。ふぅうう、とため息を漏らし、小さな声で呟く。

「愛じゃん、それ。もう、愛しかないじゃん」

「婚約者の色を纏うなんて、ロマンティックだわ!」

 アンネッテが瞳を輝かせて言う。ディーノはまだ額を押さえて、うんうん唸っていた。

「あ~、もうね、駄目。アクセリナちゃん愛してる」

「何をブツブツ言っているんだお前は」

 なぜか突然愛しさが溢れてしまったらしいディーノは、手をわきわきと動かしてすぐに後ろへ体を引いた。

「おい……」

「抱きしめたい! けど我慢してる僕偉くない!?」

 アー! と声を上げながら一人で身悶えしている様に、アクセリナは思わず引いてしまう。

 婚約者となったのだから、前もって言えば触れることも構わないと思っている。だがディーノは「まだ僕の片想いだから!」と言って、アクセリナに触れるのを堪えている。軽い雰囲気の男だが、そういうところにはこだわりがあるらしい。

「お姉さま」

 アンネッテが、そっとアクセリナの手を掴む。それからにっこりと微笑んで、ぎゅっと手を握りしめた。

「アンネッテ、少しだけ不安でしたの。お姉さまが不幸だったらどうしようって。でもきっと、ディーノ様なら大丈夫ですわ。アンネッテはわかります、この方はお姉さまの心も守ってくれるだろうって。白馬の王子様には、程遠いイメージだけれど」

 アクセリナの胸が、少しばかり締め付けられた。

「大好きな人とのお別れは辛いけれど、お姉さまならきっと乗り越えられます。アンネッテはこの国でずっと、お姉さまの幸せをお祈りします」

「アンネッテ……」

 まだ幼い第二王女は、愛ある結婚を夢見る年頃だ。だから姉のアクセリナが愛より国を優先させたことに戸惑ったことだろう。

 だがアンネッテの心は、ディーノの振る舞いによって安堵していた。「愛されているのなら、きっと立ち直れる」――そんなふうに思う心があるのかもしれない。

「ありがとう、アンネッテ。いつかお前が嫁ぐときは、ディーノと共に祝いに行くよ」

「あ~! 今の言葉も愛を感じる! 好き!」

「うるさい、ディーノ」


 アクセリナたちの周りに穏やかな空気が流れる一方、ヴィルフェルムは弟からの報告に訝しげな表情を浮かべていた。

「……エドヴァルド・フェムシェーナが姿を消した……?」

 間もなくアクセリナはこの国を立つ。そしてほとんど間を置かずに結婚式を挙げる予定だ。

 だというのに、あの男は。

「一体、どういうつもりか……何事もなければいいが」

 愛はときに、ひとを狂わせる。エドヴァルドがどれだけアクセリナを慕っていたか、それはヴィルフェルムもスヴェンも、よくわかっていた。

 彼女を想うのなら彼女の願いの通り、聖女と共に瘴気を祓う任務に従事するべきである。それがまさか、姿を消すなどと。

 

 ヴィルフェルムは眉間に皺を刻み、机の上を指先でトントンと叩く。

 ただ傷心のままに失踪しただけならばいい。だが何かを企んでいるのだとしたら……アクセリナを取り戻そうとしているのなら、なんとしても止めなければ。

 嫌な予感は予感のままであって欲しいと、ヴィルフェルムは思う。

 

 アクセリナの心にはもう、エドヴァルドの居場所はないのだ。

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