第5話 アクセリナの選んだ道 ―フレイ国第二王子の目的―
ディーノ・ウーナステラは従者をつれて、フリッグ国へとやってきていた。
先日来たばかりであったが、今回は少し事情が違う。
アクセリナからの手紙を受けて、ディーノは城を訪れていた。
「すっごい淡白な手紙だけど、初めてアクセリナちゃんから送られてきた手紙だしな~。何の用だろ」
送られてきた手紙を大事そうに両手で持ち、じっと見つめる。客間に通されてからしばらく、ディーノはずっとこんな調子であった。
「第二王女の言葉も気になるし……」
城についてすぐ、ディーノはアンネッテと出会った。第二王女とは城に来た折に何度か顔を合わせる程度であったが、ディーノがなぜ頻繁に国を訪れるのか理解しているらしい少女はいつも、「いつ諦めるのかしら?」などと言っていた。
けれど今日はやはり様子が違っており、まだようやく二桁の年齢になったばかりのアンネッテは思いつめたような表情でディーノに尋ねた。
『ディーノ様はお姉さまのことが好きなんですよね?』
笑って、あったりまえじゃん、と答える。
『……それなら、お姉さまは幸せになれるかしら? あのね、ディーノ様。アンネッテはお姉さまのことが大好きなの』
『うん、知ってるよ。アクセリナちゃんはみんなに愛されてるよねー』
『でもね、それだけじゃ駄目だと言うの。アンネッテにはそれがよくわからないけど……好きなだけでは駄目なんだって』
アンネッテの言葉にディーノは疑問符を浮かべる。彼女が何を言わんとしているのか、すぐには理解出来なかった。
『王族に生まれたからには、いろんなことを決められなきゃだめなんだって。好きだから、愛しているから大丈夫、というわけではないって』
『あー、なるほどね。そりゃね、王族に生まれたからには愛だけで越えられないことだってあるさ。時には切り捨てる選択をしなきゃならないこともある。愛を選びたいなら王族という立場を諦めたりね。でもまぁ僕は王族だし、アクセリナもそうだし? 愛も王族としての力もある! 完璧じゃん。まぁ愛は今の所一方通行だけど』
答えはこれであってるか、とばかりにアンネッテに笑いかけると、アンネッテは瞳をきらきらと輝かせて両手を合わせて頷いた。
『そうね、それならきっとお姉さまも幸せになれるわね! やっぱりアンネッテの考えは間違いじゃないんだわ』
一人でに納得した様子でまた繰り返し頷くと、アンネッテは小さく咳払いをして居住まいを正し、ディーノにぺこりと頭を下げた。
『それじゃあ、失礼いたします』
うきうきとした様子で去っていったアンネッテの言いたかったことは未だにわからない。
この手紙といいアンネッテの言葉といい、アクセリナの周囲に何か変化が起こったのだろうか。
もしかして、と、嫌な予感が過る。
「いや……いやいやいや、そういうのじゃないよな、多分……前会ったとき全然そんなふうじゃなかったし……」
ぶつぶつ悩んでいると、部屋の扉が静かに開かれ、アクセリナが姿を見せた。そのすぐ後ろにヴィルフェルムもおり、数人の侍女と兵士も一緒だった。
それまで頭を悩ませていたディーノの脳内は瞬時に切り替わり、愛しい想い人の姿に表情が緩む。
「アクセリナちゃんから手紙とか、本気で驚いたんだけど! っていうか『黙って顔を出せ』ってなんだよ、出しに来たけどさ!」
アクセリナはくっ、と喉を鳴らして笑うと、ディーノの隣の空いた椅子にすとんと腰を落ち着ける。その向かいにはヴィルフェルムが腰を下ろした。
「で、何の話なの結局。……もしかして、結婚の話?」
嫌な予感を否定したいエドヴァルドは、恐る恐るといった口調で問いかける。ちらりとディーノを見たアクセリナは、用意された紅茶を一口飲んで頷いた。
「……そうだ」
「えー!? もしかしてもうすんの?! 何でだよ早くない? 結婚式の招待状だったらいらないかんね! 兄貴の方に出して、兄貴の方に!」
「違う。少し落ち着け」
「ヤダって、アクセリナが僕と結婚する話じゃないと聞きたくない!」
「その話だ」
「アクセリナがお嫁に来る話じゃないと……ん? え? 今、なんて」
「私とお前が結婚するという話だ」
はっきりと告げたアクセリナに、ディーノはぱちぱちと大きく瞬きをして、それから勢い良く立ち上がる。がたんっ、と椅子が倒れ、侍女の一人がすぐにそれを直す。
「え……何で!?」
「何でとは何だ。あれだけしつこく求婚しておきながら」
「アクセリナちゃんこそ何度も断ってたじゃん! 婚約者がいるからってさぁ!」
「婚約は解消した」
「へ」
「解消した」
「うそ」
突然のことに動揺を隠せないディーノは、喜びよりもまず困惑が先走っているようで。アクセリナはふぅと息をついて、口を開いた。
「失恋したのだ、私は。だからお前のところに嫁いでも良いと思っている」
失恋、の言葉に、ディーノの眉がぴくりと動く。アクセリナに向き直りじっとその目を見つめて、ふぅん、と呟いた。
そこでようやく、アンネッテの言葉の意味を理解する。
愛だけでは駄目というのは、そういうことだったのだ。
「なるほどねー。そういうことか」
「あぁ。お前のことを好きになったわけではない。……が、特に嫌っているわけでもない。やかましい男だとは思うが」
目を伏せて、自嘲めいた笑みを浮かべる。
「自棄になっている自覚はある。だからそのうち目が覚めるかもしない。……ゆえにこれが、最後の機会だ」
「傷心につけこんでの結婚かぁ。僕そういうの、躊躇しないけどいい?」
「あぁ。精々私を利用しろ。お前の考えていることに、私が必要なのだろう?」
「そう。はっきり言ってこっちの国的にも利がある話だよ。絶対損はさせない」
ディーノはアクセリナにそう言ったあと、ヴィルフェルムにも顔を向けてにやりと笑う。ヴィルフェルムは瞳を細めて口角を上げると、アクセリナを一瞥した。
「つまりこの婚姻は政略的にも良いものであると断言出来るのだな?」
「政略的にも僕の個人的な感情的にも、それからアクセリナにとっても良いもの。……だと思う!」
自信満々に言い切れば、アクセリナはまた小さく笑った。ディーノはただそれだけで、胸がきゅうと締め付けられるのを感じる。
例え自棄になっていたとしても、失恋の逃げ場に自分を選んだのだとしても、ディーノは何も悔しくはなかった。彼の心にあるのはただ、これから先アクセリナと共にいられるという歓喜だけだった。
ヴィルフェルムは顎に手を当てて、改めてディーノの姿を見た。
ふざけているが、お調子者だが、中々どうして心の内を見せない。彼の本音はどこにあるのか、何が目的なのか……ただのふざけた第二王子というわけではないことは確かだった。
だが今のアクセリナにとっては、それがいいのかもしれない。
傷心につけこむ形になるが、何より彼女自身がそれを望んでいる。
アクセリナからエドヴァルドの話を聞いたとき、驚きはしなかった。予想していた通りというか、ほとんどスヴェンから報告を受けた通りになった。聖女の言葉を受けてそれは違うと断じることの出来る想いがあればまだ良かったが、まさか本当に婚約解消を求めるとは。完全に悪手である。
『兄上。私はどうも、王には向かないようだ』
悲しげにそう笑う妹は、それでも王族としての心を忘れてはいなかった。
『ならばせめてこの国の王女として、兄上の役に立ちましょう。――ディーノとの結婚を、受け入れようと思います』
フレイ国との繋がりは、決して無くしてはならないものだ。今まさに力を持ちつつある国に嫁ぐことで、自ら人質となることで絆を強固なものにする。アクセリナの決意を、ヴィルフェルムは受け入れた。
父親である国王にすでに報告はされていたようで、婚約解消の手続きはすぐに行われた。公爵夫妻からはただ息子の浅慮と愚かさを謝罪する手紙が届いており、アクセリナはまたその手紙にも丁寧に返事をした。
『エドヴァルドと過ごした日々は、本当に幸せでした。ご子息を恨むことはありません。これからも聖女様と共に国を守ることに尽力して欲しいと、お伝えください』
その言葉がエドヴァルドに届いたとき、彼は何を思うだろう。
聖女とは何もないと言うのだろうが、求めている言葉はそれではない。なぜその選択肢を選んだのか。王族と婚約解消をして、また再度婚約出来ると本当に思っているのだろうか。
だとしたら本当に愚かの極みでしかない。
ヴィルフェルムの暗い気持ちをかき消すかのように、ディーノが元気な声を上げた。
「よーし、そうと決まれば早速父上たちに報告に行かないと! こっちにはいつ来る? せっかくだから婚約パーティーとかしたいよねぇ!」
「準備が出来次第だな。婚約パーティーなどする必要があるか? 発表するだけで充分だと思うが」
「えー! 僕の婚約者です! って見せびらかしたいじゃん!」
念願だったしさぁ~! と緩んだ顔のまま言うディーノに、ヴィルフェルムは彼が、本当にアクセリナを求めていたのだと察する。本音こそわからないが、それだけは事実であると感じた。……どう見ても、浮かれているためだ。
失恋して手のひらを返した相手に、ここまで浮かれるのも珍しい。それほど彼の器が広いのか、ただ単に何も考えていないのか。
「好きにしろ。今ならまだお前に従ってやる」
「やったね! ――ねぇ、アクセリナ」
ふ、と、ゆるゆるに緩みっぱなしであった表情が引き締められ、深い色の瞳が真っ直ぐにアクセリナを見つめる。ディーノは彼女の手を取ると、真摯な眼差しを向けて言った。
「僕、目一杯つけこむから。絶対僕のこと好きになってもらうから、覚悟してね」
ヴィルフェルムは彼の言葉にはっとした。ディーノにはその自信がある。アクセリナの失恋も、何もかもを受け入れて尚、彼女を愛し続ける覚悟が。そうしてきっと、アクセリナも自分を想うようになるだろうと。恋愛か、親愛か――いずれにせよ、愛を向けられるのだ。
「……やってみるがいい。やれるものならな」
「そうこなくちゃ」
にか、と嬉しそうに笑みを深めたディーノは、強くアクセリナの手を握りしめ、それからぱっとその手を離した。
「それから! アクセリナとヴィルフェルムお義兄様にだから言うけど、僕国王の座、狙ってるんで!」
よろしく! と軽い調子でウィンクしたディーノに、兄妹は顔を見合わせて同時にディーノを見やった。
彼は第二王子のため、フレッグ国と制度の違うフレイ国では第二王位継承者だ。このままでいけば第一王子が次期国王であるが、なんと彼はその国王の座を狙っているのだと言う。
あぁそうか、と、ヴィルフェルムはさらに納得した。
先程彼が言っていた。この結婚はアクセリナにとってもいいものだと。
彼女が国王になるべく培ってきた様々な知識能力は、ディーノの大きな助けになる。そしていつかディーノが国王となりアクセリナが王妃となれば、フリッグ国との繋がりはより強いものになるだろう。
アクセリナが国を離れることを決めた今、次期国王はヴィルフェルムにほぼ確定だ。国の、兄の助けになる――それが今の、アクセリナの望みだ。
「危険も伴うだろうし、まー色々面倒なこともあると思うけど、僕とアクセリナだったら大丈夫でしょ」
「私は大丈夫だろうが、お前はどうだろうな」
「酷い! 支えてよ夫を!」
アクセリナはふっと笑った。その瞳にはもう、失恋の悲しみはない。彼女の芯はやはり、王族であった。
「良いだろう。やるからには徹底的にだ。必ず王となれ、ディーノ」
「任せてよ。僕期待に応える質だから」
不敵に微笑み合う二人は、なんだかんだで似合いなのではないかとヴィルフェルムは思う。アクセリナに睨まれることが予想されるため、口には出さなかったが。
ただ今はアクセリナの兄のヴィルフェルムとして、妹の幸せを願っていた。
今後叶うなら、目を腫らして感情を殺した妹の顔を見ないで済むように。
国王だとしても王族だとしても、痛む心は持ち合わせているのだから。
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