1−6 復帰(2)
「違う、違う。そんなことは考えたことないよ。僕が連絡しなくなったのは、全部僕自身の問題で、美優のせいじゃない。むしろ、ずっと一緒にいるとか偉そうに言っておきながら、自分の都合で逃げ出してしまったのは僕が情けないからで……」
内心の動揺を隠そうとして余計必死になってしまう言い訳に、気がついているのかいないのかわからないが、美優は黙っていた。僕も、それ以上何も言えずにいたので、沈黙が続く。やがて、彼女は落ち着いた声で話し始めた。
「あの時、宏樹と健二がいて支えてくれたから、私は今こうしていられるんだ。もしあの夜、ファミレスで一緒にいてくれなかったら、きっと私、電車に飛び込むか、ビルから飛び降りてた」
「え」
「もう、どうにでもなれって本気で思ってたから。二人は命の恩人なんだよ」
「でも、父親に連れ戻されてしまうのに、僕たちは何もできなかっただろ。助けてなんてあげられなかったし」
「そんなことない。何かあっても二人に助けてもらえるって信じられるようになったから、怖くなくなった。父親に怒鳴られても、また出ていってやるって思えば平気だったし。それに私が本気で家出するって構えを見せると、殴ったりはしなくなったから」
「そうなんだ」
僕も、少しは美優の役に立っていたのか。
「またこうして会えたのは本当に嬉しいよ。だから、この四年間、何してたのか教えて」
「わかった。何から話そうか」
僕は、高校を卒業して瀬田大学に入学し、再受験で二重橋大学に行ったこと。実家を出て八王子に住んでいること。最近は授業にはほとんど出ないで、週末はバーでバイトをしていることなどを話した。
美優も、実家を出て名古屋に住んでいること。まだヨミカキで小説は書いていること。高校生チャレンジ以降、毎年、いくつかの出版社の公募に出しているが、パッとした実績はないことを笑いながら話してくれた。
「高校生チャレンジで優秀賞を取ったって発表を見たのは、三日ぐらいたってからだったんだよね。まさか自分が受賞するなんて思いもしなかったから。それからすぐに宏樹にLineでメッセージ送ったのに既読もつかないし、通話しても出てくれないし。ヨミカキのアカウントは見えなくなってるし。嫌われてブロックされたのかと思って、ものすごく凹んだんだからね」
「ごめん」
「ねえ。なんであの時、急にみんなと連絡取らなくなったの? 話したくないことなら、無理に言わなくてもいいけど」
「うん。美優のせいじゃないから、気にしないでくれるとありがたいかな」
「こっちは四年間ずっと気にしてたんだけど。でもいいや。宏樹が言いたくないことなら、これ以上追求しない」
美優が引き金にはなったけれど、彼女本人は関係ない。ただ、まだ平常心で話ができるほど、気持ちの整理がついていなかった。
リモート会議をつないでいるパソコンの横にあるスマホが、メッセージの着信音を鳴らしている。画面を見ると、健二からのメッセージだった。
「なんか、健二がグループに投稿してる」
「あ、スマホはこの会議につないでるから見られない」
「読み上げるよ。えーと、参加するイベントは十一月二十日の文学メルカート東京ではいかがでしょうか。印刷会社によっては、会場へ直接搬入してくれるところもあるようです。早い時期に入稿すると割引してくれる、早期割引が設定されている印刷会社もあり、それを利用すると、入稿締切は十一月一日前後になる見込みです」
「もう調べたんだ」
「あいつ、昔から仕事早いな」
「文学メルカートかあ。憧れるけど、ちょっと敷居が高そう」
『文学メルカート』というイベントは聞いたことがなかった。言葉の響きからは、ゴリゴリに純文学志向で、その道一筋の大人ばかり来ていそうなイメージだが、僕たちのような若造が入っていって大丈夫だろうか?
「文学メルカートって、どんなイベント?」
「自らが文学と信じるものを持ち寄って売る、ってだけで、やってることはコミケとか他のイベントと同じみたい。ただ、歴史とか詩とか絵本とか、文学のジャンルごとにエリアを分けてるらしいから、雰囲気はだいぶ違うかも」
「そうなんだ。美優は行ったことあるのか?」
「ううん。実際に行ったことはない。名古屋でも昔はやってたらしいんだけど、私がこっち来てからはやってないから」
「文学メルカートに出店するって、そもそもどんな準備をしたらいいんだろう」
十一月二十日まで、四ヶ月しかない。これから作品を集めて、本を作って、いろいろ準備をして、間に合うのだろうか? 急に不安になってきた。
そもそも、小説を書くこと自体久しぶりで、どのくらい時間がかかるのかわからない上に、本を作るとか、イベントに出すとか、何をしなければいけないのか全く見当がつかなかった。
「宏樹が一人で抱え込むことないよ。さっきも言ったけど、健二と三人で作戦会議しよう。印刷会社のことも書いてるってことは、もういろいろ調べてるんじゃないかな」
「そうかもな」
スマホのタイマーが鳴り始めた。もう六時か。
「ごめん。これからバイトに行かないといけないんだ」
「わかった。じゃあ、バイト頑張ってね」
セッションが切れて、画面が真っ黒になった。
やらなきゃいけないことが、やりたいことに重なったのは、いつぶりだろう。
美優と話をしているうちに、ウジウジしていた気分が嘘のように晴れて、これからやるべき作業の組み立てを考え始めていた。
もしかすると、本当にまた書けるようになるかもしれない。
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