四年目のアンソロジー
代官坂のぞむ
一章 再開の夏
1−1 四年前の夏(1)
ベッドの枕の横から、リズミカルな木琴のメロディが聞こえてくる。僕のスマホから、目覚ましタイマーじゃない音が聞こえてくるなんて滅多にない。だから、寝起きの頭では何が起こっているのかわからず、しばらくぼうっとしていた。だんだん意識がはっきりしてきて、ようやくLineの音声通話がかかってきているらしいことに気がついた。一体誰からだ?
カーテンを閉めているが、窓の外はもう明るく、机の上の時計は十時を表示している。今日は土曜日。誰かが電話をかけてきてもおかしくない時間だが、バイトが忙しくて午前四時に帰ってきた僕にとってはいい迷惑だ。
放っておくうちに、呼び出し音は途切れた。まあいいか。まだ眠いから寝てよう。
目をつぶってすぐに、また呼び出し音が鳴り始めたので、今度はスマホを手に取って画面を見る。そこには、意外な名前が表示されていた。
大村……健二……? なんで今頃、あいつから。
胸の奥で、酸っぱいものが込み上げてくるような、えぐられるような不快感が広がってくる。自分勝手な思いだということはわかっているが、出る気にはなれなかった。スマホを枕の下に置き、背中を向けて頭から布団をかぶっていると、呼び出し音はやがて止まった。
そのまま、うつらうつらとしたところで、また木琴が鳴り響き始めた。しつこいなあ。なんだっていうんだ。
「はい」
「やっと出たか。どんだけメッセージ送っても既読付かないし、何べん通話かけても出ないし。もうくたばったのかと思ったぜ」
「なんの用だよ」
「
健二と最後にちゃんと話をしたのは、何年前になるだろう。あれは高校二年の夏だったから、もう四年も前になるか。Lineのグループからも抜けて、個人メッセージも通知が出ないようにして、一切コンタクトを取らなかったから、今どこで何をしているかも知らない。
健二とやり合っていたあの夏は、今まで生きてきた中で一番熱かったのは間違いない。それだけに悔しさも失望も一番深かった。あいつが悪いわけではない。全部僕のせいだ。あいつはそれだけの努力をして才能があった。それだけのことだ。そんなことはわかっているからこそ、話をする気にはならなかった。なぜ、今ごろまた連絡をしてきたのだろう。
「確かに久しぶりだな。何か用か」
「お前、ぜんぜん大学で見かけないけど、最近何してんだ」
「ああ。大学は受け直したんだ。もう瀬田大には行ってない」
「なんだよ。それならそうと知らせろよ」
何も連絡を取らないまま、それぞれの高校を卒業したが、偶然、僕と健二は同じ瀬田大学の商学部に入学した。一年生の基礎会計学の教室で一度だけ顔を合わせたから、一緒に入学したことは知られていた。だが、僕はそれ以来ほとんど学校には行かずに仮面浪人を通して、翌年、二重橋大学に合格し再入学した。
「で、今はどこに行ってるんだ?」
「二重橋大学」
「わっ。すげえな。さすがは秀才」
「うるさいな。何の用だよ」
「そうそう。用ってのはさ、あの十一人に、また声をかけて約束を果たそうぜ」
「約束?」
何の話をしているんだろう。
「チーム『月夜ノ波音』のアンソロジーを作って、同人イベントに出そうって約束しただろ」
ああ。思い出した。あれは僕が有頂天になっていた時の約束。みんながいれば、何かができると信じていられた、幸せだった頃の僕達の話だ。
なにを今さら。何の権利があって、僕が胸の奥底にしまい込んで、丁寧に忘れ去っていた過去を掘り返すんだ、こいつは。
「なんで今さら」
「
「美優……」
もう限界だった。あふれ出てきた思い出が、胸の奥をズキズキと突き刺して、僕はスマホを耳から離した。
「僕は参加しない。もう、小説は書いてないんだ。君に任せたから、好きにやってくれ」
画面の通話切断ボタンを押して、ついでに電源ボタンを長押ししてスマホごとオフにした。もう沢山だ。
そのまま頭から布団をかぶると、何も考えないことにして目をつぶった。
***
目を覚ますと午後一時になっていた。寝坊したな。なぜ十二時に目覚ましアラームが鳴らなかったんだろうと考えて、今朝の健二からの電話を思い出す。そうだ。スマホの電源を切っていたんだ。
バイト先からの連絡があるかもしれないので、いつまでもスマホの電源を切っておく訳にはいかない。電源を入れると、Lineに十件の着信が付いていた。みんな健二からだ。昔から、こうと決めると、どんどん周りを巻き込んで進んで行き、なんでも上手くいくと信じている楽観的な奴だった。僕が断っても、しつこく迫ればなんとかなると信じているに違いない。
やかんでお湯を沸かしてインスタントコーヒーをいれ、食パンをトースターから取り出したタイミングで、見計らったように着信音が鳴り響いた。出なければ、今朝のように何度でもかけてくるだろう。
「しつこいぞ」
「お前、来週の土曜日の、夕方か夜、空いてるか?」
「夜はバイトに出てるからいない」
「オンラインミーティングでやるから、どこにいても大丈夫だ。何時までなら大丈夫だ?」
「……なんで参加する前提になってるんだよ」
「何言ってんだよ。
とうとう口にしやがった。僕の黒歴史。いかにも厨二病な、作家かぶれの子供が付けそうなペンネームを四年ぶりに突きつけられて、僕はまた息ができなくなった。
「いや、本当にもう書いてないんだ。だから、他のみんなでやってくれ」
「だーめだ。来い。あのチームを立ち上げて、みんなの目標を作って、最高の夏をプロデュースしたお前の義務だ」
最高の夏なんかじゃない。恥ずかしくて、情けなくて、すっかりなきものにしたい夏だ。
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