8.僕の存在感と生活費

「はぁ、はぁ……」


 あの日神崎さんに介抱されたあの公園のベンチで横になり、息をととのえる。

 家からここまで3キロもなかった。

 あの日は10キロくらい走って限界になったと思っていたけれど、思ったよりも走れていなかったようだ。

 そしてそれは別に寝不足でもない今日とて同じことで。

 3キロで限界って……。

 中学生のマラソンでももう少し距離走るぞ。

 自分で思っていた以上に、運動不足の弊害は僕の身体を蝕んでいたみたいだ。

 ところで、なんで僕が走っているのかといえば。

 晴明様式霊力強化トレーニングがマラソンだったからだ。

 自分の限界、昨日の自分を打ち破ったときに霊力というものは増えるようだ。

 そのためには自分と戦うマラソンがうってつけ。

 じゃあマラソン選手はみんな霊力が強いのかというとそうでもないらしい。

 土御門氏が述べていた通り霊力の伸び率にも個人差があるし、トレーニング法との相性もある。

 努力がすべて報われるわけではないというのはどんな分野でも同じことだ。

 僕は霊力云々の前に健康のためにもう少し体力をつけたほうが良いかもしれない。

 そんなことを考えながら自販機でお茶を購入していると、向こうから誰かが走ってくる。

 うん?あのむっちりとした太ももは、神崎さん?


「はぁ、はぁ、おはよう橘君。また会ったね」


 いや僕からしてみたら大学でも会っているのだけれどここまで気付かれていないと悲しくなってくる。


「おはよう神崎さん。毎朝走ってるの?」


「うん。中学、高校と陸上部だったからその頃からの日課でなんとなくね」


 陸上部か。

 あのピチピチのユニフォームとか着たのかな。

 僕は肌の露出が少ない今神崎さんが着てるスポーツウェアとかのほうがエロいと感じる派だけど、あのユニフォーム好きな人は好きだよね。

 

「そういえば橘君は大学何学部なの?大学で会わないよね」


「そ、そうだね。一応僕、経済学部なんだけど」


「あれ、私も経済学部だよ?取ってる講義が全部違うのかな……」


「あはは、不思議だね」


 実はニアピンしていることを伝えてもいいのだけれど、大学内で話しかけられても周りの嫉妬を買うだけだ。

 ここは偶然にも大学内では全く会わないことにしておこう。


「なんか大学って思ってたのと違うな。高校生のときに見た大学生ってもっと毎日忙しいけど充実してるって顔してたけど、なってみるとそんなに高校と変わらないよね」


 そうだね。

 僕は変わらずぼっちだよ。


「サークルとかに入ったら変わるかもしれないよ?」


「うーん。なんかすごく本気なサークルかすごく不真面目なサークルしか見当たらないんだよね。その中間くらいがちょうどいいのに」


 ガチサーか飲みサー、たまにヤリサーみたいな?

 僕は勧誘されたことがないからわからないや。

 大学生って謎だね。


「じゃあサークルには入らないんだ?」


「そうだね。大人しくアルバイトでもしておく」


「アルバイトしてるんだ」


「うん。こじんまりした個人経営のカフェで。今度来てよ、場所は……」


 結構家の近くだったので今度おじゃましよう。

 看病してもらって、まだお礼もしてないからね。

 今度ちゃんとしたお礼の品を持ってお邪魔しようそうしよう。

 

「じゃあまたね!」


 そう言って去っていく彼女の左右に揺れる尻を、僕はずっと眺めていた。


 






 トレーニングから帰った僕は、居間に座り座禅を組む。

 そう、欲望に溺れる時間だ。

 今のところ霊力が足りなくて夢を保っていられるのは7分ちょっとだ。

 だから欲望の限りを尽くすことはできないけれども、童貞野朗が溺れるには十分な時間だ。

 いや、夢の中ではすでに童貞を卒業しているのだから僕は非童貞といえるのかもしれない。

 ヤリチンといえるのかもしれない。

 いややっぱり童貞でしたごめんなさい。

 僕は自分の前に現れた裸のセクシー女優にルパンダイブした。

 やっぱり夢は最高だ。







 大学では神崎さんとニアピンを重ね、家では肉欲に溺れる生活を続けること2ヶ月。

 僕は現実的な問題に直面していた。

 生活費3ヶ月問題である。

 当初3ヶ月と見積もっていた僕のライフラインが、どう考えてもあと1ヶ月も持ちそうにないのだ。

 僕は真っ青な顔でちゃぶ台の上の残金と向き合う。

 こうして向き合うのが遅すぎたのかもしれない。

 気付けば崖っぷちだ。

 とりあえず神崎さんのバイト先にでもお邪魔して考えよう。

 あれから何度か神崎さんのバイト先であるモダンなカフェには遊びに行っている。

 店長さんにもなんとか顔を覚えてもらえて、晴れて僕も常連客となった。

 

「いらっしゃいませ。あ、橘君」


 僕だと気づいてもらえるのにワンテンポかかるのが僕というもの。

 自分の存在感のなさが嫌になるね。


「コーヒーでいい?」


「うん」


 またいつものって言えなかった。

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