屍術師スフマート

 村を占拠したと言うほどだ。大量に敵がいるのだろうと予想はしていたけれど、先程までの静けさとのギャップに、呆然としてしまう。

「さすがに、一体なわけないよな……」

 平静を装いたくて、グレイプに苦笑いを向ける。が、

「いやあ、見事な手際だったじゃないか、農民さんよ」

 返ってきたのはグレイプのものではない、落ち着いた声だった。ゾンビが喋ったーーと、そう思ったのも束の間。死体たちに道を開けられて現れたのは、灰色の法衣を身につけた老爺だった。

 青白く頬の痩けた面長の顔に、細い目。それが笑みによって細められているのだと気づいたのは、彼が口角を持ち上げてゆっくりとした拍手をし始めてからだった。

「村の者たちから聞いたぞ。君がワキヤくん、だろう。勇者レイヴ・ストリーブにも劣らない腕だそうじゃあないか」

 背後のゾンビに近づくことなど厭う間もなく、思わず一歩後退する。

 この老人の威圧感のせいもある。しかし何よりも僕が萎縮しそうになったのは、この包囲が僕への買い被りによる過剰なものであるのだと察したからだ。

 僕が仮に、本当にレイヴほど強かったのなら、レイヴほどの剣の腕があったのなら、もしかすると太刀打ちできる状況なのかも知れない。だけど僕には、四方に立ち並ぶ腐肉の壁をどうにかできる自信なんて、まるでない。

「あなたが……スフマート、ですか」

 意図もしないまま、丁寧な物言いになってしまう。声が震えるのを抑えるので精一杯だった。

 そんな僕の内心を見透かしているのか、老人はくつくつと陰気に笑った。

「ああ、そうだとも。キアロスクーロに聞いたのかな。それにしても、案外弱腰じゃないか。あやつの通信魔法では、なかなか骨のある男だという話だったが」

「買い被ってくれているところ悪いけど、僕はそんなに大した奴じゃないよ。こんなゾンビの群れに囲まれちゃあ、もうどうにも……」

 老人は僕の弱音に再びくつくつと笑い声をあげた後、一歩だけ歩を進めた。

「まあ、良い。きみとはこれから長い付き合いになるかも知れんからな。改めて名乗っておこう。儂は魔王軍で働いている屍術師。名はスフマートという」

「長い、付き合い?」

 つい、聞き返してしまう。するとスフマートは、並びの良い黄ばんだ歯を覗かせて穏やかな笑みを浮かべた。

「ああ、ワキヤくんには……いや、それを言えばこの村の皆には、なんだが……ゾンビとして儂の下で働いてもらいたいと思っている」

「っっっ!」

 邪悪な提案に、息を呑んだ。

 考えてみれば意外性のあるものではないにしろ、考えられ得る中でも最悪の結末である。

 スフマートはこちらの動揺を見透かしてか、楽しげな口調で続ける。

「勇者を襲うゾンビたちが同郷の成れの果てだというのは、なかなかに面白みのある展開だとは思わないかね。中でもきみは、勇者レイヴとは竹馬の友だと言うじゃないか。今から、勇者の反応が楽しみだよ」

「僕についていろいろと聞き出しているみたいだな」

 ろくでもない未来予想を掻き消したくて、なんとか声を発した。すると屍術師を名乗る男は、口元を更に緩めた。

「それはもちろん、不在の村人について、親切な彼らからよくよく聞き込みをしたからねえ。最初は渋っているようだったが、駐在所で手に入れた村民台帳のことを話したら一転、まるできみが村を救う勇者であるかのような言い草だったぞ。なんでも、勇者レイヴと張るほどの猛者だとか」

「だから、買い被りすぎだよ。レイヴの方が強い」

「買い被っているつもりなどないさ。むしろーー」

 スフマートが、更に一歩を踏み出す。すると一拍遅れて、取り囲むゾンビたちも一斉に前進した。絶望感。恐ろしさに、涙が滲む。

「儂はまだ勇者に会ったことがないどころか、活躍の噂を耳に入れてすらいないのでね。むしろ、今代の勇者レイヴというのはこの程度なのかと、物足りなさすら感じているよ」

「くっ……!」

 一瞬、激しい悔しさが吹き上がる。だけどそれを爆発させられるほどの自由など、僕には残されていない。構えた鋤を縋るように握りしめたまま、身を捩ることすら躊躇われる。

 少しでも動けばーー

 僕の息の根など、数の暴力によってすぐにでも止められてしまうのだろう。

「もうやるぞ、ワキヤ!」

 背後から、切羽詰まったグレイプの声。次いで、振り向こうとした僕の動きを制するように、鈍い風切り音が耳元を掠める。スフマートの近くにいたゾンビが機敏な動きで弾き落としたそれは、グレイプの投げた鎌だった。

「やるってーー」

 何を?

 そう言おうとして振り向くと、グレイプは立て続けに小石のようなものを放り投げていた。わずかに笑みを含んだ彼と目が合い、それで意図を察する。

「良いんだな!」

「ああ!」

 返事を待つ間に作業ズボンのポケットに手を突っ込んでいた僕は、声の枯れんばかりの返事を聞くと同時に、忍ばせていた丸薬を指先で擦り潰した。

 刹那。甲高い風の音が爆発し、スフマートの姿は腐った肉片の嵐に覆われる。

 猟師のおばさんから預かった、風魔法の丸薬と通信魔法の丸薬、その合わせ技だ。

 グレイプが投げたものは風魔法を添加させた丸薬で、僕が潰したものは通信魔法の添加された丸薬である。風魔法の丸薬に混ぜられた金属粉が通信魔法に反応し、魔法が発動するという仕組みであるらしい。

 隊列の乱れたゾンビの群を蹴散らし、掻い潜りながら、広場へと向かう。

「ワキヤ、無事でよかった!」

 広場の手前にまで出てきていた両親が絶叫するように僕を出迎え、抱き止めた。途端に、集められた村人の中に歓声が沸く。

 しかし、それも束の間。歓声はすぐに悲鳴に変わり、僕は周囲が陰ったことによって危機を悟った。

 表情を失う母さんを突き放し、振り返る。僕の倍は身長があろうかという大男のゾンビが、落ち窪み片方の欠けた目でこちらを見下ろしていた。

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