後編 虚勢

「じゃあ、ちゃんと約束は守ってね。もしもすっぽかしたら、スフマートにやられるよりも、もっと酷い目に遭わせてやるから」

 黒くて細い姿が、すっと立ち上がる。燕尾服が背を向けたので、僕は――たったそれだけで安心できるはずもないのに――安心してしまって、脱力した上体を仰向けに投げ出した。

「きみたちの散り様は、スフマートから教えてもらうことにするよ。じゃあね」

 ざくざくと、軽い体重で小石を踏みしめる音が遠ざかっていく。心臓がうるさいほどに胸を叩いて、脱力した身体に生を実感させる。

 空は青く、夕刻まではまだ時間があるようだ。キアロスクーロに胸を貫かれてから、いったいどれだけの時間が経過したのだろう。あれだけの状態から、本当に、物の数分で――いや、もしかしたらほんの数秒で、死にかけた身体を治癒してしまったというのか。

 格が違う。視界が霞む。涙が溢れているのだった。

 レイヴ。きみは、あんな化け物に立ち向かうというのか。きみなら、あんな化け物を倒せるというのか。

「ワキヤ。おい、ワキヤ!」

 グレイプの嗄れ声。霞んだ世界に、緑のぼやけたシルエットが顔を覗かせる。

「おい、またぶっ倒れちまって、大丈夫だったかよ、本当に!」

 大丈夫なもんか。まだまだ、ぜんぜん、涙の止まる気配がない。

「こわかった……」

 何かを吐き出さなければどうにかなってしまいそうで、涙交じりの泣き言が漏れ出る。

「こわかったよ……なんて怖いんだよ……あんな、あんな敵が――」

「ワキヤ!」

 おばさんの叱咤。驚きはしたけれど、幼い頃に感じていたような恐怖はもはや無い。

 そんな、魔王軍の刺客に比べればどうということもない怒声が、涙も止まるほどに、心強い。

「悔しいが、あいつに逆らえるほどアタシらは強くない。あのガキ、ご丁寧にも逃走の選択肢を潰してくれやがって……だから、行くしかないよ、もう」

 涙を拭う。再び晴れる視界。グレイプの安堵した顔。

「ヤツの言うスフマートってのがどんなもんかは知らないが、やるんなら一泡吹かせてやろうじゃないか」

 威勢の良い声。きっと、虚勢。

「開き直るしか、ないですもんね」

 立ち上がる。キアロスクーロの治療のおかげか、キアロスクーロが追い詰めてくれたおかげか、今にも委縮して潰れてしまいそうになる心とは裏腹に、身体は軽い。

「すみませんでした。僕、あんな、情けないばっかりで。こんなこと言ってる今でもまだ、やっぱり、怖いけど――」

 苦虫を噛み潰したような、おばさんの顔。ああ、きっと、僕と同じ気持ちだ。

「やるからには、救ってやりましょう。僕らの手で、村を」

 声が震える。武者震いでは、決してない。体の芯から、恐怖心が僕の声を震えさせている。身体は嘘を吐けない。だからこそ、

「これは虚勢だけど、でも、本気ですよ」

 吐き出す言葉だって、嘘じゃない。

 そういうことにすれば――そういうことにしたからこそ、僕は立ち上がれたのだ。

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