中編 合流

 洞穴の暗闇が動き、人の形をとる。なんのことはない、グレイプに気を取られ過ぎて、中から誰かが出て来るのに直前まで気づかなかっただけだ。

「お、おばさん?」

 暗闇だったものは猟師のおばさんの姿をして、猟銃を荒々しく構えていた。

「大人しく待っていることすらできないなんてね。ワキヤ、アンタにはがっかりだよ」

 いつになく低い声。額には血の痕。髪留めを無くし、乱暴に広がった白髪混じりの長髪。思わず後ずさってしまうほどの気迫。謝罪や言い訳すらも喉につかえる程の異様さ。

「おい、リンゴは――」

 グレイプの吠えるような声は、大きな鼻にぶつけそうな勢いで銃口を向けられたせいで、短い呻き声に変わった。

「話があるのはこっちだよ! あんた、本当にただ逃げてきただけなんだろうね!」

 今にも引き金を引いてしまうのではないかという剣幕。どんなに怒られた時でも、ここまで激しいおばさんを見たことは無い。グレイプはこの状況をどう捉えているものか、威嚇するような唸り声をあげている。

「実は、この村を攻めるための先兵だったんじゃないのかい。はっきり答えな。嘘を吐いたらろくなことにならないよ」

「何言ってんのか分かんねェよ!」

 二人の吠えるような怒声が重なる。無意識に、僕は悲鳴をあげていた。ぶつかり合う三つの声が、銃声によって打ち消されてしまうのが怖くて怖くて、わけも分からないのに怖くて、僕はずっと悲鳴をあげて――

 だけど、

「やめてあげなよ。そのゴブリンは無関係さ」

 僕らの声に覆いかぶさったのは、銃声ではなくて、笑い交じりの子供の声だった。

 瞬間、おばさんの表情が凍り付き、そのまま猟銃ごと振り返る。が、何かが叩き壊されるような音がして、おばさんの武器は猟銃の残骸となって地面に飛び散った。

 そして、おばさんの身体も、グレイプの頭上を越え、僕の頭上をも越え、冗談みたいな弧を描きながら地面に叩きつけられた。

「まったく、見てらんないよ」

 さっきまでおばさんの立っていたその場所で、小柄なグレイプよりは少し背が高いという程度の、眼帯をした子供が笑っている。

 異常な出来事の連続で状況を捉えきれていない頭でも、その子供が幼さのためだけではない、中性的な美しさを持っていることが理解できた。洞窟の暗闇を背にしているというのに、その白い肌は淡く輝いているようですらある。

「とんだとばっちりだね、きみ。妹さんに事情は聞いたよ。彼女は無事だから、会いに行ってやりなよ」

 からかうような子供の言葉で、グレイプは弾かれたように洞窟の中へ走って行く。その必死さをあざ笑うように彼の背中を一瞥した後、美形の子供は倒れたおばさんの元へ楽しそうに駆け寄った。

「みっともない見当違いだったね、猟師さん」

 謎の子供は、なぜか燕尾服を着ている。その黒く小さな背中に隠れて、おばさんはあまりの痛みに震えているようだった。

「さて、と」

 いかにも無邪気そうな所作で、異質な姿が振り返る。

 目が、合ってしまう。眼帯に隠れていない、蒼い左目と。

 どうしてそう思うものか、いかにも残虐そうな、美しく澄んだ宝石のような瞳。現実味が無いのは、その場違いな服装故か、その小さな体で猟師を吹き飛ばしたという信じがたい現実故か。

 にこにこと、いや、にやにやと、まるで敵意が無いかのように人懐こそうな笑み。その実、こちらの命を握っているということを隠しもしない、壁のように大きな悪意。

 手を出せば――

「お兄さん、こんにちは」

 成す術もなく、殺されるのだろう。

 絵画の紳士のように一礼をする子供の前で、僕は逃げ出すことすらできず、ただただ凍りつくのみだった。

「始めまして、ボクは魔王軍のキアロスクーロ。お兄さんは、この村の人だよね」

「あ……」

 思わず返事をしてしまいそうになるほどの、友好的な態度。

 友好的に、見せかけた態度。

 友好的だと思い込まなくては逃げ出してしまいそうになる、恐ろしい、敵。

「ま、おう、ぐん……?」

 止せば良いのに、余裕をなくした僕の耳は余計な言葉を拾い、震えるばかりの唇は軽率に言葉を紡ぐ。

 見ている前で、黒い眼帯をした色白の顔面が、隠しようもない残虐に歪んだ。

「そう、魔王軍。この村からボクたちを倒すための勇者が輩出されたっていうから、挨拶に来ちゃいました」

 ああ、なんて、話が早い。こんなことを言われたら、何をしに来た、だなんていう陳腐な質問ができなくなってしまう。僕には他に、何の用意もないのに。

「ワキヤ……」

 おばさんの呻くような声。圧倒的な存在を前にして、足元の彼女に返事をする余裕すらない。

「居住区は……やられた……。ゾンビどもが攻めてきたんだ……」

 絞り出すように言葉を紡ぐおばさんに手を出すわけでも咎めるでもなく、黒い装束の子供は彼女の苦しげな顔をまじまじと覗き込んだ。それがあまりに恐ろしかったのか、あるいは開き直ったのか、地面に這いつくばる猟師は一転、堰を切ったように言葉を続ける。

「アンタと合流すれば、やりようによっちゃあ状況が好転すると思ったんだ! だけど駄目だ、こいつには銃も魔法も効きやしない! 戻っても敵だらけだ。だからワキヤ、あんただけでも逃げな!」

 どこへ――逃げろと言うのだろう。この子供を振り切ることすら、きっとできやしないのに。

 立っているのがやっとだった。今にも僕は崩れ落ちてしまいそうで、だけどこんな未知の敵を前にして倒れてしまうのはあまりに恐ろしいから、無理やりにでも立っている他になかった。

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