猟師編・襲撃の刺客

前編 逃走

 通信魔法の込められた丸薬を指先ですり潰しながら、マァギタは身を屈めて林道の脇を駆けた。

 マァギタは魔法を使う素養こそなかったものの、道具に単純な魔法を付与する術を母親から教わっていた。そうした技術を脈々と伝える、魔女とも呼ばれる一族は、家ごとに独自の流派や得意分野を持っている。彼女が受け継いだものは小さな丸薬に魔法を込めるというものであり、それは砕くことや時間経過等、様々の単純な条件によって効果を発揮する。

 たった今すり潰したものは、あらかじめ受信器を持った者たちへ撤退の指示を送るためのものだった。本来は狩をする際に、森の様子が変わったことや凶暴な野生獣が発生したことを仲間に伝えるために用意したものである。したがって、受信器を持たせているのは村の数少ない猟師たちだけであった。

 木々の陰に消えていく居住区の姿を時おり振り返りながら、通信魔法の送信先となっているはずの若者たちを想ったマァギタは歯噛みし、薄く痩せた唇を震わせた。

 きっと、手遅れだろう。

 村の端にあたる森の中に居を構えているのは、偏屈者として有名なマァギタぐらいのものである。偏屈者の魔女以外が住まう居住区は、既に侵略者の手に落ちていた。運良く森の中へ狩りに出た者か、あるいは偶々散歩に出た者でなければ、撤退指示の通信を受信したところで意味がない。

 マァギタの知っている限りではそのような幸運者は一人しかいなかったが、不幸にも猟師ではない彼に丸薬の通信が届くことはないのであった。

 村の惨状を思い出す。

 駐在所の前に転がった通信魔法兵の死体。踏み荒らされた麦畑。大量の怪物に包囲され、新居住区の広場に集められた村民たち。気取られずにその場を離れることに精いっぱいで一人一人の顔を確認する余裕まではなかったけれど、集められた人数やがらんと静まり返った民家を思えば、そこに受信器を持った猟仲間が含まれていないと考えるのは楽観が過ぎる。

 村を跋扈する怪物、あれは確かゾンビというものだったか。乾いたもの、腐ったもの、欠損したもの――。一目見ただけで明らかに生者ではないと分かる状態で、しかし動き回って生者を襲うものども。魔女としての座学や勇者伝説の中にしか見かけない、屍術によって蘇ったという死者。

「どこに行くの、おねーさん」

 風を切る音に割り込むように、慇懃な声が耳元で囁いた。マァギタは全身をびくりと震わせ、しかしその声の主を確認することもなく、声の逆側へ横っ飛びに移動するとそのままの勢いで脚を走らせた。

「無視は酷いなあ。ちょっと待ってよ」

 揶揄う声音。幼さを感じさせる弾んだノイズは、猟師の健脚をあざ笑うかの如く、先ほどと変わらず耳元で響いた。

 決して、無視を決め込んでいるわけではなかった。マァギタは偏屈者ではあるが冷徹というわけでもない。本来ならば悲鳴とまでは行かないまでも情けない声の一つでも上げているような場面である。それでも結果的にその呼びかけを無視することになったのは、単に声すら出ないほどに驚き、息が途切れ、切羽詰まっているからなのであった。

 耳元で何者かが息を吐く。顔を見る余裕すらないが、マァギタには楽しそうにわざとらしくため息を吐く幼子の表情が目に浮かんだ。

 風切り音が耳に蘇る。ぶわりと膨らむ嫌な風。老練の狩人は反射的に後方へ跳んだ。

「待ってって言ってるよね!」

 眼前に躍り出る黒い影。蒼い隻眼と目が合う。それは十かそこらの子供の姿をしていたが、使い込まれた猟銃は迷うことなく火を吹いた。

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