中編 幼馴染

 敷石に、丸みを帯びたものが目立ち始める。居住区の端から端まで鈍色に統一された石畳は、しかし古くからの住民が暮らす区間と、比較的新しい区間とでは敷石のくたびれ具合がわずかに違う。酒場やストリーブ家は新しい区間、穀物用の倉庫や金物屋なんかは古い区間。

 農業従事者が住まう区間は古くからあるもので、僕の家の前にある石畳ももちろん角が取れている。

「ワキヤ!」

 自宅まであと数分というところで、明るくて遠慮のない声に呼び止められた。感傷に浸っていた頭を慌てて切り替える。振り向いて見ると、薄手のガウンコートを羽織った影が、ひょこひょこと跳ねるように後を追ってきているのだった。

「ジーナ? どうしたんだよ、こんな時間に」

「まだそんなに遅い時間じゃあないでしょ。勇者様の幼馴染がトボトボ歩いてるのが見えたから、声を掛けに来てあげたんだよ」

「なんだよそれ。トボトボ歩いていたつもりなんてないけどな。それに、ジーナだって、その勇者様の幼馴染じゃないか」

 僕の言葉には応えず、追いついてきたジーナはアーモンド形の目を細めてニカッと笑ってみせた。

 少し癖のある錆色の髪を後ろで結んだこの少女は、代々村長を務めるミオーサ家の末娘であり、子供の頃から仲良くしている幼馴染である。活発で気の強い彼女は、僕やレイヴよりも三つ年下ながら、二人でつるんでいるところによく遠慮なく割り入って来る、妹分のような存在だった。

 新旧区画の境目にあるのがミオーサ家で、なるほどジーナは宴会帰りの僕を自室の窓からでも見かけて飛び出してきたのだろう。足元を見ると、慌てて突っかけてきたらしいサンダルが左右で別のものになっている。

「そういえばまだ話してなかったな。レイヴが勇者になってから、ジーナとは」

 うん、と小さく頷き、ジーナは彼女の家の柵にちょんと腰かけた。村長の家であるだけあって、ミオーサ家を囲む柵は太く丈夫である。

「ワキヤってば青年団の人たちに引っ張りだこでさ、すごいねー、って言い合う暇すらなかった」

「レイヴとの思い出話を何度もさせられて、もうくたくたさ。一番親しくしていたのが僕だって、みんなそう思っているみたいだからね。そういうジーナは、この三日間どうだったんだい?」

「お祭り騒ぎでずる休み大量発生の中、畑のお世話をしていた人たちがいるのもお忘れなく」

「ああ……」

 ごめん、と頭を下げる。ジーナは小さく笑って、そのまま夜空を見上げた。僕もつられて上を見て、しかしすぐに彼女の横顔へ視線を落とした。ジーナの見ているものは、きっと僕の見上げる空にはない物なのだった。

「すごいよね」

「うん、すごいよな」

「遠くに行っちゃったね」

「ああ」

「嘘みたい。一緒に駆けっこしたなんて。ちょっと前まで……暑苦しい、変な奴だったのに」

 酷い言いようだな、と茶化そうと思った。思ったけれど、その言葉は喉に引っかかって、ばらばらになって、消えた。

 ジーナの声が、夜空に溶けてしまいそうなほど、静かだったから。

「ワキヤも、同じ気持ち?」

「えっ?」

 囁きのような質問に、素っ頓狂な声が漏れた。物憂げな横顔が僕を捕らえ、そしてまた空を仰ぐ。見慣れているはずの悪戯っぽい無邪気な笑顔は、夜闇のせいか、酷く儚げに見えた。

「一緒にトボトボ歩いてくれそうな人、ワキヤぐらいしか思いつかなくて」

「僕で良ければ、いくらでも」

 普段なら、もっと違うことを言うのが僕とジーナとの関係だった。安堵したような笑みを向けられている今だって、いつも通りにからかう言葉や意地悪な言葉が頭に浮かぶ。

 ジーナは年下ながらにいつもなんだか尊大で、そのくせどこか抜けている、愛嬌のある少女だった。そういうある種の可愛げは、村の大人たちに「べっぴんさん」と評される小柄で可憐な見たままの姿を、逆に霞ませていたのかも知れない。

「じゃ、トボトボしよっか」

 腰かけていた柵から跳び下りてジーナがすぐ隣まで駆け寄って来ると、乾いた草の匂いが鼻孔をくすぐった。

「その前に、靴、履き替えてきたら?」

 足元を見たジーナが赤面し、トーンの低い悪態をつく。

 麦穂の香りが村長の家へと遠ざかっていく中で、僕は自分の鼓動の音に気づき、熱くなっていたらしい胸の中を夜の空気で満たした。

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