第一話 約束の戦士

勇者の幼馴染

前編 宴の後

 新たなる魔王の降臨を受け、魔王軍討伐部隊の隊長が任命されてから四日になる。

 古の英雄に因んで「勇者」と通称されるその役職は、王国中の期待と憧れを背負い、また、長く危険な戦いと道中での善行を求められるという輝かしくも重いものである。

 新たなる勇者の名はレイヴ。辺境の村落アルトチューリで長年の間護衛長を務めているストリーブ家の一人息子、という他には語るべき実績もない、齢十九の無名の青年であった。

 彼が幼少期から勇者に憧れていたことは村民の誰もが知るところで、九つの頃から害獣駆除隊に同行して猛然と大トカゲに立ち向かっていたその若者は、既に村の中では親愛の意を込めて勇者と渾名されていた。

 そんな彼が勇者募集の報に意気込んで王都へ向かい、そして見事審査を勝ち抜いて本物の勇者になったというのだから、故郷の村は文字通り三日三晩に渡るお祭り騒ぎとなった。

 村の端に駐在している通信魔法兵は、報せを受けるなり秘蔵の葡萄酒を村中に注ぎ歩いたのだと言うし、よく村を訪れる行商の男は買い込んでいた花火を打ち上げて煤だらけになっていた。

 勇者の幼馴染となった僕自身も例に漏れず、大盛り上がりの酒場に毎晩呼び出されては、レイヴとの思い出話の見返りとして豪勢な肉料理を飽きるほど振る舞われたものである。


「ようワキヤ。高級肉に舌が肥えちまっちゃあいねえかよ」

 特別感とは無縁な豆のサラダをつまんでいると、毛深い剛腕を肩に回された。顔を真っ赤に火照らせた金物屋のおやじである。焼けるような笑顔の彼は、見慣れた麦酒の瓶を握りしめていた。

「久々の味にむしろほっとしているぐらいですよ。団長こそ、もう安い酒は飲めねえな、なんて言ってませんでしたっけ」

「おう、やっぱり安い酒は不味いよ。飲めたもんじゃねえ。だけどやっぱりこいつはよぉ、お安く酔わせてくれる俺の大切な相棒なのよ」

 結局飲んでるんじゃないですかと指摘すると、金物屋は上機嫌な笑い声をあげた。酒場の主が笑顔のまま飲み過ぎをたしなめて、飽きることすら忘れるほどに見慣れた日常の風景である。

 村民に愛される若者が王国中の希望として選ばれてからというもの、静まる気配すら見せなかったお祭りムードは、害獣駆除という珍しくもない騒動によって呆気なく幕を閉じた。

 最初に日常へと引き戻されたのは、皮肉にもハレの起点となった通信兵その人であった。害獣の接近を監視魔法によって受信し村中に注意を促すのが、彼の重大にして普遍的な――少なくとも、勇者誕生の報を伝えるよりは圧倒的に普遍的な――役割なのである。

 レイヴの害獣討伐歴を我がことのように語っていた通信兵の顔に突如として現れた、深い退屈の色や長い溜息ときたら、思い返せば笑ってしまうほどに印象的だ。

 村に接近していたピグミーグラスドラゴンは、遥か彼方の高山や洞窟にいるという本物の竜ほどの大きさはなく、また火を吹くわけでも空を飛ぶわけでもないただの大型のトカゲだ。

 とは言え木製の柵などは体当たりで簡単に壊してしまうほどの凶暴な生物で、しかも群れで行動する習性を持っている。金物屋を団長とする青年団からなる駆除隊や、ストリーブ家率いる護衛隊がこれまでに何度も討伐している害獣ではあるものの、宴会の片手間に対処できるような相手でもないのであった。

「しかし今日はお手柄だったらしいじゃないか、ワキヤ。さすがは勇者様の幼馴染と言ったところかね」

 金物屋の絡み酒にしばらく付き合った後、酒場の主は冗談っぽくそう言うと、ベーコンの入ったスープをカウンターに置いて「私からの奢りだよ」と並びの良い歯を覗かせた。

 ピグミーグラスドラゴンの討伐は、押っ取り刀の駆除隊員ばかりであったにも関わらず、三名の軽症者を出したのみであっさりと完了した。

 それは大トカゲ退治のノウハウが駆除隊全員に染みついていたからでもあるし、群れの規模が想定より小さかったからでもあるし、もしかすると浮かれ気分に水を差されたことへの怨嗟によって村民の士気が高まっていたからなのかも知れない。

「たまたまとどめを刺す機会が多かっただけですよ。今回は凍結魔法の罠が多かったですし、奮発してくれた猟師のおばさんの手柄みたいなものです」

「謙遜することはないさ。二月前から、レイヴの抜けた穴を埋めて駆除隊で一番活躍しているのは、誰の目から見たってワキヤ、君じゃないか。いいや、むしろ、それまでだって目立つレイヴの陰に隠れて――」

「やめてくださいよ。レイヴの代わりに前に立つ機会が増えて、あいつの勇敢さを誰よりも思い知っているのは僕なんですから」

 スープを掬う僕に対して酒場の主は何かを言いかけたようだったけれど、金物屋が甘えた声でお代わりをせがむので、彼は苦笑だけを残すと呆れ顔を酔っ払いに向けた。


 団長が別の青年団員の肩に腕を回すのを見届けて、サラダと穀物茶の代金を置くと酒場を後にした。ただでさえ害獣討伐で疲れているのだ、再び彼の相手をするような気力はもう残っていない。

 夜風を感じて歩くうちに、背中に聞こえていたはずの賑わいは静かな虫の声にかき消されていった。

 静かな帰り道。こんなにも独りを感じるのは、レイヴが旅立った日以来だろうか。

 レイヴとは幼馴染であり、無二の親友である。

 ストリーブの家柄は他の村民たちに比べればいくらか優れたものではあるけれど、レイヴがその身分を理由に偉ぶることは一度としてなかったし、逆に、卑屈になる村民もまた一人としていなかったように思う。

 その上で彼は、いつでも日の当たる所にいて、皆に好かれて、年の近い僕らの間では当たり前のように中心に立っていた。それは、レイヴ・ストリーブが正義感の強く、剣の腕に長け、無邪気にも勇者に憧れる真っ直ぐな少年だったからなのだろう。

 そんなレイヴの、無二の親友なのだった。僕は。

 理由はきっと単純で、歳が近く、戦闘技術が昔からずっと競り続けていたからなのだ。たったそれだけの理由で、僕は勇者の親友だった。

 俺が勇者になったら――。

 いつか、幼い頃にレイヴと二人で村はずれの洞窟へ冒険をしに行ったことがある。冒険と言っても、近くの森林なんかに連れ立っては二人だけの秘密の場所を見つけるというだけの、ささやかなものである。

 勇者は数人のパーティーを組んで行動するものだということで、僕をそのメンバーに見立ててのごっこ遊びなのであった。

 俺が勇者になったら、最初のパーティーメンバーはお前だからな。

 特に危険なこともなく行き着いた洞窟の行き止まりで、陽光の差し込む大穴を見上げながらレイヴがそう言ったのを覚えている。無邪気で、勝手で、他愛のないその宣言は、光の柱に見下ろされたあの場所では酷く心強く、そして光栄に感じられたものだ。

 通信兵の話では、レイヴは王宮が用意した二人の戦闘員を引き連れて王都を出たのだという。冒険の出発時に王国推薦のメンバーが随伴する、というのは三代前からの慣例となっているのだそうで、子供時分の僕たちはそんなことも知らず、未知の行軍に思いを馳せていたわけである。

 アルトチューリは何代も前から脈々と農業を続けてきた村だ。戦争にも悪政にも飢饉にも魔王の襲来にも耐え、領主が潰れようが国が変わろうが、地味で代り映えの無い平和な日々を延々と営んできた。

 多くの村民が村の半分以上を占める麦畑で働いていて、僕もまたそういう両親のもとに生まれ、同じように働くことを当たり前の将来として生きてきた。

 だからこそ、あの頃のレイヴの誘いはただの絵空事で、万に一つを期待することさえあり得ない楽しげな夢物語でしかなかったのだ。少なくとも、僕にとっては。

 レイヴにとっては、違ったんだな。なんて、そんな当たり前のことを今更にして実感する。そんなことは、勇者募集の報を受けたレイヴの喜び勇んだ顔を見たときから――いや、周りの大人たちから勇者だと持て囃されるたびに満更でもない様子で背筋を伸ばす姿を横目に見ていた頃からずっと、ずっと、理解していたはずなのに。

「おめでとう、レイヴ」

 いつも近くにいたはずの親友に向けた想いが意図せず口をつき、湿った夜の空気をわずかに震わせた。

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