ワキヤクレイヴ-wakiwa crave-
いちどめし
勇者の物語
終章 残った者
僕は三番目だった。
歴代の勇者の中で初めて一人一殺の戦法をとったのは、確か四代目だったか。
魔王城に突入した勇者一行の前に強敵が立ち塞がるたび、メンバーのうちの一人がそれを相手取り、残りのメンバーだけで先へ進む。そうして最終的には勇者が魔王との一騎打ちによりその野望を打ち砕いたのだという。
それは勇者パーティーの勇敢さや互いの信頼関係を象徴する逸話として吟遊詩人たちによって語り継がれており、初代の伝説に次いで人気のある英雄譚となっている。
魔王討伐を成し遂げた暁には、この戦いも後世に語り継がれるのだろうか。
二人の背中を見送りながらそんなことを考えてしまったせいで、僕は状況にそぐわない笑みを浮かべてしまっていた。それをどう捉えたものか、広間の中央にぽつりと立つ痩身の男は構えるように持っていた錫杖を下ろし、そして彼もまた愉快そうな笑みを見せた。
「随分と勇ましい。辺境の馬の骨が、良い顔をするようになったものだ。しかし――」
僕が構えを解かずにいると、彼は構え直すどころか座り込み、あぐらをかくとやはり可笑しそうに笑った。
「戦力の分散という儂の役割はもう終わった。そして君も、我々の時間稼ぎに勇者を付き合わせない、という目的を達したところだ。儂と君とが本気を出してやり合えば、どちらが勝ったところで大一番への助勢が叶うほどの体力は残るまい。ならば、もはや勝負を急く必要もないとは思わんか」
「とんだ戯言だな。決着がつけばどれだけ満身創痍になろうと僕は先へ進ませてもらうよ。それは、僕より前に残った仲間たちだって同じはずだ。こうしてお喋りなんかしている時間も惜しいぐらいさ」
僕の挑発が、敵の哄笑が、昏く高い天井に響き渡る。赤黒い闇に包まれたこの部屋は、相対する屍術師が不足なく戦うためにあつらえられた空間なのだろう。彼の陰鬱な雰囲気を反映するかのごとく、燭台の炎が湿った空気の中で静かに揺らめいている。
靴底を削るように一歩を進める。屍術師は表情を変えもせず、節くれだった指を広げ、枯れた手のひらをこちらに向けた。それが術を仕掛ける仕草なのか、あるいは待てというポーズなのかを測ることができず、僕の足はそのまま固まった。
「儂はこちらの世界に来てから日が浅いが、以前にこういう戦法をとった魔王軍と勇者一行がいたというのは小耳に挟んだことがある」
何を語りだすかと思えば、考えることは同じだったということか。そう思うだけで僕の口元は再び緩み、それは敵の笑みをも誘う。
「なんでも、最初にそれをした一行の伝説は、娯楽本や戯曲にもまとめられる、大層人気のある題材らしいじゃないか。最初に立ち塞がった魔王軍参謀の相手をするため、ここは俺に任せて先へ行け、と真っ先に残ったのは、確か、腕っぷしの強い戦士だったか」
くつくつと嫌らしい笑い声。これが話術による時間稼ぎなのだとすれば、僕は完全にその術中に嵌っている、ということになるのだろう。
「そして、最後まで勇者と行動を共にした魔術師は、その身をなげうって魔王軍最強の幻術使いの技を破ると、勇者に強化魔法をかけて先を急がせた」
屍術師はその手を下ろし、緩慢な動きで立ち上がった。
「儂のような新参者が簡単に調べた限りでは、そんな話ばかりだ」
立ち上がった屍術師に、しかし戦意は感じられない。僕の脚は自然と一歩退がり、構えた指先は疲れを思い出した。
「どれ、君は知っているかな。その間に残った勇者一行のメンバーを。魔王軍の兵を。きっと、マニアックで面白みのない歴史書にならば、名前ぐらいは載っているんじゃあないかと思うのだがね」
「何が言いたい」
くつくつ。嘲るような笑い声。自嘲のようですらあると感じるのは、僕が既に言外の意図を察してしまっている故なのだろうか。
僕は、
僕は、三番目だった。
そして僕は勇者の歴史に特段詳しいわけでもなかったから、屍術師の言葉を掻き消すことができなかった。
「これは驚いた。愚鈍を装うとはな。ここは格好のつく言葉の一つでも言っておかないと、本当にただの哀れな端役になってしまうぞ」
「歴史に名を残したいわけではない、とでも言っておけと?」
「分かっているじゃあないか。そういう健気な台詞を吐いてくれた方が、この無為な戦いにも少しは面白みが生まれるというものだ」
痩せこけた顔が僅かに俯いたかと思うと、屍術師はその淀んだ眼光ではっきりとこちらを捕らえた。構えた指先がびりびりと痺れる。思わず退がろうとした脚が意に反して前進する。僕の全身を昂らせるそれは魔術の類ではなく、向けられる純粋な闘気だった。
殺意でも、敵意でもなく、あの陰険で物腰の柔らかい屍術師には似つかわしくない、まるで競技者のような闘気。彼はこの戦いをただ純粋に楽しもうとしているのだろう。そしてその意思を気迫だけで伝えようとしてさえいる。
ああ、これでは、完全に相手の思うつぼだ。
「さて、威勢の良い台詞も聞かせてもらったところだ。こちらも戦闘態勢を取らせてもらうことにしよう。いつまでも無防備なままでは格好がつかないからな」
気づけば何本も並ぶ柱の陰から、無数の意思無き視線。ここからが、屍術師の本領というわけだ。
「僕は格好をつけたいわけでもないし、ましてや、楽しむためにこんな所まで来たわけじゃない。魔王を倒して、平和を取り戻すために――」
「それは勇者の役割だ。君もそれが分かっているから、勇者を先に行かせ、自分はここに残ったのだろう」
「違う」
「違わないさ。先に残った二人ほど、脇役に徹する覚悟がなかったというだけ。先へ進んだ二人よりは、主役からは遠いという自覚があっただけ。だからこそ――」
包囲する屍たちに、未だ動く気配はない。余裕の表れなのか、彼なりの正々堂々ということなのか、僕の行動を待っていることは明白だった。
「だからこそ、君はこんな駄弁に耳を傾けている」
屍術師が、笑った。憐れむようなその笑みは、優しげですらあった。僕の身体は理性を置き去りにして突き動かされる。主を庇いに来たゾンビたちをその勢いのまま蹴散らし、しかし理性を欠いた拳はわずかに身をよじった屍術師に届くことなく空を切った。
「結局時間稼ぎか!」
「勝負を急く必要がない、というのは本心だよ。儂と君との戦いの結果が、大局に影響を及ぼすことなどない」
問答しながらも屍術師は距離を取り、僕は無数のゾンビに取り囲まれる。眼前の屍を殴り飛ばすも、それはすぐ後ろに控える屍にぶつかり、肉の壁となって屍術師への道を遮った。
この程度の包囲ならば、まだ幾らでも活路はある。昂った精神を一呼吸のうちに落ち着かせ、肉の壁に風穴を開けるべく拳に力を込めた。
そして、魔王は去り、
勇者は死んだ。
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