【第一幕】賞金首・ゼロフィスカ
「!」
思わず跳ね起き、何度もまばたきを繰り返して、わたしは今自分がいる場所を見回す。
室内だった。簡素だが
わたしはそこに横たわっていた。
ベッド以外には何もなく誰もいない。
「…………」
生きている。無事のようだ。しかし状況把握のために働かせるべき思考は、まだ動きが鈍い。窓からの薄暗い星明りの中、まずは視界にあるものを把握していく。
足元には、いつも携帯している旅の荷物がある。野宿ばかりしているから中身は少なく、小振りのナイフと、取引したばかりでごく
わたしは荷物の中から紙袋を手にとり、そっと中身を広げる。旅の途上で商人から手に入れた色鮮やかな飴粒は、暗がりでも宝石のように
(ニリ
(美味しそうだな。でも、手持ちがなくて……ヒイロリスの毛皮を付ければいいかな)
(え、そんな高級品……や、でもこの飴希少品だからなぁ~、ちょぉっと足りないかなぁ~)
(じゃあ、これも付けるぞ。カモクヤマイヌの牙)
(マジでか⁉ ……あ、いや、し、しょうがないなぁ、じゃあ今回は特別に……)
慣れない交渉の果てに、どうにか貴重な飴を手に入れられた。
途中、ちょっとつまみ食いしてしまったが、本当はここで久しぶりに会える人へのお土産にするつもりだった。
「…………」
わたしは飴を乗せていない方の手で、ぎこちなく首筋をなぞった。そこの地点に触れると思い出したように小さな痛みが走る。感触は
アイザックが、毒針でわたしを刺した。
わたしが〈リドー〉という組織によって賞金首にかけられ、町中の者から命を狙われている状況を語り終えると同時に。
「ごめん」と、彼は何度もわたしに言っていた。
「どうして……」
口からこぼれた言葉がかすれる。そこで荷物の横に添えられていた紙切れに気づいた。広げた紙面の殴り書きに息を呑む。
『早くこの町から逃げろ。自分も〈リドー〉から賞金を手に入れたら姿を消す。
もう二度と会わない』
彼らしくない乱れた筆跡を
莫大な賞金を手に入れるために、アイザックはわたしを毒で眠らせた──? 最初から、わたしと会う約束をしたときから、そのつもりだったのか?
違う。咄嗟に首を振った。あの約束と今の状況とでは辻褄が合わない。
だってあれは──
ドン、というくぐもった音に肩が
「この辺で
建物に、荒々しい声と混乱した悲鳴が入り混じる。数は増え、近づいていた。
わたしは部屋の窓を開けると、身を乗り出した。
同時に部屋の扉が派手に
「! いたぞォ! 〈女徒手拳士〉だ!」
「ブッ飛ばしてやるァア!」
野太い男声を背に、窓から飛び降りる。直後、轟音が
部屋に砲筒を撃ち込んだのか。なんてめちゃくちゃな──
着地したのは、宿の裏地だった。数刻前アイザックがわたしを連れ、毒針を刺した場所。
今、アイザックはどこに──
「いたぞ賞金首ィィイイ!」「〈
宿の別の窓から身を乗り出した男たちが叫んでいる。騒ぎを聞きつけ、路地の角から殺到したのは、武器を持ち、ギラついた眼でこちらを捉える新手の連中だった。
わたしは駆け出した。
狭い暗い見知らぬ道を、街灯の
「いたぞいたいたァア!」「いいから殺っちまえ七千万だぞ!」「どけェ! オレの獲物だ」
背後から追いすがる殺気が、更に
次の角でまた別の追手に気付き足を止めると、頭上から発砲音が降り注ぎ、
──きりがない。
複雑に入り組んだ路地では、勝手知ったる
今自分がどこにいるかわからない。だがわたしは水の
突如道が
そこは町の大きな水路沿いに展開されている広い道だった。視線の先には広場もある。
この町は水路沿いに広い道がある。到着し、町全体を一望した時に
中心に噴水を置く広場は
「ッハア! つーかまーえたァ!」
走り込んだ勢いのまま、追手の一番手だった男が曲刀を振りかぶってきた。
振り向きざまに武器を持った手を蹴り飛ばす。すると男は痛みに顔を歪めながらもう片方の手を翻して来た。
目の前に銃口。火薬が
頭部だけを横に滑らせて
吹き飛んだ男の
「撃て撃てやっちまえぇええ!」
誰かが吼え、どこを問わず銃弾が一斉に降り注いできた。あちこちから火を噴く銃口は三十近い。路地を走り回る中で相当な数を寄せてしまったようだ。
四方からの銃弾。軌道を読めるものは
「死にさらせぁああ!」
怒号が
一足飛びで間合いを詰めるや、がら空きの脇腹を拳で突く。巨体が周囲を巻き込みながら地面を転げた。開けた視界の向こうには、まだ殺気が波のように連なっている。
「どけや雑魚がァ!」
手近な連中を太い腕で薙ぎとばしながら、巨体とは思えない身軽さで大男が躍り出た。
その手が伸び、何かが放たれる。
蛇のようにしなり迫ったのは、赤い縄だった。
不穏な気配に一度飛び退くと、斜め後ろから硬い気配がわたしの右足に絡んで来た。
別方向から放たれた赤い縄が右足を
「
片手に巻いた赤縄を引きながら、大男が銃口を向けてきた。
すかさず【火】を
「⁉」
衝撃が
銃弾を防げなかった。
【火】が、使えない。
驚くわたしの眼前に大男は銃口を据え、高らかに
「ハッハァー! 〈
──この赤縄が【火】の発動に影響しているのか。
脳裏に〈
「縛り上げろ!」「まずは両足ブチ折っとけ!」
近接武器を手にした連中が、上ずった声で我先にと
次の瞬間。小さな黒い影が目の前に躍り出た。
「ケッヘッヘ! どいてろザコどもォ! 七千万はオレのもんだ、オレだけのなあ!」
新手の黒コートは高らかに言い放つと、頭上で半円を描くように手を薙いだ。
ざぁっ、と頭上を覆う音とともに、冷たい感触がその場にいる全員に降り注ぐ。
精霊の気配。乱暴にぶちまけられた感触は、液体──【水】だ。
避ける手立てもなく、その場に居るものが全員水浸しになる。
黒コートの間近でずぶ濡れになった男がすぐさま声を荒げた。
「なにしやがんだテメッ──」
黒コートが手にした鉄棒をすかさずずぶ濡れの男に振り下ろす。途端、濡れた全身に紫電が迸った。痙攣の後、濡れた男は動かなくなった。
「ケヘ……でしゃばるんじゃねぇぞ雑魚がよぉ」
黒コートが手にする鉄棒には、バチバチと音を立て電流が走っていた。
水を撒き散らしたこの場で、広範囲の感電攻撃を及ぼせる。
わたしだけでなく、全体に及ぶ攻撃を狙ったのだ。賞金を独り占めするため、そもそもこいつらは団結してわたしを捕えるつもりなど毛頭ないはず。
水に濡れた一同に、動揺と戦慄が走る。
「ケッヘッヘ、そうそう、クソザコどもは下がってな」
周りを威圧するように黒コートは
「…………」
わたしはずぶ
わたしの格闘武術は、たとえ武器を持たず精霊に頼らずとも、素手で相手と渡り合い、殺し得る力を持つ。過去、同胞を守るために
でも今はもう、殺さない。
守るべき同胞はもういないから。それだけではなく、人を殺すことを容易く選択肢に入れたくなかった。
(仕方ない。そういうものなの。だからみんな殺してしまいました)
──わたしは「あいつ」とは違う。
躰の自由が利かない中、拳だけを固める。
全く動かないわたしに、黒コートは余裕の勝利宣言とともに鉄棒を振り上げた。
「ケェッヘェ! 電流ブチ込んで、焦げ肌も黒焦げ仕上げってなァ!」
矢先。
「散れや雑魚ども! これで丸焦げだァ!」
頭上から声が落ちてきた。建物の上から身を乗り出す男の声は、宿部屋を
砲撃の轟音が、水浸しのまま突っ立っていた連中を
銃弾に近接武器、【水】の奇襲と来て今度はまた
「ぃっ、エエエエ⁉」
まき散らした【水】は一瞬で灼かれ、黒コートが小さな
無差別な砲撃を前に、群がっていた者が一斉に逃げまどい、水路に飛び込む者もいる。
「今度こそケバブにしてやるァ!」
砲筒を担いだ男が、昂った笑い声でわたしを見据えると同時に発砲した。
手足に絡んだ赤縄を解き、【火】を顕たせるより先に。
発射した砲撃がまっすぐに迫ると──
火を噴く砲弾を過るように、閃きが裂いた。
一瞬のことだった。突如現れた衝撃が宙を
それが砲弾を真っ二つに裂き、宙で爆散させた。
赤黒い野蛮な花火が頭上に炸裂した。爆音と降り注ぐ熱に、距離をとって身構えていた連中すらも野太い悲鳴とともに四方へと逃げ散る。
砲筒持ちの男に至っては間近で花火の衝撃を喰らい、きりもみして水路へ落下していた。
「…………!」
荒れ狂った光と熱を前に、わたしはその場を動けなかった。
頭上で飛び散る火薬を逆光に、
宙で砲弾を斬ったはずの刀はすでに腰に
男はだらしない足取りでこちらに近付いてくると、あの時と同じなれなれしい声でわたしに話しかけてきた。
「よう、フィスカちゃん。おっと今は──ラピスちゃん、だったか。
こんなところでまた会えるなんて運命的だね」
ひと月前、殺し合いの祭典〈
ユルマンは三文芝居じみた口調でそう言うと、にんまりと笑いかけてきた。
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