【幕間0】その一夜より六時間前──昼下がり──

 共和国東部の町・フォリトリロ。鉱物資源の宝庫であるミヌク鉱山のふもとにある人口十万ほどの中級都市は、すり鉢状の地形を活用した水路が特徴だった。

 町の上流域である水門近くの高台から一望すると、町中を網目状あみめじょうに張り巡る水路と、坂の地形に砂壁すなかべの建物が織りなす段層の眺めはなかなかの壮観だ。

 昔から鉱山勤こうざんづとめの豪快な輩が多い土地柄で、町の各所で軒を連ねる酒場では昼夜問わず野太い声が響き渡っている。


 カトーが雇われ店主マスターとして勤めるバーもまた、盛り場から少し離れた一角で昼からひそやかに開店していた。


 木造の古風な内装の棚に居並ぶ酒は新旧問わず上質なものが揃い、物腰落ち着いた中年のカトーがカウンターに立つと風格すら備わる。

 小さな店なので客への対応は一人で事済んでいた。ふるまう料理は酒に合うと好評で、頭に巻くバンダナも様になってきた──と、当人は思っている。ワイングラスを白い布で丁寧に磨き、まだ客の少ないまったりとした店内で、居心地の良さをかみしめる昼下がり。

 そこへ耳元に無遠慮な破裂音が飛び込み、バーの扉が盛大に開かれる。


「隊長ぉぉーっ! ういっすぅー! 今日もおーつかれっスぅー!」


 金髪碧眼に眩しい笑顔。底抜けに陽気な青年がラッパのような声で挨拶を放つ。


「……あーもうパトラッシュかよ……うるせえー」

「どうしたんスか隊長ー、陰気臭いじゃないっスか。んなしけたボソボソ声で」

「お前の面を見たからな」

「またまたぁ。隊長に景気いい話したくて立ち寄ったんスよ?」


 パトラッシュはからっと笑ってカウンターに腰掛けると、首に下げた手のひらサイズの小型カメラを自慢げに見せつけてきた。


「へへっ、昨日もかなり豊作だったんスよ。なんせ記事の一面トップレベルの事件現場に遭遇しちゃったんスから! 隊長、聞くっスか俺の武勇伝。聞きたいっスよね!」

「聞きたくねぇよ。穏やかな昼下がりを返せ」

「なんと! 昨晩ついにあの〈ガトス〉と警備兵けいびへいとのにらみ合いに遭遇そうぐうしちゃったんスよ!」

 しけた反応などお構いなしに、パトラッシュの声音は熱を帯び出し始めた。


「この町の『政府市民抗争』の象徴! 政府警備兵と市民組織〈ガトス〉との直接対決をついに拝めたんスよ! 町をパトロール中の警備兵集団相手に、いきなり銃で一撃ドンっスから。あれぞ〈ガトス〉の特攻ってやつなんスね! そこから殴る蹴る、撃つ斬る倒すの大乱闘で──ヤハー、もう臨場感サイクロンレベルっスよぉー!」

「落ち着けっての」

「あ、大丈夫っスよ、隊長。『記事』の方もばっちり仕上げとくっスから!」

「こいつ……実際、ちゃんと読める文章にしやがるから、質悪いんだよな……」


 意気揚々と親指をたてるパトラッシュを一瞥し、カトーは溜息をグラスに吐きかけた。

 一見、この町の事件を追いかける記者青年と、彼がなじみにしているバー店主との会話なのだが、二人には正体がある。


 彼らはドゥール・ミュール共和国に密入国し、収集したあらゆる情報を祖国スフォルツァ帝国にもたらすため暗躍する帝国調査員だ。

 ある調査のため潜り込んだばかりだというのに、帰国早々、帝国から別件で再潜入のお達しが下されたのがひと月ほど前。


 その任務とは、共和国における帝国の『根城ねじろ』づくりだ。


 十年前、共和国侵攻の戦争をしかけた帝国は、峻厳しゅんげん山岳さんがくと共和国軍の民兵を捨て駒にした特攻作戦とっこうさくせんを前に撤退てったいを余儀なくされ、停戦状態となっている。

 帝国軍部は再戦を望む派閥と反対派とが半々といった状況だが、共和国体制を調べ尽くし、利用しようという方向性で現状では両派足並みが揃っている。


 なぜならば、今の共和国には「うまみ」がある。


 共栄と調和で連帯する傾向にある大陸諸国に対し、他国との交流を限定した「とざされた国家」である共和国には未だ古い思想が蔓延している。【火】の精霊持ちに対する差別意識の根深さは病的なほどに。


 その象徴が、共和国が誇る国家祭事である【火の祭典】だ。


【火】を鎮めるという名目のもと、野蛮な『禍炎かえん』どもを殺し合わせ、それを見世物みせものとして享受きょうじゅする狂ったうたげ。しかし、他国の者の眼から見れば、その見世物に集う参戦者たちは驚異的な戦闘力を持つ連中の集まりだ。

 精霊制御が特段に優れ、独自能力『霊髄クオリア』を有する者を「使い手」と呼ぶが、共和国は環境上、優れた【火】の使い手が数多く存在している。


 帝国はそこに眼をつけた。


 共和国で迫害されている【火】の精霊持ちを懐柔かいじゅうし帝国に引き入れ、使い手のノウハウを入手する。そのためにも、安定した活動拠点を設けなければならない。


 共和国内における帝国工作員のための『根城』づくり──それが調査員であるカトーとパトラッシュに与えられた任務だった。


「たしかにフォリトリロここって『仕事』におあつらえ向きの町っスよね~」

 収集できた戦闘データに満足してか、パトラッシュは機嫌きげんがいい。

「なんといっても国内でもトップクラスに治安の悪さで有名な町じゃないっスか。例の税収騒動ぜいしゅうそうどうのせいで、今や官民かんみんのドンパチが日常茶飯事なんスから」


 この町での警備兵と市民による対立──それは、市政を仕切る地元警備兵じもとけいびへいが鉱山資源からの利益をフォリトリロ特別税として徴収ちょうしゅうし出したことに端を発していた。

 選民思想と差別思考が根強い政府直属の警備兵は、貧困層の多いこの町の市民を日頃から見下し横柄おうへいな態度を取り続けている。

 そこにきて、特別税徴収政策が政府警備兵と市民との対立構造を決定的にした。


〈ガトス〉とは、反政府市民組織の筆頭だ。


 喧嘩っ早い市民が多いこの町で〈ガトス〉は一等に血の気が多いことで知られている。警備兵を「この町の敵」とみなし武力行使すら厭わなくなると、治安を守るもう一つの統治組織である警察官憲けいさつかんけんは手をこまねき、不安定な治安に引き寄せられるように、野蛮な無法者たちが町外からも引き寄せられたむろする──町の治安は殺伐さつばつとする一方だった。


「ほーう、今回は事前予習してたんだな」

「そりゃもちろんっスよ。なにせ〈ガトス〉は大切な『取材対象』なんスから」

 ふいに声のトーンを落としたパトラッシュを、カトーはちらと見やる。


 二人は帝国用『根城』づくりのため、この町を仕切る〈ガトス〉と手を組めないかと目算していた。反政府的立場であれば取引や条件次第で協力も可能。敵の敵は味方というやつだ。

 かくして方や店主、方やカメラマンとして〈ガトス〉との接触を試みようとしている。


「それにオレ自身この町気に入ってるんスよね。ガラ悪いけどカラっとしてるっていうか。

 ふんぞり返って取り付く島もない警備兵の連中とは大違い! 攻略するんなら断然市民側っスよ」

「……なら一言いいか」

「はぇ──ほげっ⁉」

 グラスを置いたカトーが、カウンター越しにパトラッシュの鼻を強めにつまむ。

「忘れてるかもしれんが、今の俺はこのバーに勤めてるいち雇われ店主なんだよ。なのにさっきから『隊長隊長』って……ごきげんにでけえ声散らしやがって。

 まったく、俺が何のために『しけたボソボソ声』で喋ってると思ってるんだ」

「ふぁかりましたた、たいちょ、あ、マスターうぁああ! マジで鼻取れるたすけてぇ!」

 潜めた声で凄むと、パトラッシュは腰を浮かせながら涙声を上げた。

「ぬかってんだよお前は。耳はいいくせに、口軽いのをなんとかしろ」

「だからって、鼻の形変えようとしなくてもいいじゃないスかあ! あれ……ちょ、これオレの鼻筋はなすじ曲がってないっスか⁉ 労災ろうさいおります?」

「おりねえよ。ちょっと男前になったぐらいで騒ぐな」

「騙されないっスよオレは! むしろ隊長の人災だあ!」

 直後、「あ、マスターの!」と訂正を入れるアホな部下をカトーは無言でひとにらみする。


 ついと視線を店内に走らせるが、店内には窓辺のテーブルに突っ伏す胡麻塩頭ごましおあたまの老人一人だけだ。毎日のように店に現れ一杯安酒やすざけを注文すると、閉店まで居座っている。金はないが時間だけある、この町の貧困層でよく眼にする存在だ。

 パトラッシュも背後の胡麻塩頭をちらりと一瞥すると、「バレてないっス」とばかりに親指をたてて見せてくる。つくづく調子のいい奴だ。


「いやしかしこの町の警備兵って、どーやって仕事してんスかね。町に出る度に血の気の多い市民に襲撃されるんじゃ、仕事になんないじゃないっスか」

「さあ。町に出る時は変装でもしてんだろ」

「ああ、モグラでしたっけ。市民に紛れるなんて、マジで秘密警察ひみつけいさつじみてるっスよね」

 緊張感のない笑顔で、パトラッシュはカメラを掲げて立ち上がる。

「んじゃ、今日も元気にジャーナリズム魂炸裂させてくるっスわ! 警備兵と仲良くすんのムリそうなんで、〈ガトス〉幹部の単独インタビューなんて成功させてみたいっスね!

 マスター、景気づけにメシ作ってくれっスよ」

「タダじゃ作らねぇぞ。金払え」


 相も変わらず手のかかる部下だが、仕事はこなすし勘もいい。物騒な環境下ではあるが、心配はないだろう。


 今回の状況は、前回の任務で出くわした〈帳事変とばりじへん〉とは次元が違う。


【火の祭典】──通称〈とばり〉で、たった一人の少女が成し遂げた復讐劇。


 それはある一人の邪悪を暴き立てただけでなく、共和国における『禍炎かえん』迫害という現実の醜悪しゅうあくさをも国民に晒した。狂った祭典を催した国への批判は、現政府への不満や反発へと拡大を続けている。


 かの事変にカトーとパトラッシュが一枚んでいたことは、帝国にも報告せずじまいだった。敵対国にひそみ暗躍すべき調査員があれほどの大事件に関与するなど、調査員の資質を疑われても仕方がない。


 今回はつつがなく任務を達成して帰国しなければ。


 しかし町に蔓延まんえんする物騒さに影響されたせいか、カトーの胸の奥底はざわついていた。今後の見通しに関しては祈念に近い。


 どうか今回は、何事もなく済んでくれ。

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