【開幕】

 背後に殺気があった。


 重なる足音が、昏い気息が、重く濃厚なものになっているのを背中で感じる。

 だがわたしは振り返らず、砂壁が建ち並ぶ迷路のような狭い路地を歩いていた。

 誰かがわたしを狙っている。町の表通りでそれを察知し、そいつを釣り出すつもりで人気のない場所へと向かったが、背後の殺気は数を増す一方で今や気配を隠そうともしない。

 ふと、視界を狭めていた左右の壁が突然途切れ、空間が広がる。

 迷路でいうなれば行き止まり。建築物を置くには狭いが、人が群がるには都合がいい──そんな空き地だ。

 わたしはその場のちょうど真ん中に立つと、足を止めた。


「──わたしに用か」


 振り向くと、背中で感じ取っていた気配を眼で確かめる。

 そこで鈴生すずなりになっていたのは、総勢三十はくだらない男たちだった。日焼けた肌、厳つい筋骨、傷痕や刺青いれずみを交えた者など様々だが、誰もが物騒な武器を手にしている。

 抜き身の刃物と黒光りする拳銃による険呑けんのんな気配に、嗜虐的しぎゃくてきな笑い声が重なった。


「〈女徒手拳士ゼロフィスカ〉だな」


 連中のちょうど真ん中に立っている男が声を発した。わたしが無言でいると、男は手にした山賊刀さんぞくとうの分厚い刃をわたしに差し向けてきた。


「まァ、人違いってこたァねえだろうよ」


 そう言って刃を揺らしながら嘗め回すようにわたしを見る。

 たしかに〈女徒手拳士〉とは少し前からわたしを差す呼称となっている。

 男の言う通りだとしても、わたしは同じ問いを返すだけだった。


「何の用だ」

「ああ大アリだ。大人しく捕まりゃ、軽く可愛がってやるだけで済ませてやるぜえ?」


 周囲から下卑た笑い声が漏れる。わたしは無言で目を細めた。

 この国を放浪してはやひと月。しばしばこうした手合いがわたしの前に現れる。

 理由は──一言で片付けにくい。わたしは褐色肌の少数民族で、同族でも嫌悪される白髪・赤眼の色欠種アルビノと、もの珍しい見た目をしている。

 稀少なものは狙われやすい。それが宝石であれば丁重に扱われるだろうが、人であればそうはいかない。大抵はさげすみと迫害を正当化する理由になる。


 なによりひと月前、わたしはある騒動の渦中にいた。


 今では〈帳事変とばりじへん〉と呼ばれている騒動。以来、わたしの通り名と顔は国中に知れ渡り、こうして目の前にいるような質の悪い奴らに面白半分で絡まれるようになった。

 要するに、武器を持った物騒な連中の襲撃は日常茶飯事と化してしまったのだ。


「断る。お前に捕まる理由はない」


 すると山賊刀の男は眼を剥き、大袈裟に声を張り上げた。


「ア? 何言ってんだ、まさかテメェ……自分が獲物エモノになったの知らねぇってのかァ?」

「ブハハ! マジかよこの土色!」「土人はなんにも知らねぇんだなぁ!」

 男たちの嘲笑いと野次が汚い大合唱と化す。

「七千万だ! 七千万! テメェみてえな焦げ肌一匹にバカみてぇな値段ついてんだぞ⁉」

「家にメシに、奴隷買っても釣りが出らぁ」「生死問わずならブチ殺してもいいんだろァ?」


「つまりテメェは賞金首ってことだよ!」


 野次を総括するように山賊刀をこちらに差し向けた男が言い放つ。


「その首晒せや〈女徒手拳士ゼロフィスカ〉! テメェはここで終わりなんだよ‼」


 それを合図に、野蛮な波濤はとうが押し寄せた。

 最初に銃声が連なり、一瞬前までわたしが立っていた地面を砕く。横へ跳んだわたしに向かって、正面でえていた男の山賊刀が突如火をき、横薙よこなぎでわたしの胴に迫った。

【火】の精霊持ちか。

 獰猛どうもうな炎とともに迫る刃先を見切ると、わたしは奴の【火】に触れ、その瞬間で己の力を発現させた。


火喰ひくい〉。


 次の瞬間、きん、と音が詰まり、男の刃から【火】が消え失せ、

「げ──」

 男が呻くより先に、わたしは奴から喰らった【火】をその懐に向かって一気に放出した。


【火】の精霊持ちであるわたしの独自能力『霊髄クオリア』──それはまさに見てあるがまま、直に触れた【火】を取り込む、ゆえに〈火喰ひくい〉と名付けた力だ。喰らった炎を己の【火】で増幅、カウンターとして撃ち返す攻撃技でもある。


 鋭い炎が男を突き、後続で群がっていた男たちを巻き込む。ドミノ倒しのように、悲鳴と怒声を撒き散らしながら数名の躰が砂壁に叩き付けられた。

「テメェッ⁉」

 怒声とともに武器を振りかぶる者、たじろぎつつも銃の引き金を絞る者──それら攻撃者との間合いを詰め、拳と蹴りで次々と叩き伏せていく。

 この躰のみを武器として戦闘に臨むことを真髄とする無銘むめいの武闘術。わたしの名を知らない者がわたしを〈女徒手拳士ゼロフィスカ〉と呼ぶ所以でもある。

 四方から無秩序に押し寄せる攻撃を、周圧しゅうあつの型による武闘で返り討つ。

 時間はかからなかった。尻をつき、転がりながら逃げ去る者までは深追いしない。多数の悲鳴と足音が背後から遠ざかり──


「ヒィヤッハァ!」


 突如、甲高い嬌声とともに連続した銃声が飛び込んで来た。

 振り返ると、逃げ去ろうとしていた連中が地面に倒れている。ほとんどが頭を撃ち抜かれ、こときれていた。彼らを足蹴あしげにしながら、硝煙がくゆる銃を手に、長身の男が躍り出る。


「見ィつゥけたァ、〈女徒手拳士ゼロフィスカ〉!」


 喜々とした笑顔と上ずった声。異様な気配が押し寄せ、反射的に身構えた。

 伸ばした金髪を後頭部で雑に縛りあげ、右はあお、左はみどりの眼をした白人種の男。派手な色を重ねたコートに大量のベルトがうねる蛇のように絡まっている。

 夜の野外にありながらも明らかな極彩色。見開かれた眼と勢いよく吊り上げた笑う口の形は、道化に扮した悪魔を思わせた。


「邪魔者は消えたぜェ! オレたちだけの、二人の世界ってやつゥ⁉」


 鈍い銀に光る大型拳銃を掲げて叫ぶ。こちらを捉える熱に浮かされたような視線と笑みを前に、警戒が一気に底上げされた。

 わたしは地を蹴って男へ迫近した。すると男は手にした銃を向けるどころか、極彩色のコートをひるがえし両手を広げてわたしに向かってきた。


「会いたかったぜェ! 〈女徒手拳士ゼロフィスカ〉ァア!」


 臨戦の熊のように、いや、全力で相手を抱擁ほうようせんとする勢いで男が覆いかぶさってくる。罠かと疑うほどの無防備さに一瞬惑う、が、すぐさまがら空きのみぞおちに正拳突きを放つ。


「ゴォフ⁉」


 呻いて傾いたからだにとどめの【火】帯びの拳を叩き込む寸前、衝撃が真正面で破裂した。拳が弾かれ飛び退ると、男が銃口を掲げ笑っている。


「おォいおい! 愛情表現が烈しすぎんだろ、オレ壊れちゃうっての!」


 強烈な衝撃波は銃口から発せられていた。逃走者を実弾で殺した時と違い硝煙しょうえんはない。濃厚なのは精霊の気配──目に見えないその威力は、おそらく【風】によるものか。

 ふざけた挙動だが油断はできない。わたしは腰を落とし、斜め下から相手を見据えた。


「…………」

「えェへェ……いい眼ェじゃんよ」


 にやつき出した相手を見据える、双眸そうぼうの赤に熱がこもる。

 間合いは三メートルもない。一足飛いっそくとびで間合いを奪って速攻できる。

 だがすぐさま動けないのは、男が銃を手にぶら下げたままだからだった。わたしを狙い集団で襲い掛かってきた連中と違い、わたしを攻撃する意図はない──? まさか。

 惑いをすぐに打ち消す。攻撃こそしてこないが、ギラついた気配を発するこの男を前に、本能的に警戒を覚える。

 硬直した対峙は早撃ちの決闘じみていた。今にも爆ぜんばかりに空気がピリつく。

 すると男は、この緊張感にそそられたように突如「ヒヒ」と笑い出した。のどぼとけが震え、口の端が頬を引き裂かんばかりに吊り上がる。


「あーイイ! ヤベ無理たまんね! 想像以上じゃねェのォ!」

 昂った嬌声とともに男の体が仰け反る。わたしは地を蹴った。

 がら空きのみぞおちへと、豪突ごうとつの型を打ち込む。

 掌底しょうていからの衝撃をもろに浴び、男のからだがくの字の形で真後ろへ飛ぶ。

「ゴォエェッヘッ⁉ いぃッてえええェエ⁉」

 べしゃ、と泥のように地面に垂れ落ちると、男は地べたをのたうち回った。


 ──まだ意識があるのか。


 内心驚きを隠せなかった。喰らえば筋骨隆々きんこつりゅうりゅうの大男でも気絶する正面攻撃なのに。

 男は痛みに悶えるどころか、全身くすぐられたかのように奇矯な笑い声をあげていた。怖気すら覚える異様に、思わずわたしは拳を固め直す。

「ヒヒィいやもう、サイッコーじゃん……しびれた、本気でホレ直したぜ俺のハニーよォ」

 痛みに感じ入るように、男は陶然とした眼でわたしを見上げている。

 いやな表情だった。

 狂った笑みと、強烈な喜色。食い入るようにわたしを見つめる、熱のこもったその眼が。


(お姉さま──)


 奴を思い出させた。

 わたしは握っていた拳をさらにきつく締め直すと、腹を押さえ仰向けのまま動かない男に向かって振り下ろした。

「オイオイオイオイ! まさかここでフィニッシュかよ⁉ もうちょっと楽しまァッ⁉」

 耳障りな喚き声を、腹に叩き込んだ拳で強制的に遮った。




 白目を剥いた男が動かなくなったのを確かめ、わたしはようやく拳を解いた。

 周囲を見回すと、返り討ちにした襲撃者たちは気絶したまま動かない。

 だが、不穏な余韻だけが残った。最初に山賊刀の男が放った、あの言葉──


「──ラピス!」


 背後から飛び込んで来た声に振り返った。

「アイザック」

 わたしの名前を呼んだ彼の名を、わたしもまた口にする。

 息を切らせ駆け寄ってきたのは、色白で長身痩躯ちょうしんそうくの青年だった。ひと月前に【火の祭典】で出会い、深い関わりを経て縁が出来た。

 人を救うために医者になった──そんな優しい心根の持ち主だが、今は汗まみれの顔に焦燥を浮かべている。


「よかった、一応無事──みたいだね」

「問題ない」

「久しぶりだね……いや、今はまずここから離れよう」


 挨拶もそこそこに、アイザックの足早な先導で来た細い道からさらに奥へと誘われた。彼にとっては見知った道だからか、足取りには迷いがない。

 歩みを止めず、アイザックは背中越しに憂いた声をかけてくる。


「ごめん、もっと早くに合流しておくべきだった。この町──フォリトリロはお世辞に治安が良いとはいえないから……とんだ歓迎になって、本当に申し訳ないよ」

「お前が気にすることじゃない。それに、質の悪い連中はどこの町にもいた」

 わたしは気負いなく言うが、アイザックの声は晴れなかった。

「だけど……自分があなたをここに招いたせいだから」


 ──旅を始めてひと月になる。流れるように放浪していたわたしがこの町に赴いたのは、旅の途中でアイザックとやりとりができたからだった。この国で手紙や電信より古くからある連絡手段として移動式伝言板というものがあり、定住しない者が同じく放浪している者らに向けて情報やメモを交わし合える。そこで二週間ほど前たまたま彼と伝言を交わし、お互いの通り道になるこの町で久しぶりに落ち合おうと約束したのだ。


 共和国東部の中級都市──フォリトリロ。


 市民と政府との諍いに端を発し、治安が不安定な町として有名だ。喧嘩が殺し合いに、身元不明の死体はゴミと一緒に片付けられるのが日常と化している、通称〈無法者むほうものの町〉。

 目の前にいるアイザックの生まれ故郷でもある。


「自分のせいで……ほんとうにごめん」

「何度も言わせるな。お前のせいじゃない」

 昏い声を否定して、あらためて思い出す。


(つまりテメェは賞金首ってことだよ!)


 さきほど襲いかかって来た連中の宣告だ。

 単なる物珍しさで絡んで来たのではない。あいつらは、目的を持ってわたしを襲って来た。


「今、この町であなたに賞金がかけられている」


 わたしの思考を先んじてアイザックはそう言うと、わたしに向き直る。

 建物の裏口に面した狭い路地。ひしめく砂造りの建物の隙間すきまから、ものものしい音が幾重にも反響して届いてくる。

 どこから、何の音なのかはわからない。ただこの町で、なにか大きな騒ぎが始まろうとしている。

 そんな予感を抱かせる、不穏な音の群れだった。

 アイザックは正面からじっとわたしの眼を見つめたまま言葉を続けた。

「あなたの身柄を生き死に問わず引き渡せば、七千万ヴィズが即金で支払われるって」

 わたしは眉をひそめる。

「わたしは犯罪の指名手配者になったということか?」

 政府、もしくは警察官憲けいさつかんけんが賞金を懸けるような犯罪に加担した覚えはない。

 だが彼らに眼をつけられる要因に心当たりなら、ある。

とばり〉だ。

【火】の災厄を鎮めるという名目で【火】の精霊持ちどうしを闘わせ、その殺し合いを見世物とする国主催の一大興行【火の祭典】。通称・〈とばり〉。

 わたしは大切な同胞を殺した仇を探すため、手がかりをもとにひと月前〈帳〉に参戦し、闘いの中でかたきの正体を暴き国中に知らしめた。

 結果、事態は〈帳事変とばりじへん〉と呼ばれる大事件となった。その余波はひと月前にもかかわらず、今もなお共和国を揺るがしている。

 だがあの騒ぎの直後、わたしが罪に問われる扱いは特にされなかった。むしろ野放しにされていたといってもいい。それが、今になって……?

 アイザックはすぐに首を振った。

「あなたに賞金を出したのは〈リドー〉と名乗る組織だ。この町の新興組織らしいけど、奴らが町中で賞金首の情報を振れ回っていたんだ」


 ──近日中に、あの〈女徒手拳士ゼロフィスカ〉がこの町に現れる予定だ。

 ──奴の身柄を引き渡せば〈リドー〉が七千万ヴィズを即金で払う。

 ──生死は問わない。

 ──探せ。捕えろ。殺せ。〈女徒手拳士〉を。〈リドー〉に差し出せ。


「なんのために──」


 断片的な情報の不穏に思わず呟くと、わたしの肩にアイザックが手を添えた。

「〈リドー〉が何者なのか、目的もわからない。でも、奴らの予告通りにあなたが町に現れたし、賞金の額が額だから……町の連中が血眼になってあなたを狙っている」

 思い詰めた深刻な眼がわたしを見据えている。

「あなたは強い。けど、この町の人たちは、金のためならどんなことでも躊躇いないから」

「ならアイザック、わたしから離れろ。お前まできけ、ん、に」


 ──唐突に、言葉が途切れる。


 首筋に小さく鋭い痛みが疾ったからだ。

 アイザックがわたしの肩から手を放す。その指先には、細針があった。

「ごめん」

 首筋の痛みと、目の前の針と、彼の口からこぼれた言葉が──頭の中でない交ぜになったまま、わたしの視界は急に暗がりへ転げた。

 頬に地面があたる。躰が地面に落ち、そのまま動くことができない。


 毒を打たれた。アイザックに。


「…………!」

 なにもかもが信じられないような気持ちで、わたしは眼を上げた。傾いた視界の中で、アイザックが真剣な表情のままじっとわたしを見つめていた。


「ごめん。ラピス──」


 かすれた声をかろうじて拾う。視界が薄くなっていく。針を刺された首筋の、凍れるような感覚を最後に、わたしの意識は消え失せた。

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