51 靴職人令嬢、認められる
「っ!?」
無音の衝撃が広間を走り抜ける。
息を呑んだのはリルジェシカだけではない。ドルリーもまた、信じられないと
「へ、陛下……っ! 真でございますかっ!? 真にリルジェシカ嬢の靴を選ぶと……っ!? 宝石ひとつすらついていない地味な靴など……っ! 一国の女王であるブロジェリーヌ陛下がお履きになる靴としてふさわしいとは思えませんっ!」
女王の決断が信じられないのだろう。ドルリーが血の気の引いた顔で必死に訴えかける。
選ばれたリルジェシカですら、夢を見ているのではないかと思う。
「わたくしの判定に不服があるとでも?」
女王の厳しいまなざしがドルリーの口を縫い留める。
「わたくしが見た目の派手さだけであなたの靴を選ぶと思ったの?」
女王の鋭い視線がドルリーを射貫く。
「ドルリー商会の靴は見た目こそ
女王が打って変わったように柔らかな笑みを浮かべ、リルジェシカが手がけた舞踏会用の靴の片方を手に取る。
「近くで見るとよくわかるわ。宝石こそついていないけれど、手の込んだこの
「ま、万が一にでも、糸がこすれて陛下のおみ足に傷がついてはと思いまして……っ!」
まだ夢見心地のまま必死に答えると、女王が
「あなたの靴の最大の魅力は、履く相手への思いやりに満ちていることね。わたくしの足に沿ったこの形……。どちらも試し履きをしたけれど、あなたの靴は脱ぎたくないと思うほどだったわ。ちゃんとわたくしの希望に応えてくれたのね」
「お、
評定を下されてなお、引き下がる気はないのだろう。ドルリーが必死な様子で声を上げる。
「わたしどもにも、陛下のおみ足を測らせてさえいただければ、陛下がお履きになるにふさわしい豪奢で履き心地のよい靴を――」
「お黙りなさい」
ぴしゃりと女王がドルリーの言葉を封じる。
「言っておきますが、わたくしはリルジェシカ嬢に足を測らせたことなどありませんよ。わたくしはただ、リルジェシカ嬢に希望を書いて送っただけ。そもそも、御用商人の地位にいい気になり、何の努力もしなかったのはお前の
女王の叱責に、ドルリーが顔色を失くして押し黙る。
広間を
「改めて勝者を告げましょう。今後、わたくしの靴はすべて、リルジェシカ嬢に依頼します! 女王ブロジェリーヌの名において、リルジェシカ・マレット男爵令嬢を女王の御用職人として指名します!」
女王の宣言に並み居る貴族達が湧き立つのを、リルジェシカは呆然と聞いていた。
もちろん、ザックに勝つつもりで作ってはいたが、まさか、本当にそんな幸運が自分の身に起こるなんて、信じられない。
「おめでとう。リルジェシカ嬢」
リルジェシカの指をぎゅっと握りしめて告げたフェリクスの声に、はっと我に返る。
「フ、フェリクス様……。本当に……?」
ひざまずいたまま、呆然と呟くと、柔らかな笑顔にぶつかった。
「ああ。夢じゃない。きみの努力の
「フェリクス様……っ」
真摯なフェリクスの言葉に、じんと胸が熱くなる。
違う。リルジェシカひとりの力では、ここまでの靴は絶対に作れなかった。
フェリクスが革の仕入れにつきあってくれたばかりか、ミトルスの店に案内してくれたおかげだ。それだけに限らない、昼食を差し入れてくれたり、気遣ってもらえたことで、どれほど力づけられたことか。
フェリクスの助けがなければ、きっとここまでの靴は作れなかった。
そう言いたいのに、胸がいっぱいでうまく言葉が出てこない。
「さて」
女王の短いひと声に、貴族達のざわめきが静まる。
つい、と女王がフェリクスに視線を向けた。
「品評会の結果が出たところで、もうひとつの件も片づけましょうか。フェリクス。先ほど、リルジェシカ嬢が妨害に遭って登城が遅れたと言ったわね?」
「はっ!」
一度、深く頭を下げたフェリクスが、凛々しい面輪を上げて女王を見返す。
「ここへ来る直前、リルジェシカ嬢は
きっ! とフェリクスの視線が鋭くドルリーを射貫く。
「犯人はドルリー商会のザックという名の職人です! 己が作った靴がリルジェシカ嬢の靴に及ばぬと考え、彼女を品評会へ行かせまいと……っ!」
「し、知らんっ! わたしはザックにそんな指示など出していないっ!」
糾弾されたドルリーが血の気を失った顔で叫ぶ。
「職人の手綱をしっかり握っておくのが主の務めでしょう? 罪人が作った靴をわたくしに献上しようだなんて……。ドルリー、今後のことをしっかり考えておくことね」
冷ややかな圧を宿す女王の声に、ドルリーが蒼白な顔でうなだれる。
「定刻通り品評会を開けたのは、リルジェシカ嬢が期日より二日も早く靴を提出していたおかげね。そしてフェリクス。わたくしの大切な職人を助けてくれてありがとう。礼を言うわ」
「いえ、とんでもないことでございます。わたしはただ、女王陛下の大切な者を守らねばと……っ!」
恭しく
「大切な者、ねぇ。では、リルジェシカ嬢を守ってくれたフェリクスに、
「褒美、ですか……?」
ぽつりと呟いたフェリクスに、「ええ」と女王が笑みを深める。
「あるのでしょう? なんとしても手に入れたいものが」
「っ!」
息を吞んだフェリクスの面輪が引き締まる。
フェリクスが手に入れたいものとは何だろう。
トリスティン侯爵令嬢と結婚するためのもっと高い地位だろうか。それとも褒賞金だろうか。
なんにせよ、リルジェシカには関わりようのないことだ。
この広間を出れば、リルジェシカがフェリクスのそばにいられる機会は永遠になくなる。
大勢の貴族達が見守る中、フェリクスと手をつないだままだという事態の重要さに今更ながらに気づき、今度こそ手を引き抜こうとする。
もしトリスティン侯爵や令嬢がこの場にいたら、何と思われることか。
「リルジェシカ嬢」
身体ごと、こちらを振り向いたフェリクスの両手に、右手を包まれた。
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