52 靴職人令嬢、告白される


「女王陛下。わたしに褒美をくださるというのなら、いまここで、『機会』をいただきたく存じます」


 顔だけを女王に向けて告げたフェリクスが、リルジェシカに向き直る。


 呆気あっけに取られて固まるリルジェシカの右手を、フェリクスが恭しく持ち上げた。


 かと思うと、ちゅ、と指先にくちづけを落とされる。


「っ!?」


 息を吞んだリルジェシカを、真剣な光を宿した碧い瞳が射貫き。


「リルジェシカ嬢。きみに、結婚を申し込ませてほしい」


 告げられた言葉に、思考が止まる。


「……え……?」


 こぼれた声は呼気にまぎれて、届いたかどうか。


 反応できずに固まるリルジェシカに、ぎゅっと右手を握りしめたままフェリクスが言い募る。


「急にこんな申し出をされて迷惑だとはわかっている。けれど……。もうこれ以上、想いを抑えきれないんだ。きみに結婚をいる気はない。わたし以外に好きな男がいるというのなら、苦しくとも受け入れよう。ただ……。もう一度、誰かに取られてしまう前に、どうしても想いを伝えたかったんだ」


 フェリクスの碧い瞳が、祈りを込めてリルジェシカを見つめる。


「リルジェシカ嬢。きみが好きだ」


 とすり、とフェリクスの言葉が矢のようにリルジェシカの心を射貫く。


「猟遊会で初めてきみを知って、言葉を交わすたびにどんどんかれていって……。ディプトン子爵令息に先を越された時は、自分の愚かさを呪うほどだった。もう二度と、きみを誰にも渡したくない。きみの愛らしい笑顔も、靴のことになると夢中になるところも、靴作りに真剣に打ち込む凛々しさも、ぜんぶが好きだ。きみ以外の相手なんて考えられない。愛している。だから、どうか――」


 フェリクスの声に宿る熱がうつったかのように、握られた手から伝わる熱がリルジェシカの全身を沸騰ふっとうさせる。


 頭がくらくらして、何も考えられない。


 だって、リルジェシカの取り柄は靴作りしかなくて。他の貴族達には呆れ果てられていて。


 それにフェリクスには――。


「ト、トリスティン侯爵令嬢とのご婚約は……?」


 震える声で尋ねると、フェリクスが息を吞んだ。が、すぐに柔らかな笑みが口元にのぼる。


「礼を尽くして、正式にお断りしたよ。わたしが妻になってほしいのは、きみだけだから」


「……っ!?」


 フェリクスの言葉に、震えが走る。


 諦めねばならないのだと、思っていた。


 初めて自覚した恋心は、このまま、告げることもなく胸の奥底へほうむらねばならないのだと。


 そう、嘆いていたのに。


「リルジェシカ嬢っ!?」


 フェリクスが驚きの声を上げ、目をみはる。


 にじむフェリクスの姿に、リルジェシカは自分が涙をこぼしていることに初めて気づいた。


「す、すみません……っ」


 握られていないほうの手でごしごしと濡れた頬をぬぐうと、フェリクスの凛々しい面輪が切なげに歪んだ。


「すまない……。急にこんなことを言われて、迷惑だとは承知しているが……」


「ちが……っ! 違うんですっ!」


 ぶんぶんとかぶりを振った拍子に、視界の端で碧いリボンが揺れる。ひらひらと揺れるリボンは、まるで背中を優しく押してくれているようで。


「わ、私も、フェリクス様のことが……っ! す、すすすすす……っ」


 緊張で舌がうまく回らない。


 けれど、なんとか想いを伝えたくて、フェリクスの碧い瞳を真っ直ぐに見つめ返す。


「す、好きです――、っ!?」


 口にした瞬間、ぐいっと握った手を強く引かれる。


「ひゃっ!?」


 前へ倒れかけた身体を、たくましい胸板に抱きとめられる。かと思うと、息が詰まるほど強く抱きしめられた。


「リルジェシカ嬢、ありがとう……っ!」


「フ、フェリクス様っ!?」


 大勢の貴族達の前だというのに、抱き寄せられるなんて。


 足をばたつかせた拍子に、こんっ、木箱に爪先が当たった。


「リルジェシカ嬢、ずっと気になっていたんだが、その箱は……? 女王陛下のお靴でもないようだが……?」


「わたくしも気になっていたわ。箱の中身は何かしら?」


 女王にも問われ、腕をほどいたフェリクスから離れたリルジェシカは、膝立ちのまま箱を持ち上げる。


 ザックに奪われそうになっても、絶対に渡したくなかったもの。


 本当は、品評会の場にまで持ち込むつもりなどなかった。品評会の前に渡して、それきりにしようと。


 告げられぬ想いの代わりに、これを渡して終わりにしようと、そう思っていた。


 リルジェシカは、両手で持った木箱をおずおずとフェリクスに差し出す。


「これは……。フェリクス様にご依頼されていた靴です。お世話になったフェリクス様のために、ご婚約のお祝いに、せめて私ができることを、と……」


「わたしの……っ!?」


 フェリクスが信じられないと言いたげに目をみはる。


「あら。わたくしをさしおいて靴を依頼するなんて、抜け目がないこと」


おそれながら、陛下。リルジェシカ嬢へ依頼をしたのは、フェリクスのほうが先でしたのよ」


 自分の靴ではないと知って、つまらなさそうな声を上げた女王に、セレシェーヌが笑んだ声で割って入る。


「それに、リルジェシカ嬢を先に見出したのはわたくしですもの。いくら陛下とはいえ、ひとりじめはいけませんわ。リルジェシカ嬢のことは、わたくしも気に入っているのですから」


 笑顔で釘を刺す娘に、女王が仕方なさそうに吐息する。


「愛娘にまでそう言われては仕方がないわね。リルジェシカ嬢。これから注文が殺到するでしょうけれど、受けてくれるかしら?」


「も、もちろんでございますっ! 私の靴でよろしければいくらでも……っ!」


 こくこくこくっ、と千切れんばかりに首肯しゅこうする。


「あなたの靴がよいのよ。では、勝者であるリルジェシカ嬢には後ほど、褒美と新しい注文を渡すとして……」


 女王が悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「いまはひとまず、祝いの言葉を贈りましょうか。女王・ブロジェリーヌの名において、フェリクス・オーランド伯爵令息とリルジェシカ・マレット男爵令嬢の婚約を認めます! おめでとう、二人とも。末永く幸せにね」


「ありがとうございます」


 恭しくこうべを垂れたフェリクスの声に呼応するように、周りの貴族達から祝福の拍手が湧きおこる。


「せっかく結ばれた恋人達を引き留めては無粋ね。先に退出することを許します」


 笑んだ声で告げた女王に、「陛下のご厚情に深く感謝いたします」と一礼したフェリクスが、片腕に木箱を抱え、もう片手でリルジェシカの手を握って立ち上がる。


「行こうか、リルジェシカ嬢」


「あ、あの……っ、失礼いたします! 本当に、陛下になんと感謝を申しあげればよいか……っ! ありがとうございますっ!」


 まだちゃんと頭が動かない中、なんとかそれだけを告げ、深々と頭を下げると、リルジェシカはフェリクスに手を引かれて広間を出た。


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