50 靴職人令嬢、女王陛下の判定を聞く


「すまないが飛ばすよ。しっかり掴まってくれ」


 フェリクスに言われ、片手で木箱を抱え、もう片手でぎゅっと近衛騎士の制服を掴む。


 手綱を操るフェリクスに応え、二人を乗せた馬が疾走する。


 王城へ近づくにつれ、人通りが増してゆく。


 往来を縫うように巧みな手綱さばきで疾走する馬を、道行く人々が呆気あっけにとられた様子で見送っていく。


 非常事態とはいえ、このことが噂になってトリスティン侯爵令嬢の耳に入ったら、きっと不快な気持ちになるだろう。


「あの……っ」

 声を上げると、


「静かに。舌をんでしまうよ」

 とフェリクスにたしなめられた。


 確かに、揺れる馬上はしっかりフェリクスに掴まっていなくては振り落とされそうだ。


 だが、昔は馬が怖くて仕方がなかったのに、フェリクスが一緒にいてくれるのだと思うだけで、怖いどころか、嬉しさと安堵が湧いてくる。


 王城に着けば、もうこんな機会は二度とない。そう思うと、王城に着かなくてよいとさえ思ってしまう。


 だが、そんな願いが叶うはずもなく。


「女王陛下のお使いだ! 通るぞ!」


 門番にひと声かけたフェリクスが、馬のまま王城の門をくぐる。


 馬の速度を保ったまま、正面に建つ棟へ走り寄り。


 ぐいっと手綱を引いて馬を止めたフェリクスが軽やかに鞍から降り、次いでリルジェシカを抱き下ろす。


「走れるかい?」


「は、はいっ」


 頷いた途端、木箱を抱えていないほうの手を、ぎゅっと握りしめられる。


 フェリクスに導かれるまま扉をくぐり、石造りの廊下をひた走る。


 もう品評会が始まっているのか、広間へと廊下には誰もいない。二人の呼吸と靴音だけが重厚な石造りの廊下に響き渡る。


 広間の扉の前に立つ衛兵が二人の姿を見とめて、驚きに目をみはる。


 フェリクスに手を引かれるまま、衛兵が引き開けた両開きの扉の隙間に走り入り。


「申し訳ございません、陛下! 妨害に遭い、登城が遅れましたっ!」


「たいへん申し訳ございませんっ! 遅参してしまい、なんとお詫び申しあげればよいのか……っ! いかようにも罰を受けます!」


 声を張り上げ、床に片膝をついたフェリクスに合わせ、リルジェシカも謝罪を紡いで両膝をつき、抱えていた木箱を脇に置いて恭しくこうべを垂れる。


 そこでようやく、まだフェリクスに手を握られたままだと気づく。あわてて引き抜こうとするが、フェリクスの大きな手はしっかと握りしめたまま、緩まない。


 と、女王陛下の笑んだ声が壇上から降ってきた。


「大丈夫よ。審査は終わったけれども、勝敗を告げるのはこれからだもの。待っていたわ、リルジェシカ。おもてを上げることを許します」


「は、はい……っ」


 女王の声は柔らかなものの、気は抜けない。


 周りの貴族達の刺すような視線が痛い。品評会に遅れてくるなんて、不敬極まりない不調法者だと呆れ果てているのだろう。


 女王に叱責を受けるとしても、フェリクスだけは何としても庇わなければと決意しながら、リルジェシカはおずおずと顔を上げ、壇上の女王を見上げる。


 広間の正面、一段高い壇上の中央で王位を示す豪奢ごうしゃな椅子に座るのは女王・ブロジェリーヌだ。その両側には王配であるアルティス殿下と一人娘のセレシェーヌ殿下が座している。


 広間の両側には何人もの貴族が立ち並び、呆れ果てた冷ややかなまなざしや、探るような好奇の視線をリルジェシカにそそいでいた。


 そして、壇のすぐ手前。凝った装飾がほどこされた台の上には、それぞれ、リルジェシカが作った二足の靴と、ドルリー商会が用意した二足の靴が絹地を敷いた上に置かれ――。


 そのそばにひざまずくドルリーが、勝利を確信した自信ありげな表情でリルジェシカを見つめていた。


「え……?」


 リルジェシカと同じく顔を上げたフェリクスが、呆然とした声を上げ、リルジェシカを振り返る。


「女王陛下の靴があそこにすでに……? なら、きみが抱えている木箱は……?」


「これ、は……」


「では、リルジェシカ嬢も来たことだし、判定を言い渡しましょうか。……遅れた原因は後でじっくり聞かせてもらうとして、ね」


 低くなった女王の声に、リルジェシカとフェリクスはあわてて口をつぐみ、壇上に目を向ける。強い光を宿す女王の目は笑っていない。


「さて……」


 広間全員の視線を集めた女王が、おもむろに口を開く。


「ドルリー商会の職人が作った靴と、マレット男爵令嬢であるリルジェシカ嬢が作った靴。どちらがわたくしの足を飾るにふさわしい靴か、勝敗を告げましょう」


 静かな女王の声音に、リルジェシカは緊張にこくりと唾を飲み込む。


 台の上に置かれたそれぞれの靴は、見た目からして大違いだ。宝石もなく、絹のリボンと刺繍が施されただけのリルジェシカの靴に対し、ドルリーが用意した靴は宝石がふんだんにあしらわれ、窓から差し込む薄明かりを反射して、きらきらと輝いている。


 見た目だけならば、誰しもがドルリーの靴に軍配を上げるだろう。


 居並ぶ貴族達も、なぜリルジェシカなどの靴が、ドルリーと争っているのかと疑問に思っているに違いない。


 緊張のあまり、頭がくらくらし、身体が小刻みに震え出す。

 と、つないだままの指先を、不意にぎゅっと握られた。


「っ!?」


 反射的に振り向いた視線が、フェリクスの碧い瞳とぶつかる。


 大丈夫だと言いたげなフェリクスのまなざしを見た瞬間、震えがほどけて消えてゆく。


 あたたかく頼もしい手のひらと信頼に満ちた碧い瞳に、閉じ込めなければならないはずの想いがあふれ出しそうになり、リルジェシカはしゅす、と聞こえたかすかな衣擦きぬずれの音に、弾かれたように壇上に視線を戻した。


 立ち上がった女王が、優雅な足取りで靴が載った台へと歩む。


 足を止めた女王が手に取ったのは。


「わたくしが履きたいと望む靴はこちらよ」


 ――リルジェシカの靴だった。


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