43 近衛騎士、言葉を尽くして説得する


「だが、リルジェシカ嬢といえば、つい先日、ディプトン子爵令息との婚約が破棄になったばかりだろう?」


 ユウェリスが気遣わしげに眉をひそめる。息を吞んで、愕然がくぜんとした表情を浮かべたのは父親だ。


「フェリクス! まさかお前に限ってそんなことはないと思うが……」


「当たり前です! 父上や母上の信頼を裏切るなんてことは、決してしません!」


 父親が言わんとしたことを察し、声を張り上げる。


「天地神明に誓って、わたしとリルジェシカ嬢の間にやましいことはありませんっ! 婚約者がいる令嬢と親しくするなど……っ! リルジェシカ嬢の名誉を傷つける真似をするわけがありませんっ!」


「なるほど……。半年前、お前がやけに荒れていた時期があったが……。原因はリルジェシカ嬢だったのか」


 何でもお見通しな兄の言葉に、フェリクスは唇を噛みしめる。


「そうです。あの時ほど、己の呑気のんきさを悔やんだことはありません。リルジェシカ嬢が自由の身になったいま、わたしはもう、決しておくれを取りたくないのです!」


「リルジェシカ嬢といえば、三日後に行われる女王陛下の品評会に、靴を出品する令嬢よね?」


 それまで黙していた母親が、興味津々といった様子で口を挟む。フェリクスは大きく頷いた。


「そうです。残念ながら、リルジェシカ嬢が誤解され、貴族達の間で評判がよくないことは承知しています。ですが、リルジェシカ嬢が靴作りを始めたきっかけは、足の悪い母君のために、履きやすい靴を作りたかったからなのです」


 少しでも、リルジェシカに対する誤解を解こうと、フェリクスは真摯しんしに言葉を紡ぐ。


「その努力が認められ、いまやセレシェーヌ殿下だけでなく、女王陛下もリルジェシカ嬢の靴をお気に召されています。しかし、女王陛下の愛顧に目をつけ、甘い汁を吸おうと彼女に取り入ろうとするやからが出てきており……。そんな輩に彼女を渡すことなど、決してできません!」


 リルジェシカがドルリーのほうが魅力的だと、彼を選ぶのなら、苦しくともまだ諦めがつく。


 だが、自分の想いを伝えることもできないままに彼女を諦めるなんて、考えられない。


「たとえ、父上や母上に反対されても、彼女を諦める気はありませんっ! ですからどうか……。リルジェシカ嬢に求婚することをお許しください!」


 きっぱりと宣言し、身体を二つに折るようにして深く頭を下げる。


 フェリクスの宣言がよほど衝撃的だったのか、父も母も何も言わない。


 感嘆とも呆れともつかぬ吐息をこぼしたのはユウェリスだった。


「お前がそこまで言うとはね。いままで話をしたことはないが、そんなにお前を魅了するとは、わたしも一度リルジェシカ嬢に会ってみたくなったよ」


「あ、兄上っ!?」


 興味津々な兄の言葉に目を見開く。


「そ、それは……っ」


 武官であるフェリクスと違い、線は細いものの整った顔立ちで、文官としても将来を嘱望しょくぼうされている兄は、伯爵家の後継ぎということもあり、あちこちの貴族から婚約の話が引きも切らない。


 そんな兄がリルジェシカに興味を持って、万が一、彼女に求婚することになったら、フェリクスでは勝てる気がしない。


 弟の表情を読んだユウェリスが楽しげに喉を鳴らす。


「おや、ご婦人やご令嬢達にいつも熱い視線を送られているお前が、ずいぶん弱気だね? リルジェシカ嬢とはまだ両想いではないのかい?」


 兄の問いかけに、うっ、と言葉に詰まる。


「いえ、その……。婚約を破棄されたばかりのリルジェシカ嬢につけ込むような真似はしたくなかったのです。まして、いまは品評会間際の大切な時期。わたしのせいで彼女の心を惑わせるような真似は……」


 心の中に渦巻く想いを閉じ込めるように、ぎゅっと拳を握りしめる。


 叶うなら、いますぐにでも秘め続けていた恋心をリルジェシカに打ち明けたい。


 だが、それはフェリクスのわがままだ。


 リルジェシカの心を確かめて自分が安心を得たいというだけで、彼女に負担をかけるわけにはいかない。


「父上、母上、どうなさいますか? 頑固者のフェリクスのこと。リルジェシカ嬢とのことを認めてやらねば、一生、独身を貫きかねない勢いですが」


 フェリクスの様子に、ふむと頷いたユウェリスが父親と母親を振り返る。


「そうねぇ。いまここですぐに結論は出せないけれど、わたくしは一度、リルジェシカ嬢に会ってみたいわ。去年の猟遊会で靴が脱げてしまったセレシェーヌ殿下に駆け寄った勇気あるお嬢さんでしょう?」


 最初に口を開いたのは母親だ。


「わたくしの息子が選んだご令嬢だもの。きっと素敵で可愛らしいお嬢さんに違いないわ!」


 両手を合わせ、弾んだ声を上げた母と対照的に、「ううむ」と悩ましい声を洩らしたのは父親だ。


「お前をぜひ婿養子にと望まれておられるトリスティン侯爵は、今回の使節団の団長も務められている有力な貴族。ご令嬢も華やかで優れた美貌と評判だが……」


「父上。わたしは婚家の権勢も美貌の令嬢も求めておりません。わたしが欲しいのは、リルジェシカ嬢ただひとりです!」


 自分と同じ父親の碧い瞳を見つめてきっぱりと告げると、父親が身体中から絞り出すように深いため息をついた。


「トリスティン侯爵からは、可愛がっている一人娘がお前に夢中だから、なんとか説得してほしいと旅の間、何度も頼まれたのだが……。王配になることを選んだ兄上といい、お前といい……。想い定めた相手となんとしても添い遂げようとするのは、オーランド伯爵家の男の特徴やも知れんな」


「では……っ!?」


 声が喜びに弾む。と、父親があわてたように言を継いだ。


「待て! まだ許したとは言っておらん! 判断を下すのは、わたしもリルジェシカ嬢を実際に見てからだ! 何よりも、先にトリスティン侯爵に正式にお断りを入れねば、角が立つ」


「わかりました」


 父親の言葉に素直に頷く。フェリクスのせいで家族に迷惑をかけるわけにはいかない。


「品評会まではリルジェシカ嬢に告げる気はないのだろう? しばらく待ってくれ」


 ひとまずトリスティン侯爵令嬢との婚約は回避できそうでほっとする。と、ユウェリスに軽く肩を叩かれた。


「よかったな、フェリクス。父上は待てとおっしゃっているが、これはもう、半分以上決まったようなものだろう」


 なんだかんだ言って父と母が子ども達に甘いのは、フェリクスもユウェリスも、幼い頃から知っている。


 リルジェシカ嬢と会って彼女の人となりを知れば、きっと父も母もほどなく結婚を許してくれるに違いない。


「父上、母上、ありがとうございます」


 あらためて両親に頭を下げると、渋い顔をしていた父も諦めたように吐息した。


「……まあ、お前が一生結婚しないと言い出すよりましと思うか……」


「リルジェシカ嬢のお気持ち次第だけれど、まさか、ユウェリスよりもフェリクスのほうが先にお相手が決まりそうなんて。リルジェシカ嬢に会う日が楽しみね」


「はい!」 


 両親の許しさえもらえれば、後は肝心のリルジェシカ本人の気持ちを確かめるだけだ。


 いますぐ工房に駆けていきたい衝動をぐっと我慢する。もう間もなく日暮れだ。婚約のことを抜きにしても、こんな時間から訪問するわけにはいかない。


 ここ数日、猟遊会の準備などであわただしくしているせいで、訪ねたいのに工房へ行けていない。


 靴作りに夢中になってリルジェシカが無理をしていないかと、心配は尽きないが……。いまリルジェシカに逢えば、想いがあふれて歯止めがかなくなりそうだ。


 品評会が終わり、勝敗がはっきりすればフェリクスも心おきなくリルジェシカに想いを告げられる。


 早く品評会の日が来るようにと、フェリクスは心から祈った。


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