42 近衛騎士、打ち明ける


 リルジェシカとミトルスの服飾店に行ってから四日後。


 近衛の務めを終え、夕方、王城から帰宅したフェリクスは、玄関先に家紋入りの父の馬車が停まっているのに気づき、足早に扉を押し開けた。


 二か月ほど前から、何人かの貴族達とともに使節として隣国へ赴いていた父が、ようやく帰国したらしい。


 フェリクスの父であるオーランド伯爵は、主に他国との折衝せっしょうを担当している。自国内であまり目立ちすぎるのは、他の貴族達のやっかみを買ってしまうが、『王配の義弟』という立場は他国では一定の重きを置かれるためだ。


「おお、フェリクス。久しいな」


 玄関ホールで母や兄・ユウェリスの出迎えを受けていた父が、フェリクスの姿を見て目を細める。


「父上、無事のご帰国をお喜び申し上げます」


「どうした? やけに堅苦しいな」


 ぴしりとかかとをつけ、一礼したフェリクスに、父が笑う。


 が、フェリクスは真面目な顔を崩さない。ここ数日、父の帰りを今か今かと待っていたのだ。


「戻られたばかりで申し訳ありません。実は父上と兄上に大切なお話が……」


「おお、そうだ。わたしからもお前達に大切な話があるのだ」


 父が笑顔で口を開く。謹厳実直きんげんじっちょくな父には珍しい満面の笑みに、フェリクスは兄のユウェリスと何事だろうかと視線を交わし合う。


「大切なお話とは、何でございましょうか?」


 フェリクスに代わって、兄が恭しく尋ねる。


「それがだな。お前達にそれぞれに、侯爵家より縁談の話があったのだ。フェリクスのほうは婿入むこいりとなるが――」


「お待ちください! 父上!」


 血相を変えて父の言葉を遮る。


 ふだん声を荒げることのないフェリクスの叫びに、父だけでなく母や兄まで目を見開いてフェリクスを見つめる。


「申し訳ありませんが、そのお話はお受けできませんっ! わたしにはすでに心に決めた令嬢がいます!」


 父を真っ向から見返し、きっぱりと告げる。


 フェリクスが父の帰国を首を長くして待っていたのは、リルジェシカに婚約を申し込む許しを得るためだ。


 リルジェシカがディプトン子爵から婚約を破棄された時は、セレシェーヌにも告げた通り、もっと時間をおくつもりでいた。婚約破棄の直後に新たな申し出があっては、リルジェシカによからぬ噂が立ってしまうかもしれないと。


 だが、まったく予想もしていなかったドルリーが現れ、リルジェシカに求婚した現状では、様子見をしている猶予ゆうよは一刻もない。


 ぐずぐずしている間にふたたび他の男にリルジェシカを横からかっさらわれるなど……。


 万が一そんなことになれば、今度こそ、悔しさで気が変になってしまう。


 ミトルスが出してきたリボンを真剣な表情で見つめていた愛らしい横顔が脳裏に甦る。


 集中していたリルジェシカはきっと、横でフェリクスが見つめていたことなど、気づいてもいないだろう。


 靴作りに熱中しているリルジェシカを見ていると、フェリクスまで背筋が伸びる気がする。何か少しでもリルジェシカの力になりたい気持ちが胸の中にあふれてきて……。


 リルジェシカをミトルスの店に連れて行ったそもそもの理由は、リルジェシカのリボンを探しを手伝うと同時に、何か身に着けるものをフェリクスからリルジェシカに贈りたかったからだ。


 それが、ミトルスから投資を受ける事態を招くなんて、予想もしていなかった。リルジェシカを喜ばせられた自分を、自分で褒めてやりたい気持ちだ。


 リボンの色をフェリクスの瞳の色と同じ色にしたのは、独占欲ゆえだという自覚はある。


 逢えない間にリルジェシカがリボンを見て、ほんのわずかでもフェリクスを思い出してもらえはしないかと……。


 我ながら女々しいと思いつつも、誘惑に逆らえなかった。


 まだリルジェシカの気持ちを確かめたわけではない。おそらく、嫌われてはいないと思うが、婚約を受けてくれるかどうかとなれば、また変わってくるだろう。


 フェリクスの一方的な片想いの可能性も否定できない。それでも。


「わたしが結婚したいと願う令嬢は、たったひとりしかおりません! 父上、申し訳ありませんが、そのお話はお断りください」


 決して譲る気はない固い意志をこめて告げると、目をみはってフェリクスを見つめていた父親が息を吞んだ。


「いままで令嬢の名前ひとつ口に出したことのないお前が、そこまで……! いったいどこの令嬢だっ!?」


「それは……」


 掴みかからんばかりの勢いで尋ねる父親に、フェリクスが答えるより早く、隣でやりとりを見守っていた兄がからかうような声を上げる。


「……マレット男爵家のリルジェシカ嬢だろう?」


「兄上っ!? どうしてご存知なんですか!?」


 両親だけでなく、兄のユウェリスにもリルジェシカの名前を告げたことはない。フェリクスの恋心を知っているのは、そばで見ていたセレシェーヌだけだと思っていたというのに。


 驚いて問うと、ユウェリスがふだんの真面目な様子とはうってかわって、悪戯いたずらぽく笑って肩をすくめた。


「お前は自分が目立つことをもう少し自覚しておいたほうがいいよ、フェリクス。四日前、リルジェシカ嬢と馬に二人乗りをしてミトルスの店に行っただろう? しかも、店の前で何やら騒ぎがあったとか……。貴族達の間でちょっとした噂になっているよ。わたしの耳にも入るほどにね」


「っ!? そのっ、騒ぎについてはリルジェシカ嬢にはまったく非がないことで、ミトルスの店へもわたしが強引に連れて行ったようなもので……っ!」


 まさか、ユウェリスの耳にまで入っていたとは。


 リルジェシカに悪い印象を持たれてはいけないと、あせって早口で答えると、ユウェリスに吹き出された。


「お前がそんなに焦っているところを見られるなんてね。よほどリルジェシカ嬢にれ込んでいるらしい」


 ユウェリスのからかいに、顔中に熱がのぼる。


「そうです! もう彼女以外の令嬢は考えられないほど惚れ込んでいるんです!」


 半ばやけになって叫ぶと両親の目がさらに丸く見開かれた。


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