41 靴職人令嬢、プレゼントを贈られる


「リルジェシカ嬢、ちょっと待ってくれないか」


 送ってもらった工房の前で、深々と頭を下げて礼を言い、背を向けようとしたリルジェシカは、フェリクスに呼び止められた。


「その……。きみに渡したいものがあるんだ」


 緊張した面持ちで告げられた言葉に首をかしげる。


 ミトルスの店で譲ってもらったリボンの包みも、帰り道でフェリクスに買ってもらったパンの包みも、どちらもちゃんと自分の腕に抱えている。


「たいしたものでなくて、申し訳ないんだが……」


 呟きとともに、フェリクスが取り出したのは、目がめるようなあざやかさの碧いリボンだった。


「品評会で女王陛下や貴族達の前に出るのなら、身を飾るものがひとつくらいあったほうがよいだろう? その、きみの好みの色かどうかわからないが……。好みを教えてもらえれば次はその色を……っ!」


 たっぷりひと呼吸する間を置いてから、ようやく言われた内容を理解する。


「えぇっ!? わ、私に、ですか……?」


 信じられなくて、呆然と呟く。


 婚約者だったダブラスにさえ、身を飾るものを贈ってもらったことなんてない。


 美しいリボンを前に固まっていると、フェリクスが目に見えてうろたえ始めた。


「い、いやその……っ。知人でしかない男にリボンを贈られても迷惑だよな……。すまない……」


「いえっ!」


 フェリクスの哀しげな面輪を放っておけなくて、引っ込めかけられた手をとっさに掴む。


「迷惑なんてとんでもありませんっ! 嬉しいですっ! ただ……」


「ただ?」


 視線を落としたリルジェシカを、フェリクスが覗き込む。


「私なんかが、こんな綺麗なリボンをいただいてしまってよいのでしょうか……?」


 ミトルスの店で買ったのだとしたら、どう考えても高価な品だ。こんな綺麗なリボンを贈ってもらっていいとは思えない。


 なんと言えばフェリクスを傷つけずに辞退できるだろうかと考えていると。


「もちろんだとも!」


 大きな声に驚いて顔を上げる。


「年頃の娘が身を飾って悪いことなど、ひとつもないだろう? もちろん、いまのままのきみでも十分に愛らしいが……。わたしが贈りたくて贈るんだ。きみさえよければ、受け取ってほしい」


「あ、ありがとう、ございます……」


 断らなければと思うのに、フェリクスの熱意に引き込まれるように礼を言ってしまう。

 お世辞とわかっていても、頬が燃えるように熱い。


「本当にありがとうございます……っ! 嬉しいです……っ! 今日の空と同じ色ですね」


 あざやかな碧色はよく晴れた今日の空と同じ色だ。

 きっと、今日の嬉しさは一生心に残るに違いない。


「……結ばせてもらってもいいかい?」


「は、はいっ」


 遠慮がちな申し出にこくりと頷き、背を向ける。


「失礼するよ」


 長い指先がおずおずと髪にふれる。


 今日もいつもと同じように簡単にひとつに束ねて背に流しているだけだが、編んだり結い上げたり、もっと凝った髪型にしておけばよかったと、生まれて初めて後悔する。


「結べたよ」


 フェリクスの声に振り返った拍子に、結ばれたリボンが視界の端でひらりと揺れる。


 まるで、ふわふわと舞い上がるリルジェシカの心を映すように、碧いリボンがさわやかな秋の風に軽やかに踊った。


「よく似合っているよ」


 甘やかな笑顔とともに告げられた言葉に、ぱくんと心臓が跳ねる。


 何か気の利いた言葉を返さねばと思うのに、思考が沸騰して言葉が出てこない。


「ほ、本当にありがとうございます……っ」


 ようやく言葉を絞り出し、長身のフェリクスを見上げると、碧い瞳とぱちりと視線が合った。


 その拍子に、フェリクスの瞳がリボンと同じ色だと初めて気づく。


 頭上に広がる空と同じ、穏やかに澄んだ天上の碧。


 優しく照らす陽射しを浴びたかのように、リルジェシカの心までぽかぽかとあたたかくなってゆく。


「いいかい? せめて食事の間はゆっくりするんだよ。品評会にかけるきみの気持ちはわかるが決して無理はしないように」


「はいっ。今日は本当にありがとうございました」


 気遣いをにじませて告げられた注意に、リルジェシカは笑顔で頷く。もう一度大きく頭を下げると、視界の端でふわりと碧いリボンが揺れた。


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