40 靴職人令嬢、再会する


 リルジェシカは入った時と同じようにフェリクスにエスコートされ、ミトルスに見送られて店を出た。


 馬をつないでいる街路樹へと歩きながらフェリクスがリルジェシカを見下ろして微笑む。


「思った以上に時間がかかってしまったね。おなかがすいたんじゃないかい? 次はお昼に――」


「ほぉお~っ、近衛騎士をたらしこんでる職人は優雅なもんだなぁ。品評会が間近に迫っているっていうのに逢引あいびきたぁ、ずいぶん余裕じゃねぇか」


 フェリクスの言葉を遮るように響いたあざけりを隠そうともしない声に、リルジェシカは顔を強張らせて声の主を見た。


 だが、ザックの姿を見とめると同時に、フェリクスの広い背中がリルジェシカを庇うように前に立ちふさがる。


「ったく、女は得でうらやましいぜ。たいした腕がなくったって、可愛い顔で色仕掛けをすれば取り立てられるんだからよぉ」


 昼間から酒を飲んでいるのだろうか。赤ら顔のザックが吐き捨てるように言う。


「聞いた話じゃあ、うちの店主だって籠絡ろうらくしたって噂じゃねぇか。清純そうな顔をしてどんな媚態びたいを見せたのか、俺にも拝ませてほしいもんだぜ!」


「貴様っ! その薄汚い口を閉じろっ!」


 リルジェシカの前に立ちふさがったフェリクスの声が激昂げっこうにひび割れる。反射的に腰に伸ばされた手が、平服で剣をいていないことを思い出したのか、悔しげに握りしめられた。


「貴様こそ、品評会前だというのに何をしている!? 自分の腕前ではリルジェシカ嬢にかなわぬと、諦念に囚われて酒に逃げたか?」


 刃のように鋭い声でフェリクスが糾弾する。


 フェリクスの陰からちらりとザックの様子をうかがうが、フェリクスが指摘した通り、かなり酒を飲んでいるようだ。


 顔は朱に染まり、酒の臭いがリルジェシカのところまで漂ってきている。


「あんだと!? 俺がそんな小娘に負けるわけがねぇだろうが!」


 酒に加え、怒りで顔をどす赤く染めたザックががなり立てる。


 酒で気が大きくなっているのか、もともと好戦的な性格なのか、フェリクス相手に一歩も引く様子がない。


 憎しみと酒に濁った目でリルジェシカを睨みつけたザックが、ぺっ、と地面に唾を吐く。


「品評会で俺が勝てば、ドルリー商会に来るってぇ賭けをしたそうじゃねぇか」


 ザックの口元がいたぶるように嗜虐的しぎゃくてきに歪む。


「七日後の品評会がいまから楽しみだぜ。ドルリー商会で俺の弟子になったら、どうやって男どもをたらしこんだのか、俺がこの手で確かめてやるよ」


 瞬間。目の前のフェリクスの背中が強張った。ぎりっ、と耳に届いた異音は何だろうと考え……。


 歯を噛みしめた音だと遅れて気づく。


「品評会を待つまでもない! いまここでわたしが無礼極まるお前の首をし折ってくれる!」


「フェリクス様っ!?」


 思わずフェリクスの服を掴んだ瞬間。


「当店の前で、何の騒ぎでございましょう?」


 扉が開く音と同時に、ミトルスの一本芯の通った声が割って入る。


 振り返ったフェリクスを目線で制したミトルスが、ザックに顔を向けた。


「昼間から御酒をたしなまれる優雅なご身分とお見受けしますが、それだけに下手な騒ぎを起こしては、名前に傷がつきましょう。必要ならば、当店の者に送らせましょうか?」


 口調だけは丁寧にミトルスが申し出る。が、ザックを見据えるまなざしは氷のように冷ややかだ。


 通りを行き交う人々も何事かと足を止め、遠巻きにこちらを見ている。人混みの向こうに、こちらへやってくる警備兵の姿をザックも見とめたのだろう。


「はんっ! 品評会で叩きのめしてやる! 覚えとけよ!」


 憎しみに満ちた捨て台詞を吐くと警備兵から身を隠すように背を向け、よたつきながらも走り去る。


 ザックの背が人混みの中へ消えてから、リルジェシカはミトルスを振り向き、深々と頭を下げた。


「も、申し訳ありませんっ! 私のせいで騒ぎを起こしてしまいまして……っ!」


「違う! きみのせいじゃない!」


 フェリクス即座に否定の声を上げる。


「あいつの姿を見た時点で、問答無用で叩き伏せておけばよかったんだ。そうすれば、きみの耳をあのような下劣な言葉でけがすことも……っ!」


 自分の無力を嘆くかのように、フェリクスが拳を握りしめる。


「そんな風におっしゃらないでください。フェリクス様が私を庇って、怒ってくださっただけで……。嬉しかったです。助けてくださり、ありがとうございました」


 白く骨が浮き出るほど固く握りしめられた拳にそっとふれると、フェリクスがはじかれたようにリルジェシカを見た。


「ひとまず、工房へ戻りませんか? このままではまたミトルスさんにご迷惑をかけないとも限りませんし……」


 騒ぎを起こしたせいで、道行く人々がちらちらと視線をよこしてくるのがどうにもいたたまれない。


「それに、せっかく素晴らしいリボンを手に入れられたのですから、さっそくつけてみたいです! 私……。ザックさんに絶対に負けたくありません!」


 フェリクスを見上げ、きっぱりと告げると、ザックに怯えていないと知って安心したのか、フェリクスの面輪がほっとしたように緩んだ。


「わかった。それがきみの望みだというのなら、すぐに工房へ戻ろう。昼食は、途中で買って帰ればいい」


 頷いたフェリクスが、感心したようにふとこぼす。


「……きみは、可憐な見た目とは裏腹に、しんが強いんだな」


「ふぇっ!? そ、そんなことはないですよっ!? ただ、その……。靴作りのことだけは、馬鹿にされたくなくて……っ」


 フェリクスの呟きに、とんでもない! とかぶりを振ると、優しく髪を撫でられた。


「わたしも……。きみを守れる強さと立場を手に入れなくてはな」


「え……?」


 こぼされた呟きは低くてよく聞こえない。問い返す間もなく、リルジェシカにフェリクスに抱き上げられ、馬の背に乗せられた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る