39 靴職人令嬢、投資される


「え……?」


 意図が読めず、きょとんと首をかしげたリルジェシカに、ミトルスが笑みを深くする。


「こちらのリボンのお代はけっこうです。その代わり、必ず靴の装飾に使ってくださるとお約束いただけますか?」


「……ほぇ? えぇぇぇぇっ!?」


 内容を理解した瞬間、すっとんきょうな叫びが飛び出す。


「お、お代はけっ、けここここ……っ!?」


 出来そこないのにわとりみたいに言葉がうまく出てこない。


「リルジェシカ嬢、落ち着いて」


 笑んだ声のフェリクスに大きな手で優しく背中を撫でられ、リルジェシカはすーはーっと深呼吸する。


 ようやく落ち着いたところで、きっと視線を上げ、対面で黙ってこちらを見つめるミトルスを見返した。


「ありがたい申し出ですが、お受けできませんっ! だってこちらは金貨が必要になるほどのお品でございましょう!? そんなお品をただでなんて……っ! 本当にありがたいお申し出ですが、ご厚意をお返しできる気がいたしませんっ!」


 ぷるぷると震えながらかぶりを振ると、ミトルスが「おや」と意外そうな声を上げた。


「品評会でドルリー商会と争うと聞いておりましたので、もっと自信に満ちあふれた勝気な御方かと想像しておりましたが……。リルジェシカ様はずいぶんと謙虚でいらっしゃるのですね」


 謙虚ではなく、単にミトルスの厚意に恩返しができる自信がないだけなのだが。物は言いようだと感心する。


 借金を背負っているせいかもしれないが、単なる厚意だけで高価なものを得られるだなんて、リルジェシカにはどうしても素直に信じられない。ミトルスはいい人のように思えるが、ドルリーの例もある。うまい話には裏があると思っておいたほうがいい。


 警戒を露わにして、ミトルスの本心を読もうと見つめていると、上品な面輪に、生徒を導く教師のようなゆったりとした笑みが浮かんだ。


「先ほど、リルジェシカ様はわたくしの申し出を『厚意』とおっしゃいましたが、訂正いたしましょう。リルジェシカ様へ無料でリボンをお譲りするのは、商人としての投資なのですよ」


「投資……?」


 おうむ返しに呟くと、「さようでございます」とミトルスが大きく頷いた。


「先ほど申しあげましたでしょう? ドルリー商会は、靴とドレスをセットにして陛下にご提供することで好評を得ていると。ならば、リルジェシカ様の靴が品評会で勝利すれば、その靴に合う当店のドレスを女王陛下がどのように思われるか……。ご想像がつきましょう?」


「あ……っ」


 ようやく、ミトルスの言わんとしたことを理解する。だが、まだ納得はできない。


「私の靴を評価してくださって光栄です……っ! ですが、なぜそのように考えられたのですか? 私の靴を見られたこともないというのに……」


「おや。いまお履きになっている靴は、リルジェシカ様が作られた靴ではないのですか?」


 ミトルスの視線が下に落ちる。テーブルにはばまれて足元は見えないはずだが、リルジェシカは恐縮するように足を縮めた。


「い、いえっ。確かにこれは私が作った靴です! ですが、女王陛下のお靴とは比べ物にならない質素なもので……っ」


 リルジェシカが履いている靴は、自分で作った習作だ。ただ、鹿革ではなく安価な豚の革で作ったものだし、装飾だって何もない。


「ご来店された時より、リルジェシカ様がお履きになられている靴は気になっていたのですよ」


 出迎えられた際、ちらりと見られたことを思い出す。


「これでも服飾店の店主として、ドレスに限らず、さまざまな小物類も見てきております。ですが、リルジェシカ様がお履きになっている形の靴は、今まで見た記憶がございません。そのお靴……。もしや、左右で形が異なるのでございますか?」


「は、はいっ、そうなんです。よくおわかりですね……っ!」


 靴のことが話題になった途端、我知らず声が弾む。


「これは、左右それぞれの足ごとに形を測って靴型を作ったほうが、より足にぴったり合う靴が作れるんじゃないかと思いまして……っ」


「なるほど……! 服をお作りするためにお身体を測るのと同じですね。しかし、それを靴作りに応用した職人は、わたくしの知る限り、リルジェシカ様、あなたが初めてです」


 リルジェシカの言葉に、ミトルスが感心したように頷く。まるで自分が褒められたかのように自慢げな笑みを見せたのはフェリクスだ。


「リルジェシカ嬢の靴は女王陛下だけでなく、セレシェーヌ殿下も非常にお気に召されていてね。履き心地がとてもよいと。履き心地の良さに、こちらの華やかなリボンの装飾までつけば、品評会でリルジェシカ嬢の靴が勝利するのは間違いないと確信している」


「わたくしが期待しているのも、まさにそれでございます」


 フェリクスの言葉に大きく頷いて同意したミトルスが、リルジェシカに身体を向ける。


「というわけで、こちらからお願いしてでも、靴の装飾に、ぜひとも当店のリボンやレースをお使いいただきたいのです。これは厚意ではございません。れっきとした投資としてお考えいただきたい」


 こくりと唾を飲み込もうとして、リルジェシカは緊張に喉が干上がっていることに初めて気づく。


 こちらを見つめるミトルスの目は、真剣極まりない。


 自分がミトルスの期待に応えられるかどうか、自信はまったくない。けれど。


 ドルリー商会に負けたくない気持ちは、リルジェシカもまったく同じだ。


「ありがとうございます、ミトルスさん。ありがたく、こちらのリボンを使わせていただきます。そして……。必ずドルリー商会に負けない靴を作ってみせます!」


 ミトルスの目を真っ直ぐに見返し、きっぱりと宣言する。


「はい。リルジェシカ様の勝利の知らせを楽しみにしております」


 にっこりと笑顔で頷いたミトルスが、脇に控えていた店員にリルジェシカが要望しただけのリボンを切るよう、指示を出した。


「リルジェシカ嬢、すまない。少し待っていてくれないか?」


 断りを入れて立ち上がったフェリクスが、店員に歩み寄る。


「……いいご縁が結べそうで嬉しい限りです」


 無意識にフェリクスの姿勢のよい広い背中を目で追っていたリルジェシカは、ミトルスの声にはっと我に返ってテーブルに向き直る。


「は、はいっ! こちらに連れてきてくださったフェリクス様には、感謝しかありませんっ! セレシェーヌ殿下に命じられたためとはいえ、いろいろとご尽力くださって……っ! 本当に、なんと感謝を申し上げたらよいのか……っ!」


 こくこくこくっ! と何度も大きく頷くと、なぜかミトルスが不思議そうな表情を浮かべた。


「お待たせしたね、リルジェシカ嬢。はい、靴に使うリボンだよ」


「いえっ、とんでもありません! ありがとうございます!」


 フェリクスの声にぱっと立ち上がり、差し出された小さな包みを両手で大切に受け取る。


「フェリクス様。本日はリルジェシカ様を当店へお連れいただきまして、お礼の申しようもございません」


 リルジェシカと同時に立ち上がっていたミトルスが、深々とフェリクスに頭を下げる。


 ミトルスにならって、リルジェシカも身を二つに折りたたむようにして頭を下げた。


「フェリクス様! 私からもお礼を言わせてくださいっ! 本当にありがとうございますっ! フェリクス様にこちらへ連れてきていただけたおかげで、また新たな視点を得ることができましたっ! 本当に、なんとお礼を申し上げたらよいか……っ!」


 フェリクスに渡された包みを抱きしめる手に、無意識に力がこもる。


「ふ、二人とも……っ!? いや、そんな頭を下げられるようなことでは……っ」


 フェリクスのうろたえた声が降ってくる。


「リルジェシカ嬢、どうか顔を上げてほしい。わたしがきみを連れてきたくて、勝手にしたことなんだから」


 優しい声とともに大きな手が肩にかかり、そっと身体を起こされる。澄んだ碧い瞳が柔らかな光をたたえて、包み込むようにリルジェシカを見下ろしていた。


「わたしは靴作りに関しては門外漢だが……。少しでもきみの役に立てたのなら嬉しいよ」


「フェリクス様……っ」


 フェリクスの優しさに、胸の奥がじんと熱くなる。


「思えば、フェリクス様がセレシェーヌ殿下のお付き以外で、ご令嬢とともにご来店くださったのは初めてでございますね」


 二人を眺めていたミトルスが、ふと悪戯っぽい表情で告げると、フェリクスがあわてた声を上げた。


「ミ、ミトルス……っ!」


 いつも穏やかなフェリクスには珍しいうろたえた様子に、リルジェシカの心にも不安がよぎる。


「……王家御用達店に私のような貧乏人が出入りするなんて……。セレシェーヌ殿下はご不快に思われないでしょうか……? フェリクス様が叱責を受けられたりしたら、申し訳なさすぎます……っ」


「いやっ、大丈夫だ! セレシェーヌ殿下はそのようなことで気分を害される方ではない!」


 かぶりを振ったフェリクスに、ミトルスも同意する。


「フェリクス様のおっしゃる通りですよ。リルジェシカ様、フェリクス様とお二人でのまたのご来店を、心よりお待ちしております」


「ありがとうございます! 装飾にリボンが必要な時には、またおうかがいいたします! 次はちゃんとお代をお支払いいたしますから!」


 笑顔で告げると、なぜかミトルスが一瞬、言葉に詰まった。と、幼子を見守るような柔らかな笑みが口元に浮かぶ。


「ええ、お待ちしております。リルジェシカ様とフェリクス様の勝利を、心より祈願しております」


 どうしてフェリクスの勝利もなのだろうかと不思議に思いつつ、リルジェシカはミトルスの心からの祈念に、笑顔で大きく頷いた。


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