38 靴職人令嬢、リボンに見惚れる


「このたび、わたくしどもは女王陛下が猟遊会でお召しになる乗馬用ドレスを承っております。他にも舞踏会用のドレスも納品することになっておりますが……。そちらについては、ドルリー商会も注文を承っているとのことで、どちらのドレスをお召しになられるかは、女王陛下のお心次第でございます」


「ドルリー商会は、こちらにドレスの情報を得るためにやって来たりするのかい?」


 緊張でまだうまく口が動かないリルジェシカに代わって、フェリクスが尋ねる。ミトルスがゆるりとかぶりを振った。


「いいえ。ドレスの製作には時間がかかるゆえ、ご用達になっている店は当店の他にも何店かございます。それらは好敵手のような関係でございまして……。色や形が重ならないよう調整する程度で、くわしい情報のやりとりはいたしません」


「なるほど……。ドルリー商会としては、靴に合うドレスを提供することで、さらに女王陛下のご歓心を買うつもりか」


 フェリクスの呟きにミトルスが大きく頷く。


「ええ。ですので、今回の品評会にはわたくしも大いに期待を寄せているのですよ」


「え……?」


 にこりと微笑んだミトルスがリルジェシカに視線を合わせる。


「いままで靴に関しては、ドルリー商会が一手に引き受けておりました。フェリクス様がおっしゃられた通り、そのせいでドルリー商会の後塵こうじんを拝することになった事態も何度かございまして……。リルジェシカ様が勝利し、当店のドレスに合った靴を納められることとなれば、当店にとっても大きな利益となります。ぜひご協力させていただきたいと、こちらからお願いしたいほどでございます」


 両親ほどの年齢のミトルスに深々と頭を下げられ、大いにあわてる。


「ミ、ミトルスさんっ!? どうぞお顔を上げてくださいっ! お願いしたいのは私のほうなのですからっ!」


 あわあわと両手を振り回すと、隣に座るフェリクスがふはっと吹き出す声が聞こえた。が、それどころではない。


 ゆっくりと身を起こしたミトルスが、


「それで、お尋ねの件でございますが……」


 と口を開くと同時に、店員の一人が盆を持って歩み寄ってきた。


 テーブルに置かれた盆の上には、何本もの絹のリボンやレースのリボンが載っている。


「こちらが、乗馬用のドレスと同じ布地のリボンでございます。こちらのレースは装飾に使ったものでございまして……」


「わぁ……っ」


 レースの見事さに思わず感嘆の声が洩れる。


 リルジェシカも貴族の子女として、ひと通りの刺繡やレース編みをたしなんだ経験があるからわかる。まるで蜘蛛くもの糸を編んだような繊細なレースは一流の職人の手による一級品だ。


「女王陛下は葡萄酒色を好んで身に着けられます。他には、緑や濃い青など……。淡い色はあまり好まれません」


 ミトルスが言う通り、盆の上のリボンは濃い色のものが多い。色が濃いということは、それだけ染料が多く必要であり、高価ということでもある。


 さすが女王陛下の身を飾る品々だ。


「……どうだい、リルジェシカ嬢。望むリボンはありそうかい?」


 無言でリボンを見つめ続けていると、フェリクスに遠慮がちに尋ねられた。


「ふぁっ!? す、すみませんっ! つい考えに夢中になってしまいまして……っ」


 自分が作った靴に、どのリボンをどんな風につければ、さらによくなるだろう。あれこれと想像するだけで、わくわくと心が躍りだしてきて、フェリクスやミトルスの存在も忘れて、想像に夢中になってしまっていた。


「す、すみません……っ」


 申し訳なさに身を縮めると、「お気になさらないでください」とミトルスが上品な笑みを浮かべた。


「さすが、女王陛下お気に入りの靴職人になられただけのことはある。うちの職人も、ドレスを仕立てる時には、布地を前に同じ状態になっておりますよ」


「き、恐縮です……っ」


 リルジェシカが気に病まないようにという気遣いだろうが、一流の職人と比してもらえるなんて、畏れ入ってしまう。


「それで、いかがでございましょう? 靴作りに使えそうな品はございましたか? ご希望をお伝えいただきましたら、できうる限り、お望みにかなう品を探してまいります」


「い、いえっ! こちらに持ってきてくださったお品で十分です!」


 すぐにでも店員に指示を出しそうなミトルスに、あわてて首を横に振る。


「ええと、乗馬用の靴の装飾として、こちらのドレスと同じ生地のリボンを、それと舞踏会用の靴にこのレースのリボンをいただきたいのですけれど、ただ、その……」


 必要な長さを伝えたところで言い淀む。と、フェリクスがすかさず口を開いた。


「お代についてはわたしが全額を払おう」


「フェリクス様!? 駄目ですっ、そんなこと……っ!」


 泡を食って隣に座るフェリクスを振り返る。


「フェリクス様にお支払いいただくいわれは……っ」


「これは投資なんだよ」


 ぶんぶんと首を振るリルジェシカに、フェリクスが穏やかに微笑む。


「きみが見事ドルリー商会に勝利してくれれば、セレシェーヌ殿下も大いに喜ぶ。近衛として、主の喜びのために対価を支払うのは、ごく自然なことだろう?」


「で、ですが……っ」


 だからといって、こんな高価そうなものをフェリクスに支払ってもらうわけにはいかない。


 財布を取り出そうとすると、それより早く「なるほど」とミトルスがやけにしみじみと頷いた。


「そういうことでしたら、せっかくご来店いただいた機会を活かして、わたくしもリルジェシカ様に投資させていただきましょう」


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