37 靴職人令嬢、お店に入る
「あの、フェリクス様……?」
「ここだよ」
王都を横断するようにフェリクスに連れてこられた店の前で、馬から下りたリルジェシカは凍りついたように固まった。
道行く女性達が凛々しいフェリクスの姿に感嘆の吐息をこぼし、次いでなぜあんな娘が連れなのかと言わんばかりにリルジェシカを睨んでくるが、それどころではない。
工房の近所にある小間物屋ではないだろうとは、最初から予想していた。
だが、高価な
「セレシェーヌ殿下の護衛で何度か来たことがあるんだ。母上のお付きでもね。ここなら、女王陛下のお好みなども知っているだろう」
「お、おおおおお王家御用達のお店なんですかっ!?」
調子外れの声が飛び出す。
高級店だとは思ったが、まさか最高級のお店だったとは。
もちろん、貧乏男爵の娘であるリルジェシカは、こんな最高級店になんて来たことがない。
「こちらは私なんかが入ってよいお店ではありませんよね!?」
緊張のあまり、根が生えたように足が動かない。こんな貧乏くさい格好で入ったりしたら、追い出されるのではなかろうか。
怯えていると、「大丈夫だよ」と、馬をつないだフェリクスに優しく微笑まれた。
「わたしがついている。きみに気まずい思いなどさせたりはしない。さあ、お手をどうぞ」
まるで貴婦人にするかのように、洗練された恭しい仕草で手を差し出される。
「えっ!? あの……っ?」
こんな風にエスコートされた経験なんて、婚約者だったダブラス相手でもない。
戸惑いながらも、大きな手のひらにそっと手を重ねると、きゅっと力づけるように指先を握られた。
驚いて見上げた途端、優しい光を宿した碧い瞳と視線が合い、ぱくりと心臓が跳ねる。
ガラス張りの扉の向こうからリルジェシカ達の姿が見えていたのだろう。歩み寄ると、フェリクスが扉に手をかける前にさっと内側から扉が開けられる。
「いらっしゃいませ、フェリクス様」
恭しく一礼して出迎えてくれたのは、店主と
「本日はどのようなご用向きでございましょう?」
ちらりと
内心では『こんなみすぼらしい娘が何の用だ?』と思っているのかもしれないが、おくびにも出さない。
おどおどと挙動不審なリルジェシカとは対照的に、フェリクスは悠然としたものだ。
「今日はセレシェーヌ殿下のご用で来たのではないんだ。このたび、こちらのリルジェシカ嬢が、女王陛下のお靴を作ることになってね。装飾に使うリボンを探しているんだ。こちらの店なら、きっと女王陛下がお気に召される品があると思ってね」
「なんと、こちらのお嬢様が時の人であるリルジェシカ様でございますか! 品評会のお話はわたくしの耳にも入っております」
演技でなく驚いた様子で目を
「女性の靴職人が携わっていると伺いましたが、まさか、このようにお可愛らしいお嬢様でしたとは。申し遅れました。わたくしはミトルスと申します。どうぞお見知りおきを」
「リ、リルジェシカ・マレットと申します! 本日は突然うかがいまして申し訳ございませんっ! しかも、求める品がリボンだなんて……っ!」
身を折りたたむように丁寧にミトルスに頭を下げられ、リルジェシカもあわててスカートをつまんで膝を折る。
店のあちらこちらに、芯に巻かれた絹地や、仕立てた絹の服などが飾られている。服飾店だというのに、買いに来たのはほんの少しのリボンだなんて、情けなさすぎる。
いや、たとえリボンであっても、リルジェシカの手持ちで買える値段のものがあるかどうか、甚だ疑わしいが。
「とんでもないことでございます」
身を縮めて詫びるリルジェシカに、ミトルスがゆったりとかぶりを振る。
「わたくしどもの店にご来店いただき、ようございました。王家御用達店として、女王陛下のドレスは何着も仕立てさせていただいております。陛下のお好みは重々承知しておりますゆえ、きっとお望みの品をご用意できるかと」
ミトルスの言葉に、ようやくフェリクスがわざわざこの店に連れてきてくれた理由に気づく。
女王の身を飾るのは靴だけではない。むしろ、靴は小物のひとつだ。ドレスに合わせられるのなら、そちらのほうが良いに決まっている。
「フェリクス様! ありがとうございます!」
フェリクスに深々と頭を下げて礼を言う。靴作りだけに夢中になっているリルジェシカでは気づかなかった視点だ。もし奇跡的に思いついたとしても、こんな高級店にリルジェシカひとりでは決して来られなかっただろう。
「どうぞ奥へお入りくださいませ。ゆっくりお話をお聞かせください」
ミトルスに案内され、店の奥へと進む。奥には接客用の応接セットが置かれていた。三人が腰を落ち着けたところでミトルスが手慣れた様子で話を切り出す。
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