35 靴職人令嬢、心配される


「いまは、品評会のために全力を尽くすべきだと思うんだ。だから……。わたしの靴は、品評会の後に回してもらえないだろうか?」


「え……? あのっ、このまま依頼を続けさせてくださるんですか……?」


「もちろんだとも!」


 呆然と呟くと、即座に大きな頷きが返ってきた。


「きみへの依頼を取り消すなんて、とんでもない! そんなことは決してしないよ。品評会の後でかまわないから……。作ってもらえると、嬉しい」


「はいっ! もちろん作りますっ!」


 身を乗り出してこくこく頷くと、フェリクスが破顔した。


「楽しみにしているよ。女王陛下の靴職人に靴を作ってもらうなんて機会は、そうそうないだろうからね」


 悪戯いたずらっぽい笑みに、リルジェシカの口元も自然にほころぶ。フェリクスがリルジェシカの勝利を信じてくれていることが心強く、胸の中にあたたかな光がともる気がする。


「フェリクス様のご依頼でしたら、いつでもなんでも承ります!」


「だが、無理をしてはだめだよ」


 笑顔で応じると、すかさず釘を刺された。


「靴作りに対するきみの情熱と集中力はすごいと思うが……。食事も忘れるほど打ち込んでいるなんて、倒れたりしないか心配だ」


「き、気をつけます……」


 残り少なくなったシチューを匙でかき混ぜながらもごもごと呟く。


 自分でも意識していないうちにそうなってしまうのだ。正直、どうやったら気をつけられるのか、自分でもよくわからない。


 自信なさげなリルジェシカの表情を読み取ったのだろう。フェリクスが吐息する。


「マレット男爵からは注意されないのかい?」


「お父様は昨日、あのあと領地へ向かわれたので……」


「そうか。収穫の時期だものな」

 リルジェシカの言葉に、フェリクスが納得したように頷く。


 貴族達はみな、王都の屋敷の他に、収入の基盤となる領地を持っている。マレット家にも、小さいとはいえ先祖代々受け継いできた領地があり、ふだんは管理人が采配を振るっているものの、一年間の収入の大半が決まるに等しい収穫の時期だけは、父が馬車で赴き、万事を取り仕切っている。


 裕福な家ならば、有能な管理人を何人も雇い、当主が現地へ行かずとも、すべてが滞りなく進むらしいが、貧乏なマレット家ではそんなことは不可能に等しい。


「立ち入ったことを聞いて申し訳ないが、その、男爵夫人は……?」


 フェリクスが言わんとしたことを察し、リルジェシカは笑顔を浮かべてかぶりを振る。


「長い距離の移動は、お母様の足に負担になるので……。大丈夫ですよ! この時期だけ、いつも近所の奥さんに通いで家政婦に来ていただいているんです! それに私も、なるべく家に戻るようにしているので!」


 本当は、父が不在のこの時期は、娘のリルジェシカが母についているべきだろう。革を切るなど、道具のある工房でしかできない作業は仕方がないが、革への装飾など、家でできる作業はできるだけ持ち帰って家でするつもりだ。


「それなら男爵夫人は安心だな。だが……」


 食事を終えたフェリクスが、ずいと身を乗り出す。


「やっぱり、君が心配だ。食事も忘れて靴作りに夢中になっているんじゃないかと……。だから」


 生真面目な表情のフェリクスが、真っ直ぐにリルジェシカを見据える。


「また、今日みたいに一緒に昼食を取ってくれるかい?」


「え……?」

 思いがけない申し出に、呆けた声が出る。


「その、もちろんきみが嫌じゃなければだが……っ」


「い、嫌じゃないです……っ!」

 勝手に言葉が口を突いて出る。


「ひとりじゃなくて、誰かと食べるごはんはおいしいですし、それにこんなふわっとしたパンや、お肉がたっぷりのご飯なんてほんと久しぶりで……っ! あっ、いえっ! ち、違うんですっ! フェリクス様に無心する気なんて全然なくてっ、えっと、その……っ!」


 言えば言うほど墓穴を掘っていっている気がする。


 あうあうと言葉を探しあぐね、ぶんぶんと両手を振っていると、フェリクスにぶはっと吹き出された。


「ぁうぅぅ……っ」


 いたたまれなくて、このまま小さくなって消え入りたい。


 身体を縮めてうつむいていると、ややあって、笑いをおさめたフェリクスに穏やかに声をかけられた。


「……大丈夫だよ。わたしがきみにおごりたくてするんだから、遠慮なく受け取ってもらえたほうが、わたしも嬉しい」


 心をほぐすような声音におずおずと顔を上げると、にこりと包み込むような微笑みにぶつかった。


「きみが言う通り、一緒に食べたほうがおいしいというのは、まぎれもなく真実だからね」


「はいっ!」


 同意してもらえたのが嬉しくて、笑顔で頷く。マレット家の食卓は今日の昼ご飯が比較にもならないくらい常に質素だが、家族三人で和気あいあいと食べるご飯はいつだっておいしい。


「では、また都合がつく日に来るようにするよ。もちろん、きみの邪魔にならない程度で」


 席を立ったフェリクスが空になった食器を片付け始める。リルジェシカもあわてて自分の食器を手に立ち上がった。


「片付けくらい、私がします!」


「気にしなくていいよ。いまは少しの時間も惜しいだろう?」


 微笑んでリルジェシカの手から食器を取ったフェリクスがひょいひょいと盆の上に重ねていく。


「頑張るのはいいが、本当に、無理はしないようにするんだよ」


「は、はい……っ! ありがとうございます……っ!」


 片手に盆を持ったフェリクスに去り際に優しく頭を撫でられ、リルジェシカは深々と頭を下げて礼を告げた。


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