34 靴職人令嬢、夢を打ち明ける


「っ!」


「リルジェシカ嬢!?」


 どんどんっ、と拳で胸を叩いていると、さっと立ち上がったフェリクスが作業机を回って駆けてくる。大きな手に背中をさすられ、ようやくリルジェシカはパンを飲み下した。


「大丈夫かい?」


「は、はい……」


 心配そうに顔を覗き込むフェリクスにこくこくと頷く。


 ありえない聞き間違いをした挙句、喉を詰まらせてしまうなんて、情けなさすぎる。


「夢中になって食べるほど、頑張っていたみたいだね。どうだい? 作業は進んだのかい?」


 向かいに座り直したフェリクスが、作業机の片隅に寄せた木型を見て、気づかわしげに問いかける。


「はいっ! おかげさまで木型はほぼできあがりました!」


 リルジェシカもフェリクスの視線を追って、先ほどできあがったばかりの木型を見やる。大急ぎで作業したが、手はまったく抜いていない。自分でも、前のよりよい木型ができたのではないかと自負している。


「それはよかった。この後は、どんな作業になるんだい?」


 フェリクスが興味津々といった様子で尋ねてくる。


「えっと、次は作りたい靴の形に合わせて、鹿革を切っていきます。切った革に装飾を施したら、木型に革を添わせて縫い合わせていって、靴底を作って……。乗馬靴のほうにはヒールをつければ完成です!」


 緊張していたはずなのに、靴作りのことになった途端、すらすら言葉が出てくるから不思議だ。


 だが、リルジェシカの言葉に、フェリクスが凛々しい面輪を気難しげにしかめる。


「耳で聞くと簡単だが、実際にはかなりの時間がかかるんだろう?」


「い、いえ、大丈夫ですよ! ちゃんと品評会までには仕上げますから……っ!」


 靴を縫い合わせるだけなら、そこまでの時間はかからない。問題は、装飾にどれほどの時間がかかるかだ。


 女王陛下が履く靴となれば、しかも品評会に出すというのなら決して手は抜けない。


 だが、フェリクスに心配をかけたくなくて、ふるふるとかぶりを振る。


「きみが無理をしないか心配だ……」


 しかし、フェリクスの不安を払拭するには至らなかったらしい。はぁっと深い吐息をこぼされる。


「す、すみません……。でも、せっかくの機会を逃したくなかったので……っ」


「すまない……っ! わたしにきみの借金を返せるだけの力があれば……っ!」


 フェリクスが心の底から悔しげに固く拳を握りしめる。


「えぇぇっ!? いえっ、そんな……っ! フェリクス様に借金を肩代わりしていただこうだなんて、まったく全然考えておりませんからっ!」


 赤の他人のフェリクスにそんな多大な迷惑をかけられるわけがない。


 千切れんばかりに首を横に振ってあわてて告げると、なぜかフェリクスの面輪が哀しげに歪んだ。


「そ、そのっ、賭けをお受けしたのは、もちろん借金を少しでも減らしたかったからでもあるんですけれど、でも……っ」


 フェリクスの表情に罪悪感を刺激され、あわあわと言を継ぐ。


「品評会は、願ってもない機会だと思ったんです!」


「機会?」


 おうむ返しに呟いたフェリクスにこくんと頷く。


「なんて無謀なことを、と呆れられるかもしれませんが……」


 こくんと唾を飲み込み、緊張に渇く喉を湿らせて言葉を続ける。


「少しずつでいいので、私の靴の作り方を広めることが夢なんです……っ! お母様以外にも、足にぴったり合う靴があればと思っている方は、きっともっといらっしゃると思うんです! そんな方々に私の靴を届けたくて……っ! 女王陛下の品評会に出品することができれば、少しでも多くの方に私の靴のことを知っていただけるのでないかと……っ!」


 思いの丈を声に乗せて告げた瞬間、フェリクスが目をみはった。


「きみは、そこまで先のことを考えていたのか……」


 驚いたように呟いたフェリクスが、次いで柔らかな笑顔を見せる。


「では、何としても勝たねばならないね」


「はいっ! 勝たせていただく気で作ります!」


 不思議だ。夢のことは、レブト親方にだって言ったことがなかったのに。


 フェリクスの包み込むような優しい笑みを見ていると、なぜか心の中にしまっていた想いまで口からぽろりとこぼれだしてしまう。


「……きみに負けないように、わたしも頑張らなければならないな」


 フェリクスが独り言のように小さな声で呟く。


「フェリクス様も、何か目標がおありなんですか?」

 何気なく尋ね返すと、フェリクスの碧い瞳に真っ直ぐに見つめ返された。


 どこか肌がちりりとあぶられるような、熱を持ったまなざし。


「ああ……。そうだ、きみに伝えておかねばならないことがあったんだ」


 だが、見つめ続けられていると逃げ出したいような気持ちになるまなざしは、フェリクスが口を開いた途端、霧散する。


「きみに依頼した靴なんだが……」


「は、はいっ!」


 背筋を伸ばして椅子に座り直す。借金だのなんだの、ごたごたばかり抱えているリルジェシカに依頼するのは、やっぱり取り消したくなったのだろうか。


 緊張するリルジェシカに、フェリクスが生真面目な表情で告げる。


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