31 靴職人令嬢、疑問を口にする


「先ほど、レブト親方がおっしゃったでしょう? 品評会で負ければ評判が地に落ちる、と」


 ドルリーを睨みつけたままの親方にちらりと視線を走らせ、言を継ぐ。


「確かに私の評判など、ないに等しいですが、それでも負ければ今後、私に靴を依頼しようとする方はいらっしゃらないでしょう。そんな私がドルリー商会に所属しても、何の益にもならないのではありませんか?」


「言われてみりゃあそうだな」

 レブト親方が太い腕を組んで呟く。


「さすが、リルジェシカ嬢ですね。ですが、ご心配なく。その点も抜かりはございません」


「勝つ見込みの薄い勝負を持ちかけておきながら、手抜かりがないとよく言えるものだな」


 フェリクスが皮肉を隠すことなく目をすがめる。


「何をおっしゃいますか。確かに、わたしも簡単に勝てる勝負とは思っておりません。もちろん、負けるつもりはさらさらございませんが」


 フェリクスのまなざしを真っ向から受け止めながら、ドルリーが挑発的な笑みを口元に刻む。


「品評会には女王陛下の他にも大勢の貴族が参加します。わたしにとって、品評会は勝負の場であると同時に、格好の宣伝の場なのですよ」


 ぱん、と手を叩いたドルリーが、芝居がかった仕草で両手を広げる。


「たとえ、リルジェシカ嬢が敗れたとしても、女王陛下がお気に召され、品評会を開くほどとなれば、リルジェシカ嬢の靴を欲しがる貴族は多く現れましょう。さらに、リルジェシカ嬢がドルリー商会に所属してくださるとなれば、話題の職人と靴の双方を手に入れられ、一石二鳥ではありませんか」


「ならば、やはり品評会に勝った暁には、借金の減額ではなく、これ以上、つきまとわぬように求めたほうがよさそうだな」


「それは困りますね」


 敵意を露わにするフェリクスに、ドルリーが困ったように眉を下げる。


「わたしはリルジェシカ嬢を諦める気はございませんから」


「わ、私も困ります!」


 リルジェシカもあわてて口をはさむ。


「そ、その、やっぱり借金は少しでも減らしたいので……っ!」


 情けないことだが、利子の支払いだけでも汲々きゅうきゅうとしているのだ。借金が半額になればかなり楽になるに違いない。


「ご覧ください。リルジェシカ嬢もこうおっしゃっているではありませんか。ああ、ですが……」


 ドルリーが、思わせぶりに言葉を切る。


「リルジェシカ嬢さえ同意してくだされば、一気に借金を全額返済する方法もございますよ?」


「えっ!? そんな方法があるんですか!?」


「リルジェシカ嬢、聞くなっ! どうせろくでもない話だ!」


 思わず、広い背中を押しのけるようにして身を乗り出したリルジェシカを、フェリクスが肩を掴んで引き留める。


 ドルリーが整った面輪ににこやかな笑みを浮かべた。


「簡単な話ですよ。わたしと、婚姻を結んでくださればよいのです」


「っ!?」


 予想だにしていない内容に息を吞む。


「わたしも悪魔ではございませんから。妻となる令嬢の実家から借金を取り立てるほど、血も涙もないわけではありません。そろそろ、爵位も欲しいと思っておりましたし」


 なおもドルリーが何やら言っているが、まったく耳に入らない。が。


「ふざけるなっ!」


「ひゃあっ!?」


 まるで、間近で雷が落ちたかのような怒声に、打たれたように悲鳴を上げる。


「リルジェシカ嬢と婚姻だとっ!? しかも、金儲けと爵位のためにだなど……っ! 妄言もそこまでにしろっ! これ以上、彼女を侮辱する気なら、わたしが叩っ斬ってやる!」


「フ、フェリクス様っ!?」


 腰にいた剣の柄に手をかけたフェリクスの腕を、反射的に掴む。


「おおおおお、落ち着いてくださいっ! わっ、私はその……っ」


「も、もしや受ける気なのか……っ!?」


 まるで、精気がすべて抜け落ちたような愕然がくぜんとした表情で、フェリクスが振り返る。


「と、とととととんでもないですっ!」


 ぶんぶんぶんぶんぶんっ! と千切れんばかりに首を横に振る。


「受けるはずがありませんっ! ご冗談か何かに決まってますっ! それに……っ! もう、婚約なんてこりごりですからっ!」


 たとえ、お互いにまったく想いを寄せていなかった婚約者だったとしても。


 それでも、もう誰かに不要だとなじられるのは――。


 呆れられ、見捨てられるのはこりごりだ。心優しい両親に、これ以上リルジェシカのせいで心労をかけたくない。


 きっぱりと断言すると、なぜかフェリクスの凛々しい面輪が、自分が断られたかのように哀しげに歪んだ。


 その表情に、なぜかリルジェシカの胸までつきんと痛くなる。


 気まずさに目をそらすように、リルジェシカはドルリーに向き直った。


「ドルリーさん! 賭けはお受けします! ですが、求婚は決してお受けいたしませんっ!」


「求婚を受けてくださらないとは残念です。が、賭けが成立しただけで今回はよしといたしましょう」


 求婚を断られたというのに、残念そうな素振りをまったく見せず、ドルリーが吐息する。


「それに、リルジェシカ嬢の靴に対する情熱も見せていただけましたしね。きっと勝つ気で素晴らしい靴を作ってくださるものと信じておりますよ。それでこそ、品評会を開く価値があるというもの。もちろん、最終的に勝利を得るのはわたしですが」


 ゆったりと微笑むドルリーからは強い自信がうかがえる。


「少々長居しすぎたようですね。お伝えするべきことは申しあげましたので、これで失礼いたしましょう。リルジェシカ嬢、品評会を楽しみにしておりますよ」


 一方的に告げたドルリーがきびすを返すが、呼び止める者は誰もいなかった。


 ドルリーの姿が見えなくなっても、フェリクスもレブト親方も、硬い表情で唇を引き結んだままだ。


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