32 靴職人令嬢、やる気に満ちあふれる
ドルリーとのやりとりで受けた衝撃が抜けきらずぼんやりとしていると、ややあって、淀みを払うようにレブト親方が声を上げた。
「……おい、リルジェシカ。何か案はあるのか?」
「案、ですか……?」
頼りない声でおうむ返しに呟いたリルジェシカに、親方が太い眉を寄せる。
「おいっ、しっかりしろ! 賭けに乗ると宣言したのはお前だろうが!」
「は、はいっ!」
レブト親方の厳しい声に、ぴんっと背筋が伸びる。
「ドルリーの野郎のあの自信ありげな様子……。きっと、とんでもなく金のかかった靴を作ってくる気だろう。確かにお前の腕は悪くねぇ。縫製も丁寧だし、何より、履き心地がいい」
「っ!?」
滅多に褒めてくれることのないレブト親方の言葉に、そんな場合ではないと知りつつも、心が弾む。
が、レブト親方の表情は険しいままだ。
「だが……。今回のお題は女王陛下の靴だ。並大抵の装飾じゃ、ドルリー商会の靴に見た目で負けちまうぞ。高貴な御方の靴ってのは、見た目の豪華さも重要な要素だからな。まあ、幸い舞踏会用だけじゃなく、乗馬用の靴もお題に入っている。そっちで巻き返せる可能性はあるだろうが……」
「でも、舞踏会用までではないとはいえ、見た目が大切なのは変わりませんよね?」
「ああ、もちろんだ」
頷いたレブト親方が、太い腕を組んで「ううむ」と難しい表情で
「こうなると、ドルリーの野郎があれだけ自信があったのも頷けるな。きっと女王陛下から注文があるものと、ザックの奴にあらかじめ作らせてあった靴があるんだろう。リルジェシカひとりでは十日で二足作るのは厳しいと踏んで、こんな条件にしやがったんだ」
苦い顔で告げたレブト親方にフェリクスが声を上げる。
「やはり、わたしから女王陛下に進言します! この条件の品評会はあまりにリルジェシカ嬢に不利だと! 品評会の中止までは難しくとも、せめて日取りを延ばしてもらいましょう! わたしひとりではどこまで聞き入れられるかわかりませんが、セレシェーヌ殿下にもお口添えいただければきっと……っ!」
「待ってくださいっ!」
反射的に叫んだリルジェシカの声に、駆け出そうとしていたフェリクスが驚いたように動きを止める。
「私の都合で女王陛下にご迷惑をおかけするわけにはいきません! この条件でできる限りやってみせます!」
きっぱりと宣言すると、フェリクスとレブト親方が目をむいた。
「おい、本気か?」
単なる強がりなら許さないと言いたげに、強いまなざしを送ってくる親方を真正面から見返し、こくりと頷く。
「女王陛下の木型はほぼできあがっています。革はすでに仕入れていますし、あとは切って縫い合わせれば……。期日までに、ちゃんと二足作れるはずです!」
品評会の話を聞いた時、頭の中の歯車が、かちりと噛み合ったような音がした。
求婚の話を聞いた時には、驚きのあまり固まってしまったが……。
レブト親方の言葉を聞いているうちに、ふたたび動き始めた歯車は、いまや頭の中で高速で回転し始めている。
どういう形に革を切り取るのがよいだろう。立体的に縫い合わせた時にはどんな靴になるのか。装飾はどんなものがいいだろうか。
まだ実際に作り始めていないのに、頭の中にどんどん靴の形が思い浮かんでくる。
「だが……。装飾を手がける時間も必要だろう?」
「はいっ! もちろんちゃんと飾りつけもします!」
心配そうなフェリクスの声音に、深く頷く。
リルジェシカの資金では、宝石を縫いつけることはできない。
けれど、他にも方法はあるはずだ。
どんな装飾にしようと考えるだけで、わくわくと心が浮き立ってくる。胸の中に火にかけられた鍋があって、くつくつと煮えたっているかのようだ。
いますぐ自分の作業机に向かって靴作りを始めたい。
「……こりゃあもう、俺達が何を言っても無駄だな」
レブト親方が諦めたように吐息する。
「止めたって作るんだろ?」
「はいっ!」
心の中を見抜いたような言葉に大きく頷く。
「親方! いまから作業室にこもってきていいですか!?」
尋ねながらも、気持ちはすっかり新しい靴作りに向かっている。
「おう。時間がねぇのは確かなんだ。行ってこい」
「はいっ! あっ、フェリクス様、品評会のことを教えに来てくださったんですよね!? ありがとうございました!」
ぺこりと一礼し、身を翻そうとすると、フェリクスにあわてて呼び止められた。
「リルジェシカ嬢! セレシェーヌ殿下から伝言を承っているんだ。きみの勝利を信じていると……。もちろん、わたしも信じている!」
「ありがとうございます!」
自分のことを応援してくれる人がいるのだと思うと、身体中に元気が湧いてくる。
もう一度、フェリクスに礼を言うと、リルジェシカは今度こそ、作業室へ駆け込んだ。
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