30 靴職人令嬢、品評会について知らされる


「品評会、ですか……っ!?」


 リルジェシカは工房の入り口に立つドルリーに告げられた言葉を、呆然と呟いた。


「そんな、私なんかの靴が……」


 無意識に声が震える。


 自分が作った靴が、女王陛下だけでなく、大勢の貴族達の前でザックの靴と比べられるなんて、喜びよりも恐怖のほうが遥かに大きい。


 いぶかしげな声を上げたのはレブト親方だった。


「何を考えてやがる?」


「何を、とは?」


 レブト親方の詰問に、ドルリーが悠然と問い返す。レブト親方の太い眉がますます寄った。


「リルジェシカの靴が勝ってみろ。ザックが女王陛下から受注する機会は二度となくなるぞ。他の貴族達からもな。対して、リルジェシカはまだ無名の職人だ。たとえ負けても大して評判が落ちるわけじゃねぇ。そりゃあ、女王陛下の靴職人として、高額な報酬が受け取れねぇのは痛手だが……。そっちのほうが、失うものは遥かに多い。金にうるさいドルリー商会の会長が、そんな危険を冒してまで品評会を申し出るとは考えられねぇな。いったいどんな企みを隠してやがる?」


 レブト親方が革を縫う針のような鋭い視線でドルリーを睨みつける。


「おやおや、ひどい言われようですね。が、レブト親方なりにわたしを評価してくださっていると思っておきましょう」


 相変わらず余裕のある笑みを浮かべるドルリーの視線が、リルジェシカに向けられる。


「確かに、品評会で負ければ、ザックの評判は地に落ちるでしょう。ですが……。それ以上に、わたしはリルジェシカ嬢が欲しいのですよ」


「っ!」


 リルジェシカを真っ直ぐ見つめて告げられた言葉に、息を吞む。


 返すべき言葉が見つからず、ぱくぱくと魚みたいに口を開閉させていると。


「リルジェシカ嬢!」


 工房の外で馬のいななきが聞こえたかと思うと、切羽詰まった声とともにフェリクスが飛び込んでくる。ドルリーの姿を見とめたフェリクスが、凛々しい眉を吊り上げた。


「ドルリー、貴様! 品評会を陛下に上申しただけでは飽き足らず、まだリルジェシカ嬢につきまとう気か!?」


 糾弾されたドルリーが、フェリクスを振り向き、眉をひそめる。


「つきまとうとは人聞きの悪い。わたしはリルジェシカ嬢に品評会のことをお伝えしに来ただけですよ。リルジェシカ嬢だけが後日、品評会のことを知っては不公平ですからね」


「十日後などという短い期限を設定しておいて、どの口が言う!? リルジェシカ嬢にドルリー商会に入るのを断られた腹いせだろう!?」


「腹いせとは、とんでもない。なんとしてもリルジェシカ嬢を手に入れたいのだという思いの表れだと言ってほしいですね」


 フェリクスに刃のような視線で睨みつけられても、ドルリーはひるむ様子もない。


「さて、リルジェシカ嬢」


 とリルジェシカに向き直ったドルリーが、ゆったりとした笑みを浮かべる。


「ひとつ、賭けをいたしませんか?」


「賭け……?」


「そうです。品評会にてリルジェシカ嬢が勝てば、借金を半分にいたしましょう。ですが、わたしの職人が勝った場合には……。リルジェシカ嬢には、ドルリー商会へ所属していただきます」


「そんな賭けなど受け入れられるか!」


 リルジェシカが答えるより早く、フェリクスがえる。


 ドルリーがうっとうしそうに細い眉を寄せた。


「わたしが話しているのはリルジェシカ嬢です。――フェリクス様には関係のないことでございましょう?」


「っ!」


 ドルリーの言葉に、フェリクスが悔しげに唇を噛みしめる。だが、ドルリーを睨みつけるまなざしは変わらぬままだ。


「……品評会で負ければドルリー商会に所属するという賭けならば、リルジェシカ嬢が勝った時には、今後、一切リルジェシカ嬢につきまとわないというのが妥当な内容だろう?」


 ブーツの足音も高く工房を横切ったフェリクスが、ドルリーの視線から隠すようにリルジェシカの前へ立ちはだかる。


「それはリルジェシカ嬢のお気持ち如何いかんでございましょう? 借金がなくなることこそが、リルジェシカ嬢にとって、一番の望みかと思いますが?」


 ドルリーが同意を求めるかのように、フェリクスの背から顔を出すリルジェシカに視線を向ける。顔をしかめて怒鳴ったのはレブト親方だ。


「だったら、借金を帳消しにしてやりゃあいいじゃねえか!」


「ほう。では、帳消しにするのなら、この話を受けてくださる、と?」


 親方の剣幕にも毛ほども表情を動かさず、ドルリーがわざとらしく驚いたふりをする。親方がますます顔をしかめた。


「ふざけるな! 俺が勝手に決められるわけがねぇだろう!?」


「では、リルジェシカ嬢に決めていただくしかありませんね。いかがですか? 借金が半額になるのは、悪い話ではないと思いますが?」


 ドルリーがにこやかにリルジェシカに問いかける。


 確かに、借金の減額は喉から手が出るほどしてほしい。けれど。


「ドルリーさん、ひとつうかがってよいですか?」


「ええ、何なりと」


「どうして、『負けたらドルリー商会に所属する』という賭けなんですか?」


「と、言いますと?」


 リルジェシカの問いに、ドルリーが不思議そうな声を出す。かまわずリルジェシカは疑問を投げかけた。


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