29 近衛騎士は王女殿下から知らされる
来月行われる猟遊会のため、同僚とともに会場となる森の下見に行っていたフェリクスは、戻ってきた王城の浮ついた雰囲気に眉をひそめた。
登城している貴族達が廊下のあちらこちらに立ち止まって、何やら囁きあっている。
不在にしていた午前中に、何かあったのだろうか。セレシェーヌの私室へ進み足取りが自然と速くなる。
「セレシェーヌ殿下。戻りました」
扉を叩き、入室の許可を得る間も惜しく部屋に入ると、
「フェリクス! 戻ってきたばかりで申し訳ないけれど、すぐにリルジェシカ嬢のところへ行ってくれるかしら!?」
とセレシェーヌのあわてふためいた声が飛んできた。
「リルジェシカ嬢に何かあったのですか!?」
書類を広げた執務机につくセレシェーヌへ駆け寄る。
自分以上に
「午前中、ドルリー商会の会長が女王陛下にお目通りを申し込んで――」
「ドルリーが!?」
昨日のやりとりを思い出し、一気に声が硬く尖る。
「靴の担当がリルジェシカ嬢に移ったことが納得できないと、不服を申し立ててきたのですか!?」
身を乗り出して尋ねたフェリクスに、セレシェーヌがゆるりとかぶりを振る。
「いいえ。お母様がそんな抗議を受け入れる方ではないのは、あなたも知っているでしょう? ドルリーはもっと巧みに、
「陛下はその申し出を受けられたのですか!?」
思わず詰問口調になってしまい、フェリクスは我に返って「申し訳ございません」と謝罪する。「いいのよ」と、
「わたくしもその場にいなかったから、後で聞いた話だけれど……」
と、言を継いだ。
「ドルリーはお母様にこう言ったの。『女王陛下が極めて優れた審美眼をお持ちだということも、才能ある者を取り立てる進取の気風に富んでらっしゃることも、重々承知しております。ですが……。女王陛下のご一存のみでリルジェシカ嬢を取り立てられては、あるはずのない裏を
「くそっ、ドルリーめ……っ!」
セレシェーヌの前だということも忘れ、口汚い言葉が喉から飛び出す。
一国を束ねるだけあって、激しい気性の女王陛下のことだ。挑戦とも受け取れるドルリーの申し出を、二つ返事で受けたに違いない。
もしその場に自分がいれば、不敬と罰されようとドルリーの企みを阻止していたのに、と歯噛みするが、後の祭りだ。女王が決定したことを、一介の近衛騎士ごときが覆せるわけがない。
「それで、品評会の日取りと、出すべき靴なのだけれど……」
脳内でドルリーのいけすかないにやけ顔を叩っ斬っていたフェリクスは、セレシェーヌの声に我に返る。
ドルリーのことだ。きっと己に有利な内容に違いない。
「品評会を行うのは十日後、提出する靴は、舞踏会用の豪華な靴と、猟遊会のための乗馬用の靴ですって……」
「十日後!? しかも二足もですか!?」
フェリクスの叫びに、セレシェーヌが自分が責められたかのように麗しい面輪をしかめる。
「ええ。ドルリーが言うには、いつなんどき求めがあろうとも、それに即座に応えるのが王家御用達の看板を掲げる職人の務めだと……」
セレシェーヌの言葉に、フェリクスは歯噛みする。
ドルリーの言葉は、王家への忠誠を示しているように見えて、その実、小さな工房でひとりで作っているリルジェシカには、短期間で女王が求める靴は作れぬに違いないと侮っているも同じだ。
しかも、舞踏会用の靴とは……。
ドルリー商会は金に飽かせて金糸や宝石で飾り立てた靴を作ってくるに違いない。対して、リルジェシカは……。
昨日の口ぶりからすると、靴作りの仕入れ用に必要最低限の資金以外は、おそらく借金返済に充てているだろう。靴を装飾する用の宝石を購入できるかは
『フェリクス様はご自身で自由になるお金は限られてらっしゃるかと思いますが。それとも、アルティス殿下に頼られますか?』
ドルリーの
フェリクスが豊かならば、リルジェシカの借金など、いくらでも肩代わりするというのに。
だが、ドルリーが見抜いた通り、フェリクスは近衛騎士としての俸給以外に収入はない。王配である伯父・アルティスに頼るのは論外だ。
女王が惚れ込んで夫としたアルティスは有能な人物だが、出身が伯爵家とあまり家格が高くないため、貴族の中には
それくらいなら、父や兄にリルジェシカのことを話して助力を願ったほうがまだましだ。
「フェリクス! 品評会のことは決まったばかりで、リルジェシカ嬢はまだ知らないわ。だから、あなたが知らせとして使いに行ってほしいの。そして伝えてちょうだい。わたくしはあなたの勝利を信じているわ、と」
主の声に、
「かしこまりました。すぐに行ってまいります。ただ、ひとつお伺いしたいのですが、セレシェーヌ殿下も以前はドルリー商会の靴をお履きになっておられたのでしょう? 殿下の目から見ても、リルジェシカ嬢の靴に軍配が上がるとお思いですか?」
祈るような気持ちでセレシェーヌの麗しい面輪を見つめると、「もちろんよ!」と大きな頷きが返ってきた。
「でなければ、リルジェシカ嬢の靴を履き続けないわ。フェリクスは履いたことがないから実感がないでしょうけれど、彼女の靴の心地よさは履いた者でなければ、なかなかわからないでしょうね。……そういえば、あなたもリルジェシカ嬢に靴を頼んだと言っていたわね?」
「はい。いまの状況ではリルジェシカ嬢も手が回らないでしょうから、いったん保留にするつもりではおりますが」
リルジェシカに無理はさせたくない。また、落ち着いた頃に頼むと言って、一度依頼を引き上げたほうがいいだろう。
「ですが、セレシェーヌ殿下のお言葉で不安がやわらぎました。リルジェシカ嬢も、殿下のお言葉に力づけられることでございましょう。決して、ドルリーの思惑通りにはいかせません!」
そうだ。見方を変えれば、品評会はリルジェシカにとって好機ともいえる。品評会で勝てば、今後、リルジェシカの靴作りを馬鹿にする貴族などいなくなるに違いない。
「フェリクス。これもリルジェシカ嬢に渡してちょうだい。お母様のお好みなどを書いてあるから」
セレシェーヌが巻いた羊皮紙を差し出す。
「かしこまりました。では行ってまいります!」
「ええ。リルジェシカ嬢にくれぐれもよろしくね」
セレシェーヌの声を背に、フェリクスは足早に部屋を出た。
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